三 位 一 体 と は な に か ?

 テレサが神秘体験Aに到達したところで、三位一体について調べておこう。

 三位というのは、(父なる)神と、(子なる)キリストと、聖霊である。

 この神と子と聖霊が、三体別々の存在であるときは、これを三体性Triasと呼び、この三者が実は一つであるという考え、すなわち三位一体をTrinityと呼ぶ。これはキリスト教に独自の姿である、と前田護郎は説く(『ことばと聖書』)。

 もともとキリストは、御自ら書き物を遺さず、キリストの言葉は弟子たちが口伝書を作り、それに加え、孫弟子たちが書いた書物を纏めて新約聖書となったのだが、その本文のうち三位一体の根拠としてしばしば用いられる箇所は、キリストの洗礼の命令(マタイ28:19)である。

ガリラヤにおける顕現

 さて、十一人の弟子たちは、ガリラヤに出かけて
行き、イエスが[かって]彼らに示しておいた山へ
行った。そして彼に出会い、伏し拝んだ。しかしあ
る者たちは疑った。するとイエスが近寄ってきて、
彼らに語って言った、「私には天上と地上との、す
べての権能が与えられた。そこで行って、あらゆ
る異邦人たちを弟子とせよ。彼らに父と子と聖霊の名において洗
礼を授け、私があなたたちに指示したすべてのことを守るように、
彼らに教えよ。そして見よ、この私が、世の終りまで、すべての日
々にわたり、あなたたちと共にいるのである」。
        (佐藤研  『マルコによる福音書 マタイによる福音書』                                                                                         岩波書店、1995)

上の印したアンダーラインを行った箇所である。その他、種々の箇所を列記した上で、前田護郎は述べる。

 さて、以上列挙したごとく新約中に三位一体を思わせる箇所があるけれども、それは三つであることTriasであって必ずしも三位一体Trinityでない場合が多い。また、新約全体から見ると、これらの箇所は福音書や手紙で周辺的又は修辞的色彩を帯びる場合があることも否定できない。ここに挙げた諸箇所が存在することは大きな意味があるが、これらだけで三位一体を新約が示すとはいい難い。
           (前田護郎『ことばと聖書』岩波書店、261頁、1963)

 さらにその前の頁では、

 新約中三位一体が最も明白な形で現れるのは復活のイエスによる洗礼の命令(マタイ28:19)である。この形が行伝の洗礼の場面などに現れないので、これは経典外にこれに類したものの数々が見られる(ディダケー7:1,3;ユスティノス、弁証1,61,3など)ように、後代教会で典礼が発達してから出来た形式であり、マタイ福音書の終りにイエスの発言として書き加えられたとする説が従来行なわれた。この考えの背後には復活の記事全体の歴史性を否定し、またマタイの筆でないとする傾向も見られる。             (同、260頁)

……と、この箇所が後世のだれかの補筆であるという説も紹介されている。

1.  三位一体を文字通り記載してあるのは、新約聖書では、たっ
   た一か所しかない。
2.  それはマタイ伝の最後の箇所である。「父と子と聖霊の名に
    おいて洗礼……」という箇所である。
3.  しかしこの部分も、父と子と聖霊と書いてあるだけで、このま
    までは、Trias,三体性であって、Trinityを意味しているとは解
    釈できない。
4.  この表現は、新約聖書の行伝で記述されている洗礼の場面
    では見受けられない表現である。
5.  だから、これは、後世になって洗礼の儀式様式が整ってから
    、できあがった表現だと考えるのが妥当である。
6.  すなわち「父と子と聖霊の名において洗礼……」という表現
    は典礼様式が確立した時代に、誰かがイエスの発言として書
    き加えたものに違いない。
7.  少なくとも、そういう説がある。

 このような前田護郎の意見もさることながら、常識的に考えても、キリストが自ら、「神と自分と聖霊とは一体である」などと発言するはずがない。少なくともそのような歴史的事実を立証するには具体的な確証に欠けている。

 そもそも三位一体説は、アタナシウスがアリウス派と戦い、西暦325年のニカエア公会議で勝ち取った彼の理論で、これに呼応したヒエロニムスがマタイ伝の最後に「父と子と聖霊」を補筆し、プラトンの後継者であったプロティノスに影響されたアウグスティヌスが、聖霊の意味をプラトンのイデアにすりかえたのだ、とも考えられる。

 逆にそう考えたほうが、プラトンの「イデア」と、テレサの「一致の念祷」の中味との間の驚くべき相似性がはっきりと説明できる。

 筆者には、あの偉大なキリストが、単なるプラトン主義者と同一の軌道に乗る者だとは、とても思えないのである。また、プラトン哲学があまねく世に広く知られていた時代に、プラトンと同じイデアを標榜したキリストが出現し、民衆から絶大な信頼の念を勝ちえたということも、とても考えられない。

 プラトンのイデアは、前の章で述べたように、「自己愛」なのである。天上界に到達しない人はいつまでも洞穴に入って盲でいろ、俺は別だが、なのである。テレサの到達した一致の念祷も、上に書き出した特徴を調査するかぎりでは、イデアと同じく自己愛にすぎない。それにひきかえ、民衆がキリストから受けた印象は「人類愛」なのであった。人に対する愛情なのであった。

 では、プラトンとキリストは、いったいどこがどう違っているのだろうか。読者にはそこをお考えいただきたい。

画題:Piero della Francesca
        "Landschaft mit dem Hl. Hieronymus als Busser" 1450
        Michel Laclotte "The Louvre, European Paintings" 1989         Scala Publications Ltd.

        この人、聖ヒエロニムス、が聖書の編纂をしたのだという。

 前田護郎の精細な調査をここに引用した。これを噛み砕いて話すと次の通りとなる。