そうした或る日、忘れもしない、正確には昭和1627日の午後である。私は本郷座(本郷三丁目の映画館)に、フランス映画「ノートルダムの傴僂(せむし)」を見た。何とも奇妙な内容である。その印象が、私の得体の知れぬ心態にぐさりと刺さり、どうにもならなくなって館を出て、東大図書館の特別閲覧室にかけこんだ。すでに夕暮れで、室の中にはわずかの学生がいるだけで静まっている。鞄は手放していなかったとみえる。その中から『十地経(じゅうじきょう)』を取り出して、初めの歓喜地(かんぎじ)の所を見るともなしに見ていた時である。


 何の前触れもなく突然、大爆発した。木っ端微塵、雲散霧消してしまったのである。どれだけ時間が経ったか分からない。我に帰った途端、むくむくと腹の底から歓喜が涌きおこってきた。それが最初の意識であった。ながいあいだ悶えに悶え、求めに求めていた目覚めが初めて実現したのである。それは無条件であり、透明であり、何の曇りもなく、目覚めであることに毛ほどの疑念もない。私は喜びの中に、ただ茫然とするばかりであった。どのようにして、本郷のキャンパスから巣鴨の寮まで帰ってきたか、まったく覚えがない。


 いったいこの事実は、どういう意味を持つものなのか、その後ながい間の仏教の学習と禅定を重ねるうちに次第に明らかになってくるのであるが、その当座はただ歓喜の興奮に浸るのみであった。その状態は一週間ほど続いたであろうか、それから段々醒めてきて、十日も経つとまったく元の木阿弥(もくあみ)になってしまった。以前となんら変わることはない、煩悩も我執もそのままである。そもそもあの体験は何であったのか。単なる幻覚か、いやいやけっしてそうではない。爆発の事実を否定することはできない。しかしそのことをいかに詮索しても、現に煩悩、我執のままであることはどうしようもない。

            (『ダンマの顕現』大蔵出版、1995

画像:東大図書館閲覧室、昭和11 
  
         東京大学の資料をお借りした。

  昭和11年、同16年の差はあるが、
 ほぼ似たような有様だったろう。

玉 城 康 四 郎 の A 体 験

写真: Demons,
            Wat Phra Kaew in Bangkok
            Steve Van Beek, Luca Invernizzi Tettoni
           "The Arts of Thailand"

         十地経の「歓喜地」とは、
         悪魔の肩越しに見る
         光の世界なのか?
     
     玉城康四郎は、
     薄暗い図書館から
     突如
     「光」の世界に投げ込まれた。

 読者のために岩波仏教辞典(岩波書店、1989)を引いて
おこう。

十地経(じゅうじきょう)

 この経典は、サンスクリット本のほかに、種々の
  漢訳があり、最古のものは竺法護
(230308)訳の漸
  備一切智徳経であり、また華厳経にも編入されて
 『十地品』となっている。<十地>とは、仏に向か
  って進んでいく菩薩の境地を10の段階に分類したも
  のである。初めは歓喜地で、真理を体得した喜びに

  あふれているという境地である。これを出発点とし
  て、離垢地、発光地、?慧地、難勝地、現前地、遠行
   地、不動地、善慧地、法雲地へと進み、しだいに仏
  の世界に融け入っていく。自分だけの悟りではなく、
  <衆生と共に>ということが重要である。