玉城康四郎のA体験の特徴

 − それは当初脈絡のなかった頭脳のなかを整理し、厖大な知識を
     詰め込んでいる状態において起こった事態である。頭脳細胞の末
     端までよく耕され、動かされ、知的活動がフルになった状態でそ
     の体験は発生した。


  − 正確には、彼が25歳半ばのときに生じた体験である。

  − それは「なんの前触れもなく突然」発生する。つまり、その初め
     ての到来を本人は予測できない。


  − その体験の内容は「大爆発」であり、自分の意識は木っ端微塵
    (こっぱみじん)、雲散霧消してしまった。突然、意識も思考も消
     えてしまった状態と考えられる。


  − それは「ながいあいだ悶えに悶え、求めに求めていた目覚めが初
     めて実現」する形で生じた。生まれて初めて自分は目覚めた。
     つまり、生きていることとはなにかの意味がはっきりとわかった、
     と康四郎氏は断言する。


  − その経験は「無条件」の絶対であり、その中身には濁りがなく「透
     明」であり、なんの曇りもなく「純粋」であったと氏は説明する。


 − かつ、その経験の直後、「むくむくと腹の底から歓喜が涌きおこ
     ってきた」。「私は喜びの中にただ茫然とするばかりであった」。
     つまり、悦びの感情はその体験の最中ではなく、すぐその後で自分
     の身体を揺るがすごとく湧き上がる。


 − どれくらいの時間この体験が続いたのか、その後の歓喜の時間が
     どれ程であったのか(多分あまりの悦びのせいで)記憶を呼び戻せ
     ない。

 − いわば「無上無二」の体験であるが、その喜びは永く続かず、氏 
     の場合、一週間ほど続いたのち「だんだん醒めてきて」、また元に戻
     ってしまった。


 − かといって、神秘体験Aの事実は(54年後の時点でも)否定できな
     いほど氏の心に強烈な印銘を植えつけた。



 さすがに東京大学の先生だけあって、これらの記述には微塵にも嘘、偽りの影は見られず、しかも観察はきわめて精緻である。

 上に挙げた神秘体験Aの特徴をさらに抽象化しておこう。


1. (脳細胞の深耕)
   ただなんとなくぼんやりの状態ではなく、脳細胞が末端に
   いたるまでよくよく耕された土壌の上に初めてそれは発生
   する。


2. (受動性)
  それは「かくあれかし」と期待してその望み通りに出現す
    るものではなく、それは本人が予期せぬときに受動的に
    発生する。


3. (意識の根源性の自覚)
  あらゆる意識の根源に共通するものを認識させられる、
    という形でそれは現われる。


4. (純粋性)
  それは透明で曇りがない。
  つまり純粋な形で現われる。


5. (絶対性)
  意識のなかの方向性は、これこそ信用するに足る絶対だ、
    という確信を与えるかたちでそれは現われる。


6. (時間の意識の喪失)
  その体験が始まると、時間の経過の感覚が失われる。


7. (喜び)
  その直後に激しい悦びが津波のように訪れ、享受者を半
    ば溺れさせてしまう。


8. (悦びの消失と経験の記憶)
  その体験の後、悦びの感覚は身体より薄れていくが、そ
    の体験の内容とその内容にたいする確信は、その後、当
    人が死亡するまで記憶のなかに深く刻みつけられ、それ
    が消失することはない。

写真: Anny DHELOMME "Andhya" "Fugue"
          Galerie Cristel, Limoges 1997

         本文とは全く関係なし。
 
        「金堂天蓋飛天」7世紀 
         法隆寺大宝蔵殿
 
        の図版を使用したかったのだが、
        法隆寺より許可が得られなかった。