プラトンは続ける。
まことに、この天のかなたの領域に位置を占めるもの、そ
れは、真の意味において「ある」ところの存在――色なく、
形なく、触れることもできず、ただ、魂のみちびき手である
知性のみが観ることのできる、かの<実有>である。真実な知
識とはみな、この<実有>についての知識なのだ。されば、も
ともと神の精神は――そして、自己に本来適したものを摂取
しようと心がけるかぎりのすべての魂においてもこのことは
同じではあるが――けがれなき知性とけがれなき知識とによ
ってはぐくまれるものであるから、いま久方ぶりに真実在を
目にしてよろこびに満ち、天球の運動が一まわりして、もと
のところまで運ばれるその間、もろもろの真なるものを観照
し、それによってはぐくまれ、幸福を感じる。
(『パイドロス』プラトン全集5、藤沢令夫訳、岩波書店)
画題:
Ferdinand Hodler
"Heilige
Stunde T" 1907
Kunsthaus Zurich
ホドラーが描いたこの絵は、
天上で一瞥した「美」の世界を
表現している。
それは実際に存在するが、心眼でしか見ることができない。私た
ちの五感(視、聴、嗅、味、触)を超えた知性でのみ観じることが
できる。また、真実在を観じた直後、われわれが感じる感情は「悦
び」であり「幸福」である、とプラトンは述べる。
玉城康四郎のように「求めに求めてきた究極の目的が、今ここに
完結したと思ったとき、歓喜がもくもくとして腹の底からこみ上げ
てきて、全身、歓喜の渦に貫かれた」。 また、林武のように「僕は
狂ふような歓喜の世界にゐた。手の舞い足の踏むところを知らなか
った。――われ世に勝てり! 僕は心でそう叫んだ」。勝利の確信
と喜悦の感情である。
一めぐりする道すがら、魂が観得するものは、<正義>そ
のものであり、<節制>であり、<知識>である。この<知識>
とは、生々流転するような性格をもつ知識ではなく、また、
いまわれわれがふつう「ある」と呼んでいる事物の中にあ
って、その事物があれこれと異なるにつれて異なった知識
となるごとき知識でもない。まさにこれこそほんとうの意
味で「ある」ものだという、そういう真実在の中にある知
識なのである。
(同上)
西田幾多郎の「真実在」経験、ならびに「善」の概念とまったく
符合していることにも注意しておこう。これが西田の言う「純粋経
験」の在りようであるからだ。
プラトンは、この真実在を「イデア」という言葉で表現した。林
武は、そのものずばり、「僕は実に“美”といふものを見た」と報
告する。プラトンの主張する「美」と寸分違わず符合する。
なあんだ、そういうことか、プラトンの主張する「真善美」とはこ
のことか、玉城康四郎が体験し、林武も報告している体験なのだから、
プラトンもたいしたことはないな、と思われる方もおられるだろうが、
たったこれだけのことが、当時の人にとっては革命的であった。
それまでは、天地における裁定者の存在が、漠然とした、あるのか
ないのかわからない神話の神、あるいは現実世界において最大の腕力
の持ち主、すなわち暴君とされていたものを、人間が自らの心のなか
で経験することのできる最上の心的経験に置き換えた点であり、プラ
トンは、人類歴史上初めて、価値の標準である真・善・美は、人間が
みずから直接に内的生活で把握することができるものだ、と主張した
のである。もちろん、彼以前にも神秘体験Aを体験した人間はきっと
いたのだろうが、それを文学的にうまく表現し、それに表象の言葉を
与えたのはプラトンが最初であった。
いやいや、インドではヴェーダーンタ哲学がその前からあったじゃ
ないか、と主張される方もおられるだろう。ごもっともで、インドに
はプラトンよりも早く、神秘体験Aを主張した哲学者もいた。が、西
洋文明では、彼、プラトンをして哲学の始祖と呼び、この人が哲学を
開始したとしているのである。