***ノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame)

 1176年、この大聖堂は、洪水水位上に赤いボージュ砂岩を使って再建された。だが、にもかかわらず、基礎には山のような樫のパイルを使っている。(これらは最近コンクリートで補強された。)外面は、聖歌隊席、翼廊、頂塔に関する限りロマネスク建築である。この有名なゴチック様式の尖塔**は建築学的傑作であり、その垂直性は西正面真上面によって強調されている。見まごうことのないランドマークであり、その上からはアルザス平原が一望のもとに見渡すことができる。高さは142mである。これを支える八角形の透かし細工はシュヴァーベン地方の建築家によって1399-1419年の間に建てられ、威信目的で建設中に高さを7m嵩上げされた。最終段階は、一人のケルンからきた建築士によって前世紀の技法を使用して、1420-39年に設計・建築された。;特別に注目すべきは、外面の階段を使う突出構造である。

ロアン宮

 これはストラスブール司教領、そのなかでもこの宮殿を建てたアルマンと、マリー・アントワネットのネックレス事件に係わった美食家ルイの邸宅である。

 この宮殿はロベール・ド・コットによって設計され、1732-42年の間に建てられた。それはロアンのパリの邸宅が完成した後四半世紀経ってからである。;その建築はルイ14世の統治によって招じ入れられたより寛いだ様式を反映している。これは古典的な素晴らしい建物で、カーブを描いている入口の柱廊には彫像やトロフィーが設えてあり、主中庭は手摺の付いた桟敷、薄色の石灰岩で化粧仕上げされた正面、そして牛の目窓(ウュ・ド・ブフ)で明かりを取り込むマンサード屋根が設えてある。

ス ト ラ ス ブ ー ル

                       2015/05/26

**プティット・フランス

 これはこの街の良好に保存された歴史地区の目玉である。その名前は前のフランス病院からきたもので、かつては漁師、なめし皮業者と製粉業者の住居だった。イル川の入り江にはロック(閘門)が設えてあって、事実上すべての店舗の裏口からライン河に通じるようになっていた。破風のあるルネサンス期の家屋が川の緑色の水面に反射し、魅力のある都会場面を形成している。とくに植物風呂通り**Rue du Bain-aux-Plantes)が素晴らしい。

写真:2015/05/26撮影
エチエンヌ・アイドゥー
トゥルダ、ルーマニア 1907 バニュー、フランス(パリ近郊)1996
横たわる女、1938
木台座上の桜材
作者による寄付、1994

画像:Google Map 2015

写真:Barrage Vauban屋上案内板のスケッチ

MAMCS

コルボー中庭Cour du Corbeau);屋根付きの橋;ヴォーバン・ダムからの眺め**;アルザス博物館M1;サント・トーマス教会 サクス元帥の霊廟**;オランジュリー

Barrage Vauban

クレベール広場

 これはこの街でもっとも有名な広場である。その名前はジャン・クレベール(Jean Kléber, 1753-1800)マインツ、フリュールス、マーストリヒトの戦いの英雄でナポレオンのエジプト遠征中に暗殺された人、にちなんでいる。

画像:Google Map 2015

***ストラスブール旧市街

 この古都の二つの区域は過去のアルザスの楽しい景観を思い起こしてくれる。それはずらりと並んだ伝統的な特徴をもつ木組みの家々である。木製の桟敷、張出腕木上のロッジア(建物の前面あるいは側面にある回廊)、小さな色ガラスがはめ込まれた窓、並びに張出した上階でこれは1681年以降、フランスでは公式には禁止されていたのだがここでは作られ続けた。家の一戸一戸がそれ自体で楽しめる;戸同時に全体としてうっとりさせる街の景観を構成している。

画像:雄鹿薬局Pharmarcie du Cerf

***大聖堂地区

 二戸の特別に魅力的な建物が大聖堂広場に面している。メルシエール通りとの角には、1589年の雄鹿薬局がある。これはフランスで最古の薬局であると考えられており、北角には同じ日付のフレスコ画のある木組みのカマーツェル・ハウス(細胞部屋の意?)がある。ほかにも子豚広場、小間物屋通り、コルディエ通りなどがあって、そぞろ歩きの楽しみを完結させてくれる。

画像:Maison Kammerzell、いずれもGoogle Map 2015

写真:グーテンベルク広場から見る大聖堂

**博物館

この宮殿は豊富なコレクションを有する博物館を収納している。

 美術館は、イタリア絵画(原始、ルネサンス)、スペインの作品(ズルバラン、ムリーリョ、ゴヤ)と15-17世紀オランダのオールド・マスターズで有名である。見学者がけっして見逃してならないのは、ニコラ・ラルギリエールの1703年のポートレート、「美しいストラスブール女性」である。優美な黒い衣裳を着た女性で彼女は司教領主の寝室を飾っている。

 考古学博物館は第4紀時代から紀元1000年末までの時期をカバーしている。歴史前に絶滅した動物、陶磁器、ローマ時代とメロヴィンガ時代につき展示されている。

 装飾芸術博物館はこの街の工芸品と工芸家の物語を伝える。;フランスにおけるもっとも素晴らしい陶磁器コレクション**の一つがある。特にストラスブールとニドゥルヴィエのファイアンス焼と陶磁器が豊富である。

 司教領の国事室は18世紀のもっとも素晴らしいフランス・インテリアであると考えられている。

 この建物の非常に優美なファサードはイル川に面したものである。;それは背の高いコリント柱、ドーム、ならびに欄干のついた桟敷が備わっている。

:ロアン宮、イル川に面したファサード

画像:ロアン宮

写真:2015/05/26撮影
賢愚聖処女像
1280-1290
赤色砂岩
正面ファサード北入口左右の彫刻の原像

***大聖堂博物館

 南側の多くの古い住居のなかに入っているこの博物館は大聖堂の評価を高めている。その一番の宝物はアルザス北部のヴァイセンブルクから来たキリストの頭部である。加えて、そこにはもっとも古いステンド・グラスが存在し、とりわけ多くの大聖堂のオリジナルの彫像があり、そのなかにはキリスト像、シナゴーグ、賢愚聖処女像が含まれている。西正面と尖塔の建築家による設計図もまたここにある。

 南戸口には有名な誘惑者の描写がある。彼はまさに愚かな聖処女の大胆さをそそのかすのに成功しつつある(彼女は服を脱ぎ始めている)。大聖堂の南面にある教会とシナゴーグの塑像(コピー)も素晴らしい。内部に入ると、身廊の垂直性は14世紀の高ゴシック様式の典型的例である。すなわち、それは透かし細工のトリフォリウムと優美な窓の開口部によって光が取り入れられた幅広の側廊がついている。南側の翼廊になかには13世紀の天使柱**あるいは最後の審判がある。;三段階になっているその微細な彫像はゴシック芸術を完成の頂点に持ち上げている。

 近くにある天文学時計1838年の日付があり、15分ごとに鳴る自動人形(死の人形は時鐘の特権を有す)そして大勢の人形が引き出される中日(12:30)に、人々を引き寄せ続けている。

写真:天使の柱と天文学時計

画像:キリストの頭部、元々バ・リン地方のヴァイセンブルク大修道院に在ったステンドガラス。1060年頃。直径25cm。大聖堂博物館蔵

 背が高いゴチック様式の西正面はアーヴィン・フォン・シュタインバッハの作品である。これは豊富な彫刻(何世紀にも亘る立像と浅浮彫)で装飾されている。特に、正面玄関は二重の切り妻壁と薔薇窓を部分的に覆う繊細な先の尖ったゴシックアーチで飾られている。タンパンの下三層は特別素晴らしい13世紀の作品である。これには、エルサレムへの入城、受難と復活の場面、ユダの死が含まれている;アーチには天地創造、アブラハム、12使徒、福音書記者ならびに殉教者達の物語を見ることができる。

写真:キリストの受難(西ファサード、中央入口タンパン)

***ストラスブール 人口252,264 2012年では274,394人)

 ストラスブールという名前の由来はドイツ語の「街道の街」から来ている。そしてこの場所は実際にハイウエイ、地中海とラインランド、中央ヨーロッパ、北海、そしてベルフォール峡谷とシュウェービッシュ盆地経由でバルト海とを繋ぐ鉄道と水路の交叉するところなのである。

 1949年以来、ストラスブールには欧州議会が置かれている。

 842214日に、(シャルマーニュ大帝の息子であった)ルイ敬虔王の息子二人によってストラスブール誓約が宣誓された。ヴェルダン条約の一年前に、シャルルとルイ兄弟は、彼らの兄の野心を挫折させるべく、お互いに忠実なることを保証した。議定書は各人が彼の兄弟の側近に理解できる言語でその誓約を宣言することを規定した。;こうしてドイツ人王ルイ(ルードヴィヒ2世)によって読み上げられたテキストがロマンス語で書かれた最古の書類であると考えられている。現代のフランス語へと発展していった言語の書類の最初のものであった。ドイツ語のテキストについても同じことが言える。

 本稿は、Michelin “France” 1991のうちStrasbourgの項を翻訳して使用する。

写真:2015/05/26撮影 ヴォーバン・ダムからの眺め

画像:正面ファサード南入口左側、愚かな乙女達
マタイ25:1-13

添付:ストラスブールの歴史
          ストラスブール・スナップショット

 人口僅か28万人の中都市に沢山の歴史的文化財が詰め込まれていて、圧倒的な感動をひきおこす素晴らしい街である。

画像La Belle Strasbourgeoise

写真:2015/05/26撮影 大聖堂博物館中庭

写真:天地創造、アブラハム、12使徒、福音書記者ならびに殉教者達の物語