栄光のキリスト

引用

栄光のキリスト(Christ in Majesty or Christ in Glory (Latin: Maiestas Domini))はキリストの西方キリスト教のイメージであり、世界の支配者として玉座に坐っている。常に構図の中心部にいて正面を向き、しばしば他の聖人によってかしずかれている。どの聖人かは時代によって、またコンテキストによって変化する。

Michelin Guide, France.1991,P73の翻訳です)

 この大聖堂の栄光は12世紀のブルゴーニュ時代の彫刻である。その大部分はギスレベルトゥス親方の業績である。彼は1125年ヴェズレーからやってきてここで20年間働いた。中央戸口上のタンパン***はほぼ1135年のものであり、主題は最後の晩餐である。このタンパンより30年ばかり前に作られたモアサックの同一品よりも神秘性は少ないが、技巧の崇高な熟達さを示し、そのデザインの大胆さはすべての他の同時期作品を凌駕している。他所ではナイーヴだとかグロテスクと判定が下るものが、ここでは精神的な価値の階級を表現する強力な手段となっている。注意深く観察すべきは、救われた者の喜び、地獄の亡者達の苦悩、そしてキリストの姿の取り扱いのなかの秤の使用、12使徒とその他の人物である。まったく同じ熟練度は身廊と参事会室のなかの柱頭彫地獄の亡者達の苦悩刻においても明らかである。参事会室では(もともと聖歌隊席にあった)柱頭彫刻が目線の高さで展示されている。

写真:2015/05/23  救われた者の喜び

中世のオータンと
   サン・ラザール教会

撮影:2015/05/23  北正面玄関のタンパン

注:

注:部分拡大図:聖ラザロ教会を中心として

Michelin Guide, France.1991,P73の翻訳です)


**サン・ラザール教会

 大きな砂岩でできたこの建物は1120年から1146年の間に建てられ、キリストの友達でありキリストが死から甦らせた男の名前が付けられた。その友達ラザロの聖遺物はそれよりちょっと前にマルセイユからここに持ちこまれた。外観は15世紀に塔と尖塔が付け加えられたのだが、本質的にはブルゴーニュ・ロマネスクの建物である。;半円筒形アーチ型天井の身廊はわずかに尖ったアーチ(初期の例)と、さもなければ裸壁であったはずの壁を活気づけるようにデザインされた窓のないトリフォリウム(教会外陣側廊上部のアーチ高窓の中間の部分)を有している。この街にあるローマ時代のアルー門(ポルト・ダルー)のそれと同一の中二階をもっているので、このトリフォリウムは古代の影響を12世紀にまで継続しているというおどろくべき証拠となっている。

 西方からの鳥瞰図には、小さなアルー川に面して立つ市壁によって区切られる広大な面積の土地が描かれている。わずか2地域のみが人口稠密である。一つ目は楕円形の中央部マルショー地区である。この地区の出口は二つのローマ時代の門である。オータンという街は、もともと紀元前10年に、ガリアの鎮圧に引き続きアウグストゥス帝によって建設された長距離のアグリッパ街道の交易路上に位置していた。ローマ遺跡に含まれるのは、ヤヌス神殿(下部右方)とクアールの墓(上方端)のピラミッドである。二番目のより人口の多い地域はサン・ラザール大聖堂のある上方の司教街である。中世の時代には、聖ラザロの聖遺物が多くのレプラ患者を引き寄せた。彼らは一刻も早い快癒を願い、オータンへの巡礼を行ったのだ。

画像出典:パリのBelleforest, La Cosmographie universelle出版社の木版画、1575

オータン解説出典

街の名前:

Augustodunum(ローマ時代のラテン語名称)、
別名Flavia Aeduorum, Flavia des Éduens (Aedui).出典)、
フランス語ではオータン、ブルゴーニュ地方の街。

画像:La Sculpture du eSecle de la Cathedrale d’Autun, Denis Grivot, P22

写真:2015/05/23  地獄の亡者達の苦悩

魂の計量

引用個別審判(Particular judgment)

キリスト教終末論によれば、個別審判とは亡くなった人が死の直後に受ける神の審判であり、世界の終末においてすべての人々が受ける共通の審判(別名、最後の審判)と対比される。

写真:2015/05/23

撮影:2015/05/23  GISLEBERTUS HOC FECIT ギスレベルトゥスこれを作る

画像Barrel-vaulted、半円筒形アーチ型天井

画像1575年の木版画に描かれたオータン。下方が北方向。

撮影:2015/05/23 サン・ラザール教会

ブラウンによる注釈

「オータンはいくつかの山の麓にあるブルゴーニュ地方の街だが、建物は数えるほどしかない。ただし、城と聖ラザロ教会のある場所は別だ。このラザロはマグダラのマリアの兄弟である。マグダラのマリアは、キリストが死から復活した後、フランスに来てキリストの昇天の後の福音(キリスト教教義)を広めた。ラザロの死体はこの教会に埋葬され、聖遺物として敬意をもって保存された。・・・ この街の他の部分は今ではフランス語でマルショーと呼ばれるが、以前は練兵場であった。」