部分拡大図 (なるほど、これは精密なメニューです。)

(館内表示板の翻訳)

通常のように右から左へ書かれている。

「朕は汝に被告達を送る。かれらが汝のもとに着くやいなや、汝はかれらをペンパイイ(エル-ヒベに於けるアモン神の名前)に差し出しなさい。彼がかれらを裁き、嘘つきと無実の人とを見分ける。汝はその裁きを文書に書き記し、私に送れ。」

画像
木製の夫婦
古王朝、推定第6王朝、紀元前2350-2200
アカシア
高さ69.5cm、幅33cm、奥行15cm
購入 1826
2293

 ことのついでに、1799年、ナポレオンのエジプト遠征の際にロゼッタで発見されたロゼッタ・ストーンの解読を行ったフランス人ジャン=フランソワ・シャンポリオンのことも思い出しておこう。彼は1822年ヒエログリフを解読し、1826年ルーヴルのエジプト部門を創設したのだ。

画像:現在大英博物館にあるロゼッタ・ストーン

画像:
テペエムマンクの献立:死者の献立表、
ギザの西墓地にあるテペエムマンクの墓にあったレリーフ
石灰岩
西暦前2350-2300年頃、エジプト第五王朝末あるいは第六王朝の初め
高さ118cm、幅101cm、奥行3cm
翻訳することが不可能な名前、私たちの語彙に置換えると、棒パン、プディング、エクレール、チョコレートなどのような、名前がつけられた多数のパンとエジプト菓子

参考

英語説明の翻訳:

広範囲の損傷にもかかわらず、この夫婦の歩行像は古王朝の木製彫像の傑作の1つである。二人の人物は並んで、女が男の右手に立っている。彼女はとても小さい。そしてエジプト芸術のしきたりに従って相方のやや後方に立つ。彼女の左腕は彼女の夫の腰にまわされている。

 いろいろ見てまわったのですが、目にとまった作品だけをピック・アップし、年代順にならべると、次のようになる。

 まず、古王朝の船だが、これが今から5千年前の作品などというのは実に「信じられない」。作成された時代と今との間の時間の長さが信じられない。現実的には、写真に写っている2つの船の間に千年の年月の差があるなんて、千年経ってたったこれだけの進歩だということが信じられない。じつにスローな時の歩みだったのだ。

画像:
あぐらをかいた書記坐像、膝の上にパピルス
第五王朝、紀元前2500-2350
石灰石、彩色

 ガラスケースの中にぼろぼろに朽ちた木製のまるで幽霊のような彫像を見つけた。かれらの表情は人生に倦み疲れた表情にほかならない。人間は昔からかれらの置かれた環境に苦しみ続けたのであろうか。どのような事情が背後にあったのであろうか。なにがこのような悲しい彫像を作らしめたのであろうか。この彫像を拝観していると、絶望的な悲しさが吹き出してくる。

ルーヴルによる説明(日本語)

書記特有のポーズ

『書記座像』という名称で有名なルーヴル美術館の書記は、あぐらをかいて座っている。右脚を左脚の前に交差させ、両膝でぴんと張られた白い腰衣を台の代わりにし、左手で一部が広げられたパピルスを持っている。右手には筆を握っていたが、今日では消失してしまっている。
 最も印象的なのは顔の取り扱い方であるが、とりわけ目の象嵌細工は丹念に作られている。これは赤い石目模様の入った白いマグネサイトの塊の中に水晶を嵌め込んで作られたものである。水晶は、軽度な円錐台形をなしているものと思われ、前部が丹念に研磨され、後部は、虹彩の色を出すために有機物質の層に覆われ、 おそらく接着剤の役目も果たしているのではないかと推測されている。このように作られた眼球は、銅製の大きな二本の爪留の枠の中にはめ込まれ、後ろで眼窩と溶接されている。眉毛は黒い線で素描され、手、指、爪は、驚くほどの繊細さで彫られている。肥大した胸の乳首は木製の楔二本で表されている。この彫像に は、1998年に修復が施されたが、表面に塗られていた蝋の厚い層をいくらか取り除くに留められ、これにより、極めて良く保存された古代の多彩色が以前より鮮明に浮き出るようになった。

ルーヴル・エジプト (1)

                   2014/05/16

画像:

パピルスに書かれた文字
21王朝、紀元前1069-945
エル-ヒベ(el-Hibeh)出土

画像:

エジプト初期王朝、紀元前3100-2700
彩色焼成陶土
初期ファラオの時代のきわめて稀な船模型。
(後方に見えるのは中王国(紀元前2000年頃)の船模型)

画像:
書記坐像
第四あるいは第五王朝、紀元前2600-2350
エジプト、サッカラ、セラペウムのスフィンクス参道北出土
石灰岩の彫刻に彩色目の象嵌細工、水晶、マグネサイト(炭酸マグネシウム)、ヒ素含有銅乳首、木
高さ53.70cm、幅44cm、奥行き35cm
1854年、発掘の分配分としてエジプト政府から寄贈

スフィンクスとは、獅子の身体と王の頭部からなる怪物のような姿をした生き物である。このスフィンクスにはアメンエムハト2世(第12 朝、前1929−前1895年)、メルエンプタハ王(第19王朝、前1212−前1202年)、シェションク1世(第22王朝、前945−前924年)の 名前が次々に刻まれたが、いくつかの詳細部分を手がかりに、さらに遡った古王国時代(紀元前2600年頃)のものだと主張する考古学者達もいる。

日本語説明

画像:
タニスの大スフィンクス
古王国時代、紀元前2600年頃
タニス出土
彫刻(丸彫り)花崗岩
高さ1.83m、幅4.80m、奥行き1.54
1826年に購入
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