背中に次の碑文がある:
  サタムSatam)はル=バラ(Lu-Bara)の息子、ウルク(Uruk)王ルガル-キサル-シ(Lugal-kisal-si)の息子、ギリム-シ神の信仰者、ウルク国の王子である。
翻訳者注:
ウルク第二王朝あるいは第三王朝の王らしい。
ウルクの土地の所在は次図のなかのUruk

ルーヴル博物館 (2)

                2014/05/14

画像:石碑に刻まれた区画

画像:(翻訳)
ハムラビ法典の序文
粘土
紀元前18世紀初頭
メソポタミア

この粘土板の120行のテキストは石碑に刻まれた305区画と対応している。恩恵の列挙のなかにある脱落箇所はハムラビによって付け加えられた都市にたいする免除であり、これが玄武岩石碑の作成前の版であることを推測させる。(Sb 8) AO 10237

画像:跪く男の彫像、別称「ラルサ神の信奉者」
ブロンズ、金
紀元前2千年紀初頭
メソポタミア、ラルサ(Larsa
注:ラルサは太陽神シャマシュ信仰の中心地

仏語説明
  古代メソポタミアの誉れ高い中心都市であるバビロンは、その文化の創造と、宗教的熱情の深い痕跡のある貴重な品々に大部分の名声を負う。この都市の守護神であるマルドゥクMarduk)への古代賛歌を駆り立てるのは熱情である。彼等のこだまはその文明のいくつかの主要な作品の再発見へ誘い、バビロンの世界を支配していた偉大な神の図形によって圧倒される象徴的な宇宙のすべてに再び命を吹き込む。


ラルサの場所は:

画像:
ライオン像
2千年紀初頭
「ライオン寺院」シリア、マリ(テル・ハリリ)
平打ち銅、目には凍石岩と石灰岩
高さ 38cm、幅70cm、奥行き 50cm
1937年、A. Parrot 発掘
AO19520AO19824

画像:
ラガシュ王国の王子、グデア
坐像はNingishzida神に奉納されている。
閃緑岩
紀元前2120年頃
イラク、ジーカール県、テロ(Tello、古代名はギルス)
頭部はE. de Sarzecによって
胴体は1903年、G. Crosによって発掘された。

画像:
アッカド王の勝利記念碑破片
閃緑岩
アッカド時代、紀元前2300年頃
イラン、スーサで紀元前12世紀の戦争戦利品として出土。
発掘はJ. de Morgan1899-1902年。

英語説明

拡大図は:

アッカド王勝利記念碑断片としては次の断片もある。

なお、アッカドについては次の地図を参照乞う。

画像:
アッカド王ナラム・シンの勝利記念碑
アッカド時代 紀元前2250年頃
針状石灰石
高さ2m、 巾1.5 m
イランのスーサ、シパール村出土
紀元前12世紀の戦争の戦利品

ナラム・シンの勝利記念碑は1992Raymond Sackler博士夫妻の協力により修復された。

英語説明

画像:
サタム立像
石灰石
アルカイック第三王朝、紀元前2400年頃

画像:
ラガシュ(Lagashu)王ウル-ナンシェ(Ur-Nanshe)の誓願レリーフ
石灰石
古代第三王朝、紀元前2550-2500年頃
テロ(Tello)、古代名ギルス(Girsu)出土
Sarzecによる発掘。

日本語説明

シュメールの初期王朝時代の特徴として、この傑出した貫通孔のある額は、上下二段に分かれた浮彫装飾で飾られていることである。これは最初のラガシュ王朝の創始者ウル・ナンシェ王の宗教的活動を記念している

ラガシュの場所

画像:
一匹のライオンが通り過ぎる雄牛と雄鹿を攻撃する。
雪花石膏
D.A.I.紀元前2800年頃
アッシリア

参考画像:玄武岩石碑、紀元前1750年頃、バビロニア

説明
  この青銅の獅子は、ユーフラテス河中流域にある壮麗な都市マリで着手された発掘で出土した。これは「国々の王」の名称を意味する女性の神を祀った神殿内で発見され、完全に類似したもう一頭の獅子と対になっていて、現在、それはシリアのアレッポ国立博物館に保存されている。

画像Mari。紀元前2千年紀のシリアの地図

マリについての英語説明
  発掘はフランス人考古学学者Andre Parrotにより1933~1974に行われた。

画像:赤い部分がジーカール県

紀元前三千年紀末期のラガシュ(Lagash)王国の王子であったグデアは、彼の敬神と神社を多数建設したことで知られている。この小像はこの王子に関する一連の閃緑岩坐像・立像彫刻のなかで唯一完全な作品である。彼の礼服に篆刻された碑文によれば、これはNingishzidaの神に奉納されたものである。

英文説明