上 州 温 泉 紀 行

               2014/06/0506

 終日雨もよいでしたが、小雨が降っているほうが涼しいので、私たちには助かりました。


 では皆様、ご機嫌よう。

 最後に前回は入浴できなかった法師温泉の長寿館です。11時から日帰り入浴開始だと思っていて、11時丁度に到着したのですが、実は10時半から2時まででした。本日は大浴場が三つあるなかで、男性用に法師の湯、女性用に長寿の湯が提供されていました。一番古いのが「法師の湯」なのでここに入れたのはラッキーでした。湯温は40℃くらいでしょうか。ぬるめですので皆さんかなり長く浸かっておられるようです。底は小石が敷き詰めてあり、浴槽の真ん中に枕に使うのでしょうか、丸太が浮かべてあります。

 宝川温泉については、2007/05/23報告で述べてあります。今回はこの旅館で一泊いたしました。私たちは東館に宿泊したのですが、建物は古く、「擦り切れ」感があります。食事もいまひとつ。宿賃のことを考えれば、文句を言えた筋合いではないのですが。

 ただ、この温泉の豪快さには今回も魂消ました。真夜中の12時、誰一人入浴していない子宝の湯まで行って入浴したのですが、豪快な川音に包まれて自然と一体化する「神秘感」を味わいました。昼間は外人客やら、湯浴み着を着た女性が多くなっていて、この温泉の本来持つ「しっとり感」が薄れています。

写真:宝川温泉。女性が湯浴着を着用するようになっていました。

 翌日は佐久から富岡に抜けて、世界遺産登録予定の富岡製糸場を訪ね、明治5年に操業を開始したフランス技術の工場を見学させていただいた。当時世界でもトップクラスの大規模工場だったよし。話題の工場なので見物客であふれていました。ここと肩を並べた生糸の産地は長野県の岡谷だったようです。

写真:富岡製糸場の繰糸工場ですが、繊細な絹糸を捩り合わせて絹糸を製造する作業の細かさと圧倒的に大きい工場規模の対比に圧倒されます。

写真:工場建設と操業開始が明治5年で創業当初は工場長と女工の訓練はフランス人だったのです。

 名古屋在住の友達がジョインしてくれて、前夜はエクシブ蓼科で外来食事(宿泊しないで食事だけ食べにくること)を楽しみました。私たちは中華・洋食・和食と三通りあるなかから和食を選んだのだけれども、素晴らしく美味しい食事でした。ここの和食は蓼科一だと思います。お勧めします。

 パリから帰って長旅の疲れも消えたので、かねてから予定していた上州温泉巡りを決行することにしました。

PS: なお今回の訪問地の地理関係は次。

写真:鯛釣草

 翌日の朝、9時に出発して水上町の天一美術館で、開門を待って美術鑑賞をいたしました。こんな山奥にどうしてこんなに立派な美術館があるのでしょう。建物も素晴らしいし、蔵品もとびきりの秀品ばかりで、腰をぬかしました。銀座の天冨良「天一」の創業者矢吹勇雄氏のコレクションだということです。松尾芭蕉の短冊も展覧されています。銀座の画廊を使い、資財の限りを使って小品を中心に収集したという感じの「金にあかした贅沢三昧」コレクションですが、素晴らしいですよ。お勧めです。

 これはコースのなかの一品、「しゃぶしゃぶ」なのですが、ご覧になる通り、素晴らしい美的センス。

写真:丁度マロニエが開花していました。(バラクラ・イングリッシュ・ガーデン)

写真:エクシブ蓼科ロビー

画像:利根沼田広域観光案内所発行「奥利根ゆけむり街道」地図から

画像:
岸田劉生 「村娘」 水彩
絵葉書より。