鹿 教 湯 温 泉

           2013/09/11

 文殊堂の説明看板に次の説明があります。

文殊堂もんじゅどう

 この堂は、行基の弟子園行が創立したと伝えられています。現在は天竜寺(曹洞宗)に属しています。

 堂を建立した当時の記録がよく残されており、元禄14(1701)に着工し、宝永6(1709)に完成したことがわかっています。

 はじめは、正面・側面とも柱4本の正方形の建物でしたが、後に下屋庇(げやひさし)をつけたので、現在側面の柱は5本になっています。屋根は銅板ぶき(かつてはこけらぶき)入母屋造で、正面中央の向拝(こうはい)(登り口でおがむ所)付近や、四囲の欄間などに多くの彫刻がほどこされており、柱、組物などは鮮やかに色がぬられています。また、天上にも絵が描かれ、装飾ゆたかな建物となっています。

 江戸時代中期、元禄時代の仏堂の作風を明瞭に示す県内有数の建物です。

 鹿教湯温泉の斎藤ホテルに興味があったのです。インターネットで調べてみたら、「日帰りコース」というのがあって、¥3,200で温泉に入り、昼食を頂き、和室で一服できるというので、喜んで電話で申し込みをしました。

 いや、驚きましたね。近代的な立派なホテルです。

 いろいろあるものですね。最近私は、ホームページで明治維新の第一号国債の成立の経緯を書いていたのですが、国債の担保は海関税だったのです。その当時の主要な輸出品目は生糸であり、生糸の輸出問屋で最大手は嬬恋村出身の中居屋重兵衛でした。そして、この当時の諸関係をしらべていたら斎藤ホテルにいきあたったのです。

 ホテルへ帰って簡単な昼食をいただきましたが、しばらく中華料理には御無沙汰していましたので、とてもおいしく頂きました。

 辺り全体が森のなかにあり、しっとりとした情緒があって、私の友達もおおいに喜びました。素晴らしい景観でした。まさかこの田舎に奈良時代の行基が開湯した温泉があるなんて知りませんでした。行基が描いたといわれる日本で初めての地図「行基図」には信濃から上野(かみつけ)、下野(しもつけ)へ抜ける道が記載してありますから、彼は現在の松本から三才山越えで小諸へ抜けたのかも知れませんね。あるいは、中仙道を通り、諏訪から丸子町にいたり、そこで鹿教湯まで寄り道したのかも知れません。行基は日本全国の開発に尽力し、また、聖武天皇のもとでの東大寺建立を支援したたいへんな偉人だったのです。「行基によって開湯」というのは、日本の温泉のなかでも最高(最古?)ランクを示すのです。

画像:行基図

写真:文殊堂

写真:斎藤ホテル

 ここしばらく、原稿つくりの仕事に追われていたので時間がなく、温泉探訪もお休みにしていたのですが、外国語翻訳をともなうきつい仕事が一段落したので、老齢のお友達を誘って、久し振りの温泉探訪です。

 私の住んでいる蓼科から、車で1時間20分程にある鹿教湯温泉にきました。

写真:文殊堂より薬師堂を望む。

 到着したのは11時過ぎでしたが、ロビーは人でいっぱいでした。「日帰りコース」は11時半からでまだ早かったので、直ぐ隣接の湯坂、五台橋を通り、文殊堂へお参りに行きました。文殊菩薩の化身である鹿が一人の信心深い猟師に丸子町に湧く温泉を教えてくれたから、「鹿が教えてくれた湯」です。また、般若波羅蜜多経のなかで哲学概念「空」を説いたのが、「文殊菩薩」ですから、お釈迦様の弟子のなかでは一番聡明であった、とされるのです。ですから、智恵の象徴。「三人集まれば文殊の知恵」。ありがたい菩薩なのです。

清潔で設備も整っているし、温泉も肌にやさしいから、今度は泊まりで美味しい食事を食べるために行きたいですね。

では、皆様、ご機嫌よう。

ホテルでお会いした斎藤(前)社長にお聞きしたら、このホテルは昔「斎藤旅館」という名前で、このホテルの場所ではなかった。古い斎藤旅館を壊して新しくこのホテルを建てたのだが、斎藤旅館の場所に倉が五つあって、これらの倉を取り壊したときに大量の古文書や小銭やらなにやらいっぱい出て来たのです、だって。おおらかですね。

なにしろ斎藤家というのは真田信之と幸村の時代からこの土地を治めていた名門なのですから。関ヶ原以降のことは、なにもかもこの倉につまっていたのでしょう。

写真:「花園」西山勇三

 こう書いてありました。

明治10年(1877年)頃の横浜の地図です。この港が横浜港(イギリス波止場)です。まさに象の鼻の形をしています。この地図も実は信州にあったものです。上田市の鹿教湯温泉にある斎藤ホテルは、当時、旅館の他に製糸工場も営んで外国との取引がありました。そのため、横浜から多くの文書が信州にやってきました。この地図もその一つです。(出典

画像:斎藤ホテル所蔵「横浜案内絵図」1877年頃

写真:薬師堂の茅葺屋根に生える苔。もうすぐ屋根が腐りそう。でも美しい。

 お風呂も素敵でした。

写真:行基菩薩

写真:五台橋から薬師堂を見上げる。

写真:湯坂をおりて五台橋に至る。