私の考えるところは次の二つである。


1. どちらが「正義」か?

 第一号国債成立の際、伊藤博文が主張するように、「英国側が日本に嘘をつき、3%のピンハネをしたのか」、それとも英国側の主張する通り、「英国は日本側が当初受諾した一任契約を粛々と実行した」のか、どちらが正しく、どちらが「正義」であるか、の問題である。

 私の考えるところでは、伊藤博文が、金融界の常識をわきまえていなかったところに原因があるので、英国側の主張が正しい。すなわち、正義は英国側にある。

問題の所在と解決法

  ここまで書いてもまだ英国政府は納得しないに違いない。

 なお一つ、「哲学の問題がある」、と言い出すはずだ。

 日本の国は聖徳太子の国である。もともと民主主義の国だ。フリードリヒ大王の時代にあっては、ジョン・ロックがポツダムの宮廷に出入りして厚遇を受けていた。ところが、ビスマルクによってドイツの哲学はカントに代表される「絶対主義」の哲学に改変され、これがカイゼル・システムによって日本の大学に入り込んで、今でも東京大学と京都大学に居座っている。

 憲法の根本は哲学思想なのであるから、ドイツと日本は「哲学問題をどうされるのですか」と聞いてくるはずだ。

 この根本問題については、最終の「民主主義の立場から見た形而上学」の項で議論したい。

伊藤博文の「女」問題

ついでだが、伊藤博文の「女」問題。これもいまわしい記憶である。消し去っておきたい。

 私は、私が思いつく範囲のなかで、その当時伊藤博文がビスマルクによってでっちあげられた「嘘」を見抜けずに、ビスマルクの「罠」に嵌っていった経緯を、合理性をもって解説した。

1.の問題については、143年後の今、日本政府は英国政府にたいしてその非礼を謝罪すべきである。

2.の問題については、私の推理にもし1%でも真実の可能性が認められるならば、日本政府は明治政府になりかわって、ドイツ政府経由で、あるいは直接に、英国王室に全額を返済するのが「正義」をとりもどすための必要不可欠の方策である。

2. 伊藤博文はヴェルフ基金を、ドイツ側の賄賂として受領したかどうか、の問題である。ヴェルフ基金はもともと英国王室の財産であるから、伊藤博文がビスマルクから受け取って、そしてまだ憲法の定めもなく無秩序であった明治政府の闇のなかで待合政治の資金源として使ったのであれば、「全額かならず返金」しなければならない。これは民主主義日本国にとって「正義」を取り戻すために必要な最低限の措置である。

 以上を整理すると、現在でも日英間にわだかまっていて相互不信の原因になっている問題は二つある。政治体制の違いからなんと143年間もの永きにわたって未解決のまま放置されている問題である。

 民主主義の時代になり、英国も日本も同じ民主主義なのであるから、考え方を整理して解決すべきである。

 以上。

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女に殺された伊藤博文
前坂俊之

 私たちの時代は民主主義の時代である。明治政府がドイツから導入したカイゼル・システムによって支配されている時代ではない。即ち、プロイセン王国が明治政府に与えたカイゼル・システムがそう教えるように、「帝国政府は無謬性」ではない。明治政府は間違っていたのである。これを認めて、正しき是正措置を講ずれば、「正義」は取り戻せる。

 この二点は、第二次大戦後ただちに是正しておくべきところであったが、米国政府の指導に欠けるところがあり、日本政府はひきつづき「明治帝国政府の無謬性」概念を守護しつづけているので、未解決のままとなっている。

 また、伊藤博文以来、日本国はビスマルクのいいなりになり、プロイセン式のエクスパンショニズムを採り入れた結果近隣諸国への侵略という二次的な事態が生じた。この点も認識を変える必要があるように思われる。

 このように筋道を辿って考えてみると、民主主義ルールの下にくらしている私たちは、これ以上、このテロリストを、「無謬性」があるとして尊崇する必要などさらさらないように思われる。彼こそ明治以降の無方針で暗い低空飛行状態を作った元凶なのだ、として弾劾すべきである。

このテロリストを、同時代の英国の首相ディズレリに比較しようにも、そもそも教養からしても品格からしても、隔絶していてお話にならない。伊藤博文は、ビスマルクの手下役として必死に働いたたんなる「猿」だったのだ。こう結論づけておいておかしくないように思う。