モ ー ビ ル 定 期 船

原典:The "Mobile Packet"

 デンビー号は次の四ヶ月に更に四回寄航した。モービル港の波止場に到着することが当たり前になったので、この船は「定期船」というニックネームを頂戴した。不承不承ながらも尊敬を強いられた合衆国海軍は、デンビー号を捕まえようとやっきになった。造られたばかりのときは速い船として知られてはいたのだが、封鎖を突破するときには、速度よりもステルス(感知されない)能力によりおおく依存していたように思われる。少なくとも幾つかの場合、デンビー号は「ザブン(水を跳ね返す音、the Swash)」と言う名の狭い水路を使った。これは、モービル湾の入口から湾岸に沿って東に走る水路であって、主たる深い水路とは別ものであった。デンビー号は背が低く、吃水も浅いので、砂浜と封鎖艦隊の間を簡単に走行航海することが出来、その背後にぼんやり見える陸地とはほとんど見分けがつかないことが期待されていた。

デンビー号の七回目のそして最後のモービルの入港は、18647月だった。ちょうど合衆国艦隊がモービル湾を手中に収めてこの街のメキシコ湾への出口を閉め切ろう、と所定の位置についているところだった。デンビー号は726日、ふたたび封鎖艦隊をなんとかすり抜けた。これがこの港から逃げ出した最後の封鎖ランナーであった。合衆国の攻撃は85日夜明けに始まり、ファラグー提督は彼の旗艦ハートフォードを、抜き打ち的に、入り江の入口にあるモーガン堡塁を通り越させた。こうしてガルベストン港だけがメキシコ湾で封鎖突破できるただ一つの港になってしまった。

 スワッシュを走り抜けるのは危険な戦術だった。そして、デンビー号がモービル港に次回入港したとき、67日の早朝、封鎖艦隊の幾隻かの砲火に曝された。日の出時に、デンビー号は浅瀬に座礁したが、そこはモーガン堡塁の領域であり、合衆国海軍の大砲の有効射程距離外であった。ファラグー提督(右図)はデンビー号が定期的に入出港するのを時とともにいやます狼狽で眺め、一人の友人に手紙を書いた。

 私たちはデンビー号をほとんど捕捉できる近さにきた。・・・・だが、あれは私たちには機敏すぎる。やつは、我々すべてを回避し、入り込み、堡塁の下にいる。よくわからないけれど、我々の船があれに一撃をくらわせることもできよう。それはできるはずなのだが、(堡塁からの反撃で)相討ちになることを恐れてしまうのだ。

正月が明けてからすぐ、デンビー号はキューバのハバナ港からアラバマ州モービルにむけて初航海を行った。初めて封鎖を通り抜けようとしたとき、この船はモービル湾の入口にあるモーガン堡塁の近くで深い霧のため座礁してしまった。合衆国の封鎖船がこれを見つけ、発砲したが、命中したのは一度で、弾丸はデンビー号の操舵室を通り抜けて行ったので、著しい被害とはならなかった。モーガン堡塁の砲台が反撃し、報告されたところによれば、合衆国の船一隻に三回着弾し、その他の戦艦を追い払った。デンビー号は座礁したまま数日間、合衆国の戦艦からの長距離(そして不正確な)砲撃に堪える一方、浅瀬から救い出す試みが行われた。デンビー号の乗組員達は沢山の積荷を降ろし、船をなんとか離岸させ、船は安全にモービル港に帰った。

翻訳:

画像

(翻訳者注)画像:©2013 Google。モービル港(A印)とハバナ港の位置関係。両港間の距離は約1,000km。(13.7ノットでざっと40時間の航程)

画像デンビー号はハバナとアラバマ州モービル(上図)との間で運行する有名な封鎖突破船となった。

(翻訳者注)画像:Google。モービル港