What Steely Dan Is


1972年、スティーリー・ダンはデビューする。

軽井沢の浅間山荘で連合赤軍と機動隊の模様が連日テレで実況中継された年です。横井庄一さんがグアムで発見 されたのもこの年でした。

この年にリリースされたアルバムは、The Band「 Rock Of Age ( Live ) 」、Neil Young「 Harvest 」、 Stevie Wonder「Music Of My Mind 」、Deep Purple 「 Machine Head 」、David Bowie 「Ziggy Stardust 」、 Pink Floyd「 雲の影 」、Rolling Stones 「Exile On Main Street 」、Yes「 Close To The Edge ( 危機 )」、 Doobie Brothers「Toulouse Street (セカンド) 」、Eagles「ファースト」 、Earth Wind and Fire「ファースト」 、 Hall and Oates「ファースト」 、Loggins and Messina 「ファースト」 、Tood Rundgren「Something/Anything」、 Roxy Music 「ファースト」 、Frank Zappa「The Grand Wazoo」等が有る。
デビューしたのは、上記の様なアーティストがロック・ミュージックの色彩を依り豊かにして行った時代である。

そんなロック・シーンの中でも、彼らはユニークな存在だった、グループのソング・ライターである、ドナルド・フェーゲンとウォルター・ベッカーは、幼い時分からジャズが好きで少年期からジャズを聴いて育つ、ファースト・アルバムからの最初のシングル「ドゥ・イット・アゲイン」が、全米チャートで6位まで上がるスマッシュ・ヒットとなり、一躍その名前を知られる事とになる。しかし、彼らは3枚目のアルバム位から、ロック・グループとしての形態をとらず、フェイゲンとベッカーが選んだグループ外のミュージシャンを呼びアルバムを作る様になった。

1970年代、ソロ・アーティストが1つのアルバムで、彩りを増すためにソロ・パート(サックスとかギターのソロ)を曲によって参加させることがあっても、Steely Danの様に、同じアルバムでも1曲1曲、リズム・セクションまで曲ごとに、その曲に合ったミュージシャンを選択してレコーディングを行うことはなかった。(Ajaでは、1枚のアルバムになんと6名のドラマーが参加している)
 Steely Dan に参加した、一流のミュージシャンもSteely Danの音楽の中では彼らの音楽の一部になっていた、普通はそのスタジオ・ミュージシャンの音がアーティストの個性を無くしてしまうことがあるのだが、参加プレーヤーもSteely Danのサウンドの一つになることに快感を見つけたようにプレーしている。(もしくは、そうコントロールされている)

又、通常のロック・グループはツアーに出てアルバム・セールスを上げることになるのですが、Steely Danは、1974年に、1度コンサート・ツアーを行ったのみで、全くのレコーディング・グループとなる。 そして、レコーディングに没頭する彼らは、アルバムをリリースするごとにセールスを伸ばし1976年「幻想の摩天楼」、1977年「彩」、1980年「ガウチョ」で誰にもまねのできない、スティーリー・ダンのサウンドを創り出して行った。

しかし1981年から12年間、フェイゲンとベッカーは、離ればなれになる。しかし、1993年、誰も予想していなかった、驚きのコンサート・ツアーという形で、私たちの前に再び現れ活動を再開させた。

1993年3月、8月、9月、1994年4月、8月、9月、ツアーを行い、 1995年、ライブ・アルバム「Alive In America」をリリース、1996年再びヨーロッパを含むツアーを7.8.9.10月におこなう、 1997年沈黙、1998年沈黙、1999年沈黙 2000年2月28日、20年ぶりに新譜をリリースし、ワールドツアーを行った。



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