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以前の「ひとこと」 : 2006年1月後半



1月16日(月) 公平に分ける話(その4)

 ケーキを3人で公平に分ける話の続きです。今日から、この分野で過去に提案されているという古典的な方法をいくつかご紹介してゆこうと思います。

 今日は、1944年に Steinhaus という人が提案したという方法をご紹介します。 Aさん、Bさん、Cさんの3人がケーキを「公平に」分ける手順を説明したものです。


1. Aさんが(自分の基準で)3等分する。

 Aさんは3つの切れ端のうち、どれが自分に当たっても文句がないように分けます。

2. Bさんは、Aさんが切った3つの切れ端のうち、

 ・自分が欲しいものが1つしかない場合は、それ以外の2個に「不公平!」マークを付ける。
 ・自分に当たっても良いものが2つ以上ある場合は「パス」する。

3. Bさんが「パス」した場合

 ・まずCさんが1つ選ぶ。
  Cさんは好きなものを選べますから、不満はありあません。

 ・次にBさんが残った2つから1つ選ぶ。
  Bさんは、手順2で「パス」したので、自分に当たっても良いものが少なくとも2つはあったはず。ということはCさんがどれを選んでも、Bさんが欲しいものは少なくとも1つは残っているはずです。

 ・最後にAさんが残ったものをもらう。
  そもそも分けたのはAさんですから、Aさんはどれが残っていても文句はないはずです。

4. Bさんが「不公平!」マークを2つに付けた場合

 今度はCさんが、手順2のBさんと同じく
 ・「不公平!」マークを2個つけるか
 ・「パス」するか
 を選択します。「不公平!」マークをつける場合は、Bさんと同じでも違ってもかまいません。あくまでもCさんの主観で付けます。

5. Cさんが「パス」した場合
 (すでにBさんは「不公平!」マークを付けている)

 この場合は、「Bさんは欲しい切れ端は1つしかない」(だから欲しくない2つにマークした)けれども、「Cさんは自分に当たってもよい切れ端が2つ以上ある」(だからパスした)ということですから、Bさん、Cさん、Aさんの順に取れば文句はないはずです。

6. Cさんもまた「不公平!」マークを2つに付けた場合

 切れ端は全部で3個です。BさんとCさんがそれぞれの基準で「不公平!」マークを2つに付けたとすると、少なくとも1つは、BさんとCさんの両方の「不公平!」マークのついた切れ端があるはずです。「不公平!」マークはつまり、「これは私は欲しくない」マークですから、BさんとCさんの両者から拒絶された切れ端、これをAさんがもらいます。 (Aさんは最初に3等分しているので、どれをもらっても文句はないという前提です。) 

7. 残った2つの切れ端を、BさんとCさんで分ける

 残った2切れのうち、もしもBさんとCさんの「不公平!」マークが別の切れ端についていたら、それぞれが欲しいものを取ればよいでしょう。
 また、もしもBさんとCさんが同じ切れ端が欲しい場合は、一旦この2つの切れ端を一緒にしたうえで、「一人が切ってもう一人が選ぶ」という、2人で公平に分けるという手順を適用すればよいでしょう。


 というのが Steinhaus の手順だそうです。いかがでしょうか。この方法はそれぞれの主観で3分の1以上の取り分が保証されるでしょうか。また無羨望(envy-free)でしょうか。(「無羨望」については、一昨日のひとことをご覧下さい。)

(つづく)

<おまけのひとこと>
 この「公平に分ける話」、話題として面白いですし、図やCGや模型や写真を用意するより楽かなあと思ったのですが、とんでもない、かなり大変です。 読んで理解していただくのもちょっと大変かもしれません。(すみませんこれは私の力量不足ですね。)






1月17日(火) 公平に分ける話(その5)

 ケーキを3人で公平に分ける話の続きです。昨日は「Steinhausの手順」というのをご紹介しました。ちょっとややこしい説明になってしまっていましたが、要は


・Aさんは自分がどれが当たってもいいように3つに分ける。
・Bさん、Cさんは、「自分の取り分として許容できるものがどれなのか」宣言する。
・BさんとCさんが許容できるものが同じ1個に集中した場合は、Aさんがそれ以外の1個を取った後、
 BさんとCさんは「二人で公平に分ける手順(一人が切ってもう一人が選ぶ)」で分けなおす。
・BさんとCさんが許容できるものが別の切れ端にできる場合は、そのように割り当てる。

 というものでした。この方法は、それぞれの価値基準で1/3以上は保証できるはずですが、無羨望(envy-free)ではありません。たとえばBさんとCさんが「同じ1個が欲しい」ということになった場合は、Aさんがそれ以外のものを1つ取った後で、「切りなおし」されるわけですが、Aさんにしてみれば、自分がどれを取っても公平なように3つに分けていたわけですから、それを切り直すと、(Aさんにとっては)自分の取り分よりも魅力の増した切れ端ができることになります。



 続いてご紹介するのは、「Banach-Knasterの手順」というものです。これは、Stefan Banach と B.Knaster という人が発表したものだそうで、3人以上の何人でも適用できる方法です。 個人的には「オークション方式」という呼び方がわかりやすいのではないかと思っています。 一応、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんの4人で分けるものとします。


1. Aさんが(4人なので)4分の1だと思われる量だけ切り取ります。

 他の3人が認めてくれれば、これはAさんのものになります。

2. Bさんは、Aさんが切った切れ端が、

 ・4分の1もしくはそれ以下で、Aさんにあげても自分の取り分がAさんより少なくなることはないと思う場合は「パス」します。
 ・Aさんの分が4分の1より大きいと思った場合は、Aさんの切った切れ端を、さらに「自分の取り分として妥当な大きさに」小さく切ります。

3. Cさんも、手順2のBさんと同じ選択をします。

 ・最後に切った人(AさんもしくはBさん)の取り分が妥当だと思えば「パス」し、
 ・大きすぎると思ったら、「自分用に」小さく切りなおします。

4. 以下同様に3人が続けて「パス」するまで、切れ端を小さくしてゆきます。

 「切れ端をさらに小さく切りなおす」というのは、その切れ端をオークションのように「競り落としている」わけです。他の人みんなが「パス」してくれたら、晴れてその切れ端を「競り落とした」ことになります。競り落とされた切れ端は、その人がもらって分割手順から抜けます。これで一人減りました。

5. 以下同様に、残ったケーキに対して、一人減った3人で同じ手順を繰り返します。

6. 最後に二人になったら

 「一人が切ってもう一人が選ぶ」方式で分割して、終わりです。


 通常のオークション(せり)は、競り落とすものが決まっていて、その金額を高くしてゆくことで競り落とします。ところがこの「Banach-Knasterの手順」では、参加者は全員、N分の1を受け取る権利があるということで、いわば全員が同じ金額を持っていて、常に同じ金額を提示して競りを行います。 このオークションでは、金額を変える代わりに、その金額で買い取れるケーキの量を減らしてゆくことで「せり」が成立するのです。

 この方法だと、一般的な人数に対して適用できることは簡単にわかると思います。ただ現実問題としては、この方法は最初に「N分の1として妥当かどうか」がわかりにくいということはあるかもしれません。また、本当にケーキでやったとしたら、細かい切りくずがたくさんできてしまって、ケーキが台無しになってしまいそうです。

 この方法も、N人で分けるときに理想的には(本人の主観での)N分の1を保証する手順ではあるのですが、無羨望(envy-free)ではありません。明日は「無羨望な手順」として、J.Selfridge と J.H.Conway が独立に提案したという方法をご紹介しようと思います。

(つづく)

<おまけのひとこと>
 今朝はうっすらと雪が積もっていたので、玄関の前をほうきで掃きました。氷点下で日も射していないので、さらさらしていて、掃いた下は乾いています。このくらいの量だとありがたいです。






1月18日(水) 公平に分ける話(その6)

 ケーキを3人で公平に分ける話を続けてきましたが、一応今日で最終回にしようかと思います。一昨日の「Steinhausの手順」と、昨日の「Banach-Knasterの手順」は、残念ながら無羨望(envy-free)ではない、つまり、分割した後、誰かが他の人の取り分のほうがうらやましくなってしまうということが起こらないとは言えない手順でした。今日は、この「無羨望」が保証されているという、J.Selfridge と J.H.Conway が独立に提案した手順を説明したいと思います。そう、娯楽数学ではいろいろなところでその名前に出会う、あのコンウェイです。



 以下、AさんとBさんとCさんがケーキを3つに分ける時のSelfridge と Conwayの手順を説明します。


1. Aさんが自分の基準で3等分だと思われるように3つに分けます。

2. Bさんは、

 ・3つとも同じだと思うか、もしくは小さいと思われる1つを除いた2つが同じ大きさだと思う場合は「パス」します。
 ・一番大きいものが1つだけあると思った場合は、2番目に大きいと思われるものと同じ大きさになるように削ります。
  削り取られた小さな破片は「残り」として取り分けておきます。

 「残り」が出る、出ないにかかわらず、この手順の結果、Bさんの基準で一番大きい「取り分」は2つ以上あるはずです。

3. Cさん、Bさん、Aさんの順に、とにかく一番大きいと思われるものを選びます。

 ただしBさんは、もしも手順2で「パス」していなければ、 自分が選ぶ際には、自分が削った切れ端が残っていたらそれを取らなければいけません。(Cさんが先にそれを選んでいたら、もちろんそれ以外の好きなほうを選びます。)

 この段階で、「残り」の分を無視すれば、無羨望(envy-free)が実現されています。 もしもBさんが手順2で「パス」していたら、「残り」はありませんから、これで丸く収まったことになります。以下、「残り」が出た場合について考えます。

4. 手順2でBさんが「削った」場合、その「削られた切れ端」はBさんかCさんの手に渡っているはずです。BさんとCさんの二人のうち、「削られた切れ端をもらわなかった人」が、「残り」を(自分の基準で)3等分します。

5. 最後に、3つに切られた「残り」を、1.削られた切れ端をもらった人、2.Aさん、3.残りを切った人の順に選びます。

 Aさんは、最初に自分の基準で3等分しています。ということは、「削られた切れ端」をもらった人に対しては、「残り」を全部その人にあげたとしても、不満はないはずで、それよりも少しでも自分の取り分が増えれば、うらやむ必要はありません。「残りを切った人」に対しては、自分が先に「残りを3つに分けたもの」を選べますから、やはり不満はないはずです。

 「削られた切れ端」をもらった人は、3つに分けられた「残り」から最初に選べますから、これも不満はありません。最後に、「残り」を3等分した人は、自分の基準で3等分しているわけですから、「残り」からもらう分け前には不満はありません。


 いかがでしょうか。この方法は、細かい破片が際限なくできたり、一度切ったものをくっつけて切りなおしたりという手順が生じないので、かなりスマートだと思います。

 そもそも二人で公平に分けるという「一人がカットしてもう一人が先に選ぶ」(cut and choose) という方法も、立場が対称ではないので、本当の意味では公平ではないと思います。特に二人の価値基準が全く違う場合、カットする人は、ともかく自分にどちらが残されても後悔がないように切りますから、分けた結果、相手が羨ましくなることはない代わりに、「自分の取り分のほうがずっと嬉しい」と思うこともないわけです。ところが選択する立場の人にとっては、相手のものより自分が選んだもののほうがはるかに好ましい、「得をした」と思える可能性があるのです。これは不公平だと思います。

 では、もっとよい方法はあるでしょうか? たとえば適当に2つに分けておいて、そのそれぞれについて、「一人がカットしてもう一人が選ぶ」というのを、立場を変えて実行したらもっと公平になるのでしょうか。 (その場合、最初に「適当に分ける」のはどういうのが「適当」でしょうか。それぞれの破片を切る人は、どっちがどっちを担当すると決めればいいでしょうか。)



 言葉だけのややこしい(上手でない)説明で、興味を持っていただけたかどうか心配ですが、「ケーキを3人で公平に分ける方法」の話はこれでおしまいにしたいと思います。メールでご提案いただいた2つの方法についてもご紹介しようかと思ったのですが、内容についてコメントできる自信がないので割愛させていただきます。 最後のコンウェイの手順については、マーティン・ガードナーがサイエンティフィック=アメリカンの名物コラム「数学ゲーム」で紹介しているそうです。私はガードナーの「数学ゲーム」は全部は持っていないので、手元の本にはないのですが、ご存知の方も多いのかもしれません。

 ちなみに今回の一連の「公平に分ける話」は、同じくサイエンティフィック=アメリカンのコラムを書いていたイアン・スチュアートの本“MATH HYSTERIA”の第12章がネタ元です。ありがとうございます。この方の本も本当にはずれがありません。この本の別の章にも面白い話題がたくさんあるので、また折を見てご紹介したいと思います。

<おまけのひとこと>
 今年に入ってとても忙しくて、楽器にさわる時間がぜんぜんとれません。今月は結局一度も練習には行かれないですし、これ以上下手になったら困るなと思っているのですが・・・






1月19日(木) 複数の多面体を同じ平面図形に切り開く

 ずっと以前、02年2月24日のひとことで、展開図と多面体というページがとても面白いということを書いたことがあります。 普通、多面体の展開図というと、多面体を稜に沿って切り開いて平面にしたものですが、ここでは面の内部にも切込みをいれてもよいというルールで展開図を考えることにします。そして、同じ平面多角形から出発して、さまざまな3次元の多面体が作られる様子を研究されていて、非常に面白いです。

 このページを公開されている愛媛大学の平田先生がその後発表されている文献には、さらにおもしろい話がたくさん出てきます。その中の1つに、「2つの多面体が指定されたときに、一つの平面図形から2つの多面体を作ることができるか?」という問題があります。言い換えると、表面積が同じ2つの多面体が与えられたとき、そのそれぞれに適切にはさみを入れることで、合同な平面図形に切り開くことができるか? という問題です。

 一例として、平田先生が発見されたという、「正四面体と、立方体にかなり近い正四角柱の両方を作れる、“干”という文字のようなかたちの図形」の図をご紹介したいと思います。

図 1 : 正四面体

 点線のところで折り曲げてみると、正三角形4枚分になっているのがわかると思います。

図 2 : 正四角柱

 同じ形を、別な折り方をすると、図2のように直方体(正四角柱)が作れるのです。ただし、上下の正方形の面は、ダンボールのふたのように真っ二つに切断されています。(問題:この正四角柱の高さは、底面の正方形の1辺の何倍でしょうか?)

 この図を見て、そそっかしい私は、「正二十面体の展開図でも似たようなことができるのでは」とはやとちりして、正三角形の格子パターンの図の上にいろいろな絵を描いてみたのですが、うまくいきませんでした。

<おまけのひとこと>
 昨夜帰宅すると、子供の小学校の文集の手書きの原稿が家にありました。7行ほど、「父母の記入欄」というのがあって、さあ何を書こうか、妻がさんざん悩んでいました。






1月20日(金) ミクロコスモス

 詰将棋というのは、それだけで広大なロジックとパズルの世界を構築している遊びです。以前にもご紹介したことがありますが、数学者の野崎昭弘先生が、「ロジカルな将棋入門」という著書の中で、“私などは「世界中で一番おもしろい一人遊びは、日本の詰将棋ではなかろうか」と考えているくらいです”と述べられています。 私は棋力がないので、ちょっと手数が長くなると自分では解けないので、もっぱら観賞して楽しむくらいなのですが、名作詰将棋というのは大変感動します。

 最新号の「将棋世界」という雑誌の今月号の別冊付録が、有名な「ミクロコスモス」というタイトルのついた詰将棋の解説でした。この付録が欲しいばっかりに、いつもは買わないこの雑誌をお正月に買いました。

ミクロコスモスの世界

 橋本孝治 作、ミクロコスモス。手数はなんと1525手詰、これで厳密に詰将棋のルールに則って、常に王手をかけながら玉方が最善手で受けることを続けて、きちんと一本道で詰むのですから恐れ入ります。

 「詰将棋」は江戸時代にさまざまな趣向を凝らしたたいへん優れた創作がなされており、現在でも精力的に研究されています。 この「別冊付録」には、橋本孝治氏ご自身の「ミクロコスモスを巡る詰将棋の世界」という12ページほどの小論が掲載されていて、これがまた詰将棋の魅力がたいへんよく説明されています。この別冊付録のためだけであっても750円は高い買い物ではないと思います。お勧めです。

<おまけのひとこと>
 今日は小学校は中・高学年はスキー教室です。低学年は「お正月の遊び会」というのがあるのだそうで、百人一首を持っていくそうです。(ぼうずめくり、でしょうねきっと。)






1月21日(土) リコーダー二重奏

 都合があわなくて、12月のはじめからずっとアンサンブルの練習がないのですが、二重奏でやりたい曲を少しずつ探しています。

 小品集の楽譜に入っていた、シックハルト(J.C.Schickhardt)のCorrenteをMIDIにしてみました。

cor3.mid(5kbyte)

 同じ音域の楽器2本の楽譜だったのですが、MIDIでは2ndのパートを1オクターブ下げてみました。

<おまけのひとこと>
 下の子が「お正月の遊び」で学校に百人一首を持っていったというので、「ぼうずめくりをやったの?」と尋ねてみたら、それもやったけれどもちゃんと「かるた」としても遊んだというのでびっくりしました。先生に読んでもらったの?と尋ねると、自分が詠み手になったそうです。え、やってみせて、と頼んだら、なかなか立派に詠んでいました。お正月に家で何度もやったので、ふしまわしを覚えたようです。 少しずつ歌も覚え始めてくれたようです。






1月22日(日) 八ヶ岳博物館

 写真を整理していたら、ずっと以前、八ヶ岳博物館に行ったときに、等高線模型の写真を撮ったものが出てきました。

図 1 : 八ヶ岳の模型

 実際に見える八ヶ岳の写真と比べてみました。(写真のほうも古いものです。)

図 2 : 八ヶ岳の写真

 模型は、高さが強調されていますが、それでも(あたりまえですが)ちゃんと模型と本物の対応がとれていて楽しいです。

図 3

 南側から模型を見たところです。模型って面白いですね。

<おまけのひとこと>
 昨日は、地域の小中学校の重唱大会と合唱交歓会がありました。子供を送りがてら家族全員で見に行きました。






1月23日(月) バトルラインのセット

 濱中さんのページで紹介されていた「トランプ版バトルライン」が我が家で流行っています。濱中さんに習って、細長いカードを100円で買ってきました。

図 1

 我が家のバトルラインキットです。役の順番がわかるように、カードを用意しました。

図 2

 我が家のローカルルールでは、「とにかく最後までプレイする」ということでやっています。(といっても一度は私が途中で勝手に「負けました」といって投了してしまいましたが。)

<おまけのひとこと>
 ゆうべ、ちょっと歯が痛くて困りました。今朝起きたらだいぶましになりましたが。
 週末3日分、まとめて更新です。






1月24日(火) 「幾何学再発見」

 お正月に、「幾何学再発見」(瀬山士郎 日本評論社 2200円+税)という本を買いました。

図 1

 楽しく読めました。 個人的には第6章の「長さの和を最小にする問題」とか、第8章の「補助線の楽しさ」、第9章の「奇妙に難しい問題」などが楽しかったです。第8章の問題の1つに、下の図2(本書では図8.8)がありました。

図 2

 この本から1つだけ図を紹介するときに、よりによってこれか、と思われるかもしれませんが、これはパズルなどで有名な図だと思います。皆さんはこの図からどのような問題を思い浮かべますか?

(つづく)

<おまけのひとこと>
 今年のお正月休みには、本をたくさん読みました。ジャンルはさまざまですが、小説の類は20冊くらい読んだでしょうか。このところ流行の藤沢周平も何冊か読みました。その中の1冊、「三屋清左衛門残日録」の中に、こんな一節がありました。

 「人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、」

 かくありたいものだと思います。

 今朝は下の子の鉛筆を削ってやりました。学校へ持ってゆく鉛筆は、めったに「削って」と言いません。学校の鉛筆削りで削っていると思いきや、前回私が削ってやったままのようなのです。手で削っているので、折れにくいように、長持ちするように削ってはいるのですが、それにしても今の学校はあんまり鉛筆が減らないような授業をやっているのかな、と思いました。






1月25日(水) 格子の上の2つの角

 昨日、正方形が3つ並んだところに、辺の比が1対1の正方形の対角線、比が2対1の長方形の対角線、同じく3対1の長方形の対角線を描いて、その3つの角に関する問題を見たことがありますか、という話を書きました。

 正方形の対角線の角度が45度だというのは有名な話なので、それ以外の2つの角が問題です。下の図の(a)が昨日の問題を表しています。実はこの問題は、この2つの角の和を求めてくださいというものなのですが、ご存知でしたでしょうか。

図 1

 同じような問題はいくつも考えることができます。あまりマス目の数が多くならない範囲で3つほど類題を考えてみました。(b)が1対5と2対3の対角線、(c)が1対4と3対5の対角線、(d)が1対7と3対4の対角線、です。

(つづく)

<おまけのひとこと>
 たいへん間抜けなことに、昨日右手の親指を痛めてしまいました。「ねんざ」なのですが、指の場合は「つき指」というのでしょうか。 長い垂直な円柱状の取っ手のついた重たいドアを右手で開けて通ろうとしたとき、なぜか右手の親指が外れなくて、ところが急いでいて身体は先に進んでいたものですから、親指の根元に、本来曲がる方向とは異なる方向に強い力がかかってしまったのです。
 一晩寝たらだいぶよくなっていて安心したのですが、それでも完全によくなるのは1週間くらいかかるかなあと思っています。この忙しい時期に右手が使いにくくなるのは周りの人にも迷惑がかかるし、困ったなと思っています。このところ忙しくて楽器にもぜんぜんさわっていなかったのですが、それでも怪我で楽器をいじれないと思うと、それも憂鬱です。まあ、箸も鉛筆も普段は右手ですが、左手でも使えるので、そのあたりは大丈夫なのですが。
 あ、でもナイフで鉛筆を削るのは、私は左手にナイフを持って、右手の親指でナイフを押す(というか右手のほかの指で鉛筆を引く)という削り方をするので、これは昨日やっておいてよかったなと思っています。






1月26日(木) 橋本孝治氏の詰将棋

 先週末、雑誌「将棋世界」の別冊付録の「ミクロコスモス」という世界最長の詰将棋についてちょっと書いたのですが、こどものもうそうblogで、より丁寧にご紹介いただきました(こちら)。大変巧みにポイントをまとめていただいてあります。このページの中に、「ミクロコスモス」作者の橋本孝治氏が、ご自身の詰将棋を、web上で棋譜を再現するアプレットを用いて紹介されているページ(橋本孝治 普通詰将棋作品集)へのリンクがあったので、早速見に行きました。

 まだ一部しか見ていませんが、第3番の七手詰、これがとても面白いと思いました。

橋本孝治 詰将棋 第3番
持ち駒なし

 短編ですが、詰将棋ならではのパズルとしての面白さ、この場合は解く面白さよりも趣向の面白さだと思うのですが、それがたいへんよく現れている作品だと思います。少なくとも将棋の実戦では決して現れないような状況です。

 そもそも、将棋というゲームそのものが(それが本業ならばともかく)実生活に特に役に立つというわけではない「あそび」なのですが、こういった趣向を凝らした詰将棋というのは、その2人で対戦するゲームとしての将棋(本将棋)が強くなるためのトレーニングですらない、「あそびの中のあそび」のようなものです。あらかじめ定義された前提に基づいて構築される、構造や論理の面白さ、美しさだけでその価値が論じられるという点で、数学の世界の美しさ、面白さに通ずる世界だと思うのです。



 昨日、とあるところで読んだ短文です。日本語の助詞というのは面白いなあと思いました。

1. 私は一人と猫二匹で暮らしています。
2. 私は一人と猫二匹と暮らしています。
3. 私は一人で猫二匹と暮らしています。

 実際に見たのは上の 1. の文です。(主語「私は」は私が補いました。)これが 2. だと、暮らしているのは人間2人と猫2匹のように読めます。1. の場合だと、「人間1人と猫2匹」が1つの集団なのだ、という感覚が強い感じです。3.の場合は、「人間が一人だ」ということを強調している感じで、その脇役として、猫2匹がいる、という感じです。 おそらく私自身がこの文を書くとしたら、1. の文のような助詞の使い方は思いつかないだろうな、と思って、この表現に引っかかったのでした。

<おまけのひとこと>
 仕事がますます忙しくなってきました。
 おかげさまで指のほうはだいぶよくなってきました。親指を使わないでワイシャツの袖のボタンをはめるのが大変だ、ということがわかりました。ちょっとメールのお返事が遅くなりそうです。ごめんなさい。






1月27日(金) 格子の上の2つの角(その2)

 「幾何学再発見」(瀬山士郎 日本評論社 2200円+税)に載っていた、下の図の話の続きです。

再掲図

 角a は45°というのはすぐにわかりますので置いておいて、それ以外の2つの角の関係がどうなっているでしょうか、という問題です。「幾何学再発見」では、“角a = 角b+角c”を証明してください、という問題になっていましたが、私がかつて見たことがあるのは、“角a+角b+角c は何度?”という問題でした。

 瀬山先生の出題のほうが、問題としては優れていると思います。ちなみに、これを計算で解く方法として、こんな例が挙げられていました。

 tanの和の関係を利用して、上の式のように計算すると、tan(b+c)が1になる、つまり角bと角cの和は 45°だ、ということです。 (もちろん、「幾何学再発見」では、この方法だけを説明しているわけではなくて、ちゃんと小学生にも通用する、エレガントな幾何学的な解が載っています。)

再掲図

 おなじように、tanの和の公式に、上の図の(b),(c),(d)を当てはめてみてください。(b)は 1/5 と 2/3、(c)は1/4と3/5、(d)は1/7と3/4、です。これら2つの分数の和と、2つの分数の積を1から引いたものの比はどうなっているでしょう? こういうきれいな結果になるような2つの分数の組は、どうやったらみつけることができるでしょうか。どんな分数でも、相手の分数を見つけてやることができるでしょうか?

(つづく)

<おまけのひとこと>
 blog ろくはロッパの… でも、“arctan(1/2)+arctan(1/3)がきれいな角度だということですね”というコメントをいただきました。ありがとうございます。

 すみません最近は平日はこのページの更新をする時間をとるのが精一杯で、メールが思うように書けないでおります。失礼を重ねております。






1月28日(土) 『素数の音楽』

 うちの家族は図書館が好きです。欲しい本や読みたい本、見たい本を全部買っていたらお金も本の置き場も足りないので、借りて済ませられる本はできるだけ図書館を利用することにしています。 私の住んでいる近隣の6市町村の図書館は、同じカードで本を借りることが出来て、なおかつどの図書館に本を返しても良いというありがたいシステムなものですから(今はどこでもそのようなサービスがあたりまえなのかもしれませんけれども)、いつも20〜30冊くらいはそこかしこの図書館の本を借りています。

 たとえば平日に家族が図書館に行ったときなど、「おみやげ」に私の好きそうな本を見繕って借りてきてくれることがあります。先日、妻が借りてくれたのが「素数の音楽」(マーカス・デュ・ソートイ 著、 冨永星 訳、新潮社)でした。確か「数学セミナー」の2006年1月号に書評が載っていて、読んでみたいと思っていたのでした。

「素数の音楽」

 これがもう、ものすごく面白い本でした。やめられなくなってしまって、一気に読んでしまいました。 この本の中には、おもしろい、感動的なエピソードが山ほどあって、いまだ興奮さめやらず、という感じです。

 ぺらぺらと本をめくってみると、引用したくなる箇所がたくさんあるのですが、とりあえず本論とあまり関係しない、この本を紹介する方が普通選らばなそうなところをちょっと抜書きさせてもらいます。


 1722年、フランスのバロック作曲家ジャン=フィリップ・ラモーは「これほど長いあいだ音楽にたずさわってくるなかで得られたさまざまな経験に逆らうつもりはないが、数学の助けによってはじめて私の考えがはっきりしたことを、ここに告白せねばらならない」と記している。(p.119)

 音楽に、ごく自然に親近感を抱く数学者は少なくない。オイラーは、計算に明け暮れた一日が終わると、鍵盤楽器を奏でてくつろいだ。(p.119)


 最近、「博士の愛した数式」という小川洋子さんの本が映画化されて話題ですが、小川洋子さんの本で、ラモーのクラウザン曲の曲名から取った「やさしい訴え」というタイトルのものがあります。 いったいオイラーはどんな曲をどんな楽器で弾いていたんだろう、と興味があります。オイラーは1707年生まれで1783年が没年ですから、バッハ(1685-1750)やヘンデル(1685-1759)などよりもちょっとだけ若いわけで(ちなみにラモーは1683-1764でやっぱり同世代です)、おそらく小型のチェンバロやクラヴィコードのような楽器で、ドイツバロックを弾いていたのだろうな、と想像するとわくわくします。

 …とこんな引用をすると、本のタイトルがタイトルだけに「音楽の話が出てくる本なのかな」と誤解されそうですが、ここ以外には、フーリエ変換の説明として複雑な楽音の波が単純な正弦波のさまざまな重ね合わせになっている話が出てくる以外には、いわゆる音楽の話題は出てきません。

 それはともかく、「素数の音楽」は、ガウスやオイラーから、もちろんリーマン、ヒルベルトやランダウ、ハーディとラマヌジャン、セルバーグとエルデシュ等々といった有名な数学者たちの物語が平易に感動を持って語られていて、とてもお勧めです。この本は実際に買って持っていたいと思いました。

<おまけのひとこと>
 先日ご紹介した、「幾何学再発見」という本の著者の瀬山士郎先生からメールをいただきました。感激しています。ありがとうございました。瀬山先生のページは、以前から楽しく拝見しておりました。つぶやきというコーナーの、「ある数学書」というところに、

 「素数が気色わるい数と個人が思うのは自由だし、そう思う人もいるかもしれないが、あたかもそれが普遍的な意見であるかのように振る舞うのはどうも賛成できない。」

 と書かれていますが、こういう「素数が気色わるい」という感覚の人がベストセラーの数学の本を書いているということに驚きます。(ベストセラーの数学の本って何でしょう? 著者はどなたでしょう?) そんな人にこそ、『素数の音楽』を読んでいただくとよいのでは、と思いました。

 すみません、なんだか今日の内容は支離滅裂です。






1月29日(日) 格子の上の2つの角(その3)

 格子の上の2つの角の和はいくつでしょう? という類題を4つほど挙げました。これらは三角関数を利用するとわりとあっさり解けるのですが、純粋に幾何学的に、小学生にも説明できるように解くにはどうしたらよいでしょうか。

再掲図

 パズルの答を書いてしまうようでちょっと気が引けるので、一応ちょっと間をあけることにします。

























このくらいでいいかな
























 間をあけたので、もう一度同じ図を載せます。

再掲図

 この図の、同じ色のついた2つの角の和は、みんな同じ45°になるのです。これを説明しているのが次の図です。対応する角を比べてみてください。

図 1

 ご覧の通り、図1の4つの三角形は、全て直角二等辺三角形になっているのがお分かりいただけるかと思います。そして、色をつけた角がちゃんと上の再掲図と対応していることをご確認下さい。

 昔、初めてこの(a)の図を見たときには「やられた!」と思いました。「幾何学再発見」を見たときには、ですからすぐに「あ、この問題は知ってる」と思いました。 メールでもこの図を送って下さった方がいらっしゃいました。ありがとうございます。ところが・・・

(つづく)

<おまけのひとこと>
 土曜、日曜、月曜の3日分まとめて更新です。ずっと本を読んでいて、この週末にやろうと思っていたことがあんまり進みませんでした。






1月30日(月) 格子の上の2つの角(その4)

 昨日、正方格子の上の2つの角の和が45°になっているもの(下図)を説明するのに、大きな直角二等辺三角形を格子上に作図してみればよい、という説明をしました。

再掲図

 ところが、私は知らなかったのですが、いつも拝見しているあるが's てくにっきというblogに、別解が紹介されていてびっくりしました。

図 1

 このように、45°の角度の線を使って、もともとの図に現れる直角三角形と相似な三角形を作図する、という方法です。なるほどこの方法でも2つの角の和が45°だときれいに示せるのですね。びっくりしました。

 なお、これらの問題をどのように作ったかはもうおわかりだと思いますが、正方格子の上に斜めの正方形をいろいろ描いて、その対角線を引いて作っています。

図 2

 

<おまけのひとこと>
 日曜日に、ボールとすりこぎでもちつきをしてみました。



 実家に帰るとおおきな臼と杵があるのですが、それでさいごに餅つきをしたのはもう25年以上昔になってしまいました。まだ薪を焚くかまどがあったころです。もちろんそのころも、そのかまどに火を入れるのは餅つきの時だけでしたが、めったにないイベントで興奮したものでした。 いまやその臼でつくほどのもち米を蒸せるかまどもないし、男手が自分ひとりだと、ひと臼すらちゃんとつき上げられるかどうか不安ですし、子供たちにそういう経験をさせてやることが出来ないのだなと思うと残念です。
 餅つきというのもなかなか危険な作業で、怪我をしない、させないための心得をよく教え込まれたものでした。






1月31日(火) 折り紙:ランドセル

 先日、図書館で「失恋おりがみ」(秋元康:講談社)という本を借りてきました。1日に1つずつ折り紙作品を折って行くことで立ち直ろう、という想定の本で、1日ごとに写真と短いキャッチコピー、そして写真とは関係があるようなないような折り紙作品の写真と折り図がついているという本です。体裁はともかくとして、ちょっと折ってみたい作品があったので借りました。

図 1

 本は、「折り紙」をイメージしてだと思うのですが、正方形の版型です。この本には2点、不満があって、取り上げられている個々の作品の作者がわかりにくいのと、折り図が不正確だというところです。

 下の写真は、津田良夫:作 の「ランドセル」です。

図 2 図 3 図 4

 「ランドセル」の肩紐とふたのふちが白くなってしまったのは意図的ではなく、私の折り方が不正確だったためです。15cm角の折り紙から折り出しているのですが、かなり小さくできます。

 取り上げられている折り紙作品は、なかなか面白いものも多いのですが、この本の折り図だと、ある程度折り紙に慣れた人でないと、うまくできなくて余計にいらいらしたり気持ちが沈んでしまうかもしれません。



 土曜日にご紹介した「素数の音楽」という本について web でちょっと調べていたら、Niimura Yoshihito worldというページに出会いました。このページの読書日記がなかなか面白いのですが、このサイトの中に、素数の分布とリーマン仮説に関する覚書というページがあって、これが「素数の音楽」の原著である“The Music of the Primes”のエッセンスを簡潔にまとめたメモになっています。たいへんお勧めです。

<おまけのひとこと>
 土曜日に子供の勉強をちょっと見てやっていたら、こんな問題がありました。


 ある大きな水槽にホースで一定の速度で水を入れると、一杯になるまで24分かかりました。同じ大きさの別の水槽に同じ速度で水を入れたら、今度の水槽は水が漏れるものだったため、一杯になるまで36分かかりました。一杯になったところで水を入れるのをやめたら、しばらくして水槽は水漏れのため空になってしまいました。水漏れの速度は常に一定だとすると、一杯になってから水槽が空になってしまうまで、何時間何分かかったでしょうか?


 「一定の速度で」というところがわかりにくいところなのかな、と思います。これが、「水の深さに比例して」とか言うと、より現実に近いモデルになって、初歩的な微分方程式の問題になったりするのですが。






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