旅人マイケルオズの見聞録 「歴史の舞台を訪ねて」

 武将ストーリー

両軍関ヶ原布陣図

主な武将

西軍

石田三成
宇喜多秀家
小西行長
大谷吉継
島津義弘
小早川秀秋
吉川広家
毛利輝元

総勢8万5千

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※このストーリーは私が独自視点で書いています。異なる見解だとお感じの方はご了承ください


石田三成
 (いしだ
  みつなり)
典型的な官僚で、その優秀さは秀吉から筆頭奉行を任じられ
たことでも明らか。反家康の姿勢を徹底させ、あらゆる計略
をもって家康打倒をもくろむ。合戦では西軍の事実上の総司
令官としてさい配を振るうが、家康のスケールの大きな戦略
の前に敗れ去り、刑場の露と消える。三成は、極めて優秀な
官僚だった
。ただ、官僚の発想・立場から脱却しきれなかっ
たことが三成の限界だったのではなかろうか。
「はばかりなが
ら、この私が諸
公を採点する」
独り言 なぜ、この私が敗れたのだ。わからん。西国諸国の
歴々を我が陣営に引き込んだのに、この始末とは・・・。
やはり秀頼公のご出馬を仰ぐべきだったのか。それよりも、
この土壇場で裏切った小早川や日和見を決めこんだ吉川・
毛利を絶対に許すわけにはいかない。

宇喜多秀家
 (うきた
  ひでいえ)
秀吉の亡き後、5大老の一員として家康に真っ向から対抗。
合戦では西軍の副将として正々堂々と戦った。敗将となった
ものの、島津氏のとりなしで一命をとりとめ島流しとなった
。父・直家は知略・謀略の武将として知られたが、秀家は正
義感あふれる好青年だったのではなかろうか。
貢献度 90点 独り言 専横著しい家康打倒のために、正義の戦いに臨んだ
のだ。敗れたのは残念だが、太閤殿下の恩にむくいるため、
全力で戦った。悔いはない。

小西行長
 (こにし
  ゆきなが)
商人出身の武将として知られ、豊臣政権下では官僚として
秀吉を支えてきた。合戦では宇喜多秀家とともに西軍の主力
として活躍するものの敗走。キリシタンゆえに自刃できず、
捕えられて処刑された。
これといった特徴、エピソードがな
いことから、何となく影が薄い人物。
貢献度 75点 独り言 憎きライバルの加藤清正めが関が原に出てこなかっ
たことが無念だ。私はキリストの教えを守り、決して自害な
どせぬ。わかったか。

大谷吉継
 (おおたに
  よしつぐ)
病気をわずらって盲目となり、合戦の時には輿(こし)
に乗ってさい配を振るった。当初、三成の挙兵に反対した
が、三成との友情に身を任せた武将。垂井城主・平塚為広
とともに去就不明りょうな小早川にも備えた。義に殉じた
という印象が後世、この武将を高く評価させている。
貢献度 100点 独り言 この私の死に場所として関が原はこれ以上ない舞台
だった。それにしても口惜しいのは、裏切り者・小早川を
成敗できなかったことだ。

島津義弘
 (しまづ
  よしひろ)
薩摩の猛将として名高い。合戦では少数の将兵だったこと
で西軍の主力となりえず、傍観の立場を取る。西軍総崩れ
ののち、敵中突破という奇策で戦場から撤退。戦後も卓越
した交渉力で領地を安堵させた。
弱肉強食の戦国時代にあ
って、島津氏の親兄弟の結束の堅さは驚嘆に値する。
貢献度 30点 独り言 わしは負けておらん。戦いの場にいても無意味
だから撤退したまでだ。見よ、我が軍の力強さを。敵中、
堂々と押し通った
ではないか。

小早川秀秋
 (こばやかわ
  ひであき)
合戦のキャスティングボードを握った武将で、西軍に属しな
がらも東軍に寝返ったことにより、東軍勝利を決定づけた。
合戦後、備前藩主となるが、裏切り者の汚名をぬぐえず、
若くして死んだ。もともと北政所のおいで、肖像画が示す
とおり、ひ弱なボンボン育ちだったようである。
貢献度 −100点
(家康側なら90点)
独り言 裏切り者って言わないでほしいなあ。ぼくはやむ
なく西軍にいただけなんだ。恩義ある家康公と戦ったら、
それこそ裏切りじゃないか。

吉川広家
 (きっかわ
  ひろいえ)
毛利家を支える両川のひとつ。吉川家は武勇の家柄であるが、
毛利家の安泰を願い、家康側に内応する政治力も発揮。合戦
ではついに一兵も動かすことはなかった。ただ、毛利は所領
を大幅に没収される結果となった。天下を狙うなとの毛利
元就の遺言を忠実に守ったということだろう。
貢献度 0点
(家康側なら50点)
独り言 わしは動かん。断じてこの戦いに毛利本家を巻き
込んではならんのだ。あくまで中立。そしてお家安泰こそが、
もっとも大事なことなのだ。

毛利輝元
 (もうり
  てるもと)
毛利家当主。一代の英雄・毛利元就の孫で、その後継者と
なったが、ここ一番の決断力に欠けたため、天下を狙うに
は至らなかった。合戦には直接加わらず、総大将として
大坂城に陣取っていたが、あっさりと家康に明け渡した。
凡将と言ってしまうのがかわいそうなお人よし武将。
貢献度 0点 独り言 わしは勝手に祭り上げられただけだ。家康殿と
戦おうなどと考えたこともない。ただただ、祖父の言う
とおり、毛利家安泰が第一なのだ。