中国東北旅行記-2





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6)中国人の親切2題
 瀋陽駅の窓口で、大連行きの特快切符を買おうとしたとき、私の希望した午前発のは、「没有」(ない)。いつもはこれで終わりで後ろに並んでいる次の人に代わるのだが、「午後発の列車には、空席があるよ」と言ってきた。日本では当たり前のことだが、なんと親切なことか。

 ホテルへ帰るために、タクシーの乗ったら日本語で話かけてきた。名前は李さん。年齢は30代か。日本の国立大学で博士号を取得したという。奥さんも日本の旧帝大の博士課程を終えて、現在もその大学の講師をしているとのこと。従って日中間で別居中。

 留学中は日本人に大変親切にしてもらったといって、私のタクシー代を受取らなかったばかりか、旅行中何か困ったことがあればと心配して、携帯電話の番号まで教えてくれて別れた。

長春・電影宮



7)かばんを抱えて店内には入れない
 CDやVCDも扱っている書店に入ろうとした。そしたら入口の所でかばんの一時預かり所があった。大きなデパートの食料品売り場へ入ろうとしたときも、やはり一時預かり所や日本の駅にあるようなコインロッカーがたくさん並んでいた。

 
瀋陽の繁華街



8)悲惨な九・一八歴史博物館
 1931年9月18日、旧日本軍は、柳条湖事件により中国東北部へ侵略を開始した。瀋陽にあるこの博物館では、侵略に関する非常に生々しい写真や展示物が、日本語での説明もきちんとされており、深い悲しみを覚えた。

 南京大屠殺紀念館を思いだす。最近では、北京郊外の盧溝橋事件の発生地にある広大な抗日戦争紀念館に、日本軍暴行館が新たにできたそうだ。

九・一八歴史博物館 瀋陽故宮



瀋陽・北陵公園 瀋陽駅



9)朝鮮族の女性
 大連賓館(旧大和旅館)の前の中山広場で、写真を撮っていたら、「日本人ですか」と話かけてきた。聞いたら朝鮮族の若い女性で、日本への留学を希望し、ビザを申請中とのこと。

大連・中山広場



 そういえば瀋陽でも偽満州国務院の案内係の女性が、何回もビザを申請したが許可がおりないと言っていた。日本語ができるくらいなので、日本に興味を持ち、行ってみたいと思うのは当然だと思った。

10)きれいな街大連
 1週間ぶりで、大連に戻ってきた。通りは歩道、自転車道、車道と調和がとれて広く、街灯も洗練されたデザインで、その周辺には芝生、街路樹、アパート群が整然と並んでいて、中国有数の美しい計画都市だ。

 長春や瀋陽では、わずか1時間ほどの夕立で、道路が雨水で川となり、歩行者は通れない。雨がやんでも到る所に水たまりができて通りにくい。それでも人通りは多い。露店は早速店を再開する。

水たまりの市内



 一方、雨が降らなければ、街中はほこりだらけである。毎朝、年配の女性が道路をほうきで掃いているのだが、すぐにゴミの山である。大連市長が瀋陽へ異動になったので、道路やビルなどの社会資本の整備は進むだろうと、タクシーの運転手が話していた。

10)「中国でいやだと思ったことはなんですか?」
 帰路につく機内で、中国の新聞を読んでいたら、隣の中国人女性が「新聞、わかりますか。」と話かけてきた。千葉県で中国人親子3人で暮らしており、夫婦でソフト会社(NTT系列)に勤務しているという。

 中国では人も車も交通マナーが悪い、男性は上半身裸で歩いている、ゴミを散らかす、大声でけんか越しに話す(?)、物を売ってやるという態度など、中国でいやだと思ったことを率直に話した。日本でも昔は同じで、生活が豊かになり国際化が進むとよくなるのではと考えた。

 長々とした独り旅の旅行記を読んで下さいまして、ありがとうございました。 多謝!


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