−よし江のひとりごと−

たかが条例、されど条例

2003年 8月30日掲載
2003年 9月28日改訂

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 平成15年6月定例議会において、今年10月にオープン予定の、総合福祉センターの設置と、その管理に必要な事項を定めた、「諏訪市総合福祉センター条例」の制定が、賛成多数で可決され、成立しました。

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諏訪市総合福祉センター条例の解説はこちら

 この条例の第10条には、「健康増進施設、交流ひろば及び会議室を利用しようとする者は、使用料を納付しなければならない。」という規定、すなわち、健康増進施設は別として、交流ひろば、会議室の利用は、原則有料である、とする規定があります。
 6月議会が始まり、初めてこの議案を示されたときに、福祉団体やボランティアの人たちが利用する施設を、有料にするのはおかしい、というのが、私だけでなく、多くの議員が感じた疑問でした。これに対し、市当局からは、実際の運用にあたっては、交流ひろばと会議室は、原則無料とする、との説明があり、それなら問題はないと、多くの議員は納得してしまいました。
 しかし私は、それなら実態に合わせて、条例の規定を変えるべきであろうと考え、市当局に対し、条例案の修正を申し入れました。私は、特に総合福祉センターの運営に影響を与えるわけではないから、修正することに大きな問題はない、と考えていました。
 ところが意外なことに、市当局は、さまざまな理由(私から見れば、理由にならないような理由ばかり)で、条例案(議案)の正当性を主張し、修正することに対しては、抵抗する姿勢を示しました。結果的には、最大会派を中心とする多くの議員が、このような市当局の姿勢に同調し、この議案は、原案どおりに可決され、成立することとなりました。
 議案に賛成した理由の一つとして、他の議員の皆さんから言われた言葉に、「議案の重み」という言葉がありました。私の理解では、この言葉の意味は、「議案は、それを専門に担当する市の職員が、充分に検討、吟味して作成したものだから、その結果を尊重し、むやみに手を加えるべきではない。」ということのようです。要するに、「お上のやることに間違いはないから、それに文句をつけるのは僭越である。」ということのようです。

 去る8月17日に放送された、あるテレビ番組に出演された際の、田中知事の発言の中に、以下のような趣旨のものがありました。
 「信州共和国宣言」というものを出すことを考えている。宣言の条項は、「脱一律、脱既得権、脱タテ割、脱無謬(だつむびゅう)」の4つから成る。
 「無謬」の本来の意味は、「誤りがないこと」というものですが、司会者からその意味を聞かれた田中知事は、「脱無謬」というのは、「いったん言ったことや、始めたことは、絶対に改めたりやめたりしない、という姿勢を改めること。」という趣旨の説明をしていました。

 今回の市当局の姿勢は、まさしく、田中知事の、この「脱無謬」という考え方を、真っ向から否定するものである、と言わざるを得ません。
 某大臣が、「住民基本台帳ネットワークのセキュリティーは完璧だ。」という趣旨の発言を繰り返していますが、そのことがかえって、国民を不安にし、不信感を募らせていることは、ご存じのとおりです。
 人間のやることに、完璧はあり得ません。いたずらに、意味のない完璧性を追求したり、誇示したりするよりは、問題点や不具合が明らかになったら、速やかに是正する、という姿勢の方が、住民の信頼が得られ、さまざまな政策をスムーズに推進するための、近道ではないかと考えます。
 「ルールを明確にし、そのルールに従って実行する。ルールと実態に食い違いがないかどうか、定期的にチェックし、食い違いの原因が、ルールの不具合にある場合には、そのルールを改める。」というのが、諏訪市も認証を取得している、ISO14001(環境ISO)の基本的な考え方です。この「ルール」を、法律や条令に置き換えると、この考え方は、そのまま国や自治体にも当てはまります。このような考え方で運営されている姿こそが、法治主義を掲げている、国や自治体のあるべき姿ではないでしょうか。

 また私は、今回この条例案を、原案どおりに可決した議会の姿勢にも、疑問を感じています。
 地方自治法の第96条には、地方議会の権限として、15項目の議決事項が規定されており、その第1番目は、「条例を設け又は改廃すること」となっています。すなわち、条例を制定したり、改正したり、廃止することは、地方議会のもっとも基本的で、重要な権限だということです。
 専門の職員が、充分に検討し、吟味したものであっても、議案は、あくまでもただの「案」であり、「たたき台」に過ぎません。そのたたき台を、大いにたたき(議論し)合い、市民にとって、より良いものに仕上げることこそが、市民から付託された、議会の重要な役割であり、責任ではないのでしょうか。
 以前に私は、なぜ「田中康夫」前知事が圧勝したかで、「県議会は、議会としての、本来の機能を果たさなく(果たせなく)なってしまっている。諏訪市議会も、同じような構造であると言える。」というようなことを述べました。4月の統一地方選挙を経て、県議会では、多少なりとも、きちんと議論しようという機運が出てきているように見受けられますが、諏訪市議会においては、大幅に議員が入れ替わったにもかかわらず、その体質は、基本的には変わっていないように感じられ、とても寂しい思いに駆られました。
 最近は、あまりマスコミが取り上げなくなりましたが、全国各地で、「住民投票条例」の制定を求める活動は、あいかわらず活発です。これに対しては、ベテランの議員ほど、「議会制民主主義を否定するものだ。」との理由で、批判的です。
 私も、日本の民主主義の基本は、「議会制民主主義」であるとは思いますが、議会が、本来の機能を果たさなく(果たせなく)なっている、と市民の皆さんが感じたとすれば、諏訪市でもそのような動きが出てきたとしても、それを頭から否定する気にはなりません。
 もちろん私は、そんな事態にならないよう、微力ながら、議会のあるべき姿を目指して、精一杯努力していくつもりですので、皆さまのご支援をお願いします。


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