−よし江のひとりごと−なぜ「田中康夫」前知事が圧勝したか |
2002年 9月16日掲載 |
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9月1日、「田中康夫、当選確実」、テレビに速報が流れたのは、20時1分位の時。 投票時間の締切は、当日の20時。当然と言えば当然という気持ちの私でさえ、呆気にとられる幕切れでした。 結果は、投票率73.78%、田中康夫氏822,897票、長谷川敬子氏406,599票でした。 県議会議員の多数、市町村長の多数が、長谷川氏支援を表明したにもかかわらず、大差での圧勝でした。県議会の多数意見は、県民の少数意見だったということです。どうして、このような落差が生じてしまったのでしょうか。 長期に渡って、固定化した、特定の人達によって行われてきた政治により、議会が、本来の機能を果たさなく(果たせなく)なってしまっていたということです。これは、県議の選出方法にも、問題があると思います。県議選の選挙区は、市や郡単位に、30の選挙区に細分化されており、長野市や松本市などの大きな市を除いて、各選挙区ごとに、1〜2名程度しか選出できない点です。 これでは、各地域から選ばれた議員は、県全体の運営や県政のことを考えるよりも、自分の地域への予算配分を、いかに多くするかに、全力を傾けることにならざるを得ないと思われますし、また、地域の住民の多くも、これまでは、それを望んできたことも事実です。 その結果、県財政が破綻に近い状態になったのは、現職の県議の皆さんが言われているように、1年8ヶ月間の田中県政のせいではなく、長期に渡る、このような構造のためであると言えると思います。 前回の県知事選において、1年も前から、万全の準備を整えて臨んだ、前副知事の池田氏が落選したのは、マスコミ人気の高い、田中氏が対抗馬だった、という理由だけではなかったのです。今回の選挙では、池田氏が、女性の長谷川氏に入れ替わった訳ですが、ここでも大きな意識のずれがあったと思います。 大阪府では、横山ノック氏が、セクハラ問題で辞任し、クリーンなイメージの、女性知事が誕生しました。千葉県でも、堂本知事が誕生しました。こうした動きから、今回、県議や市町村長の陣営は、女性候補なら、田中 ![]() しかし、今回の選挙の争点は、長期に渡る、これまでの県政を「変える」か、「変えない」かであり、その個人的な資質や政治手法を含めて、田中知事が全面的に良いか悪いかではなく、県民が選んだ答えは、「とにかく変えたい」だったのです。 この点、長谷川氏の政策は、私たち信州・生活者ネットワークが行なった、公開質問状(大変反響がありました。)の回答を見ても、超保守的であり、特に「男女共同参画」については、これが本当に、子育てと社会進出を、両立させた女性の意見かと、疑いたくなるような内容でした。長谷川氏の陣営が、女性候補だからというだけの理由で、女性の支持が得られると考えたとすれば、あまりにも女性をバカにした、愚挙であったと言わざるを得ません。 「県政の混乱を招いた」というのが、知事不信任の理由のひとつでしたが、県議、県職員、市町村長や市町村職員、また、今までの県政のおかげで、多くの利益を受けていた人々には、許しがたい混乱であったと思いますが、大多数の県民にとっては、混乱も産みの苦しみであると、改革の行方を静かに見守っているという感じでしょう。 私たちの諏訪市議会も、同じような構造であると言えます。議員は、選ばれた代表ではなく、市民一人一人の代弁者であると思います。選挙で選ばれたという、そのことだけで、民意を代表していると驕るのではなく、代弁者である議員は、常に市民の方を向き、その意見に耳を傾けていかなければならないと思います。 一番大切なのは、そのシステム(形式、慣習)に固執するのではなく、県民益(市民益)を考えることであり、選挙公約でもその点を強調した、田中康夫氏が圧勝したのも当然であると考えます。 私自身も、ネットワーク自身も、もう一度襟を正し、来年4月の、統一地方選挙に臨みたいと思っています。 |
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