コスモポリタンの農作物 さ〜ら 2001/07/20 15:00:47 └!!圧倒的な情報量。残念ながら、私のほうの... 役立たず 2001/07/20 15:23:30 └手持ちの本の内容を転写しているだけで、み... さ〜ら 2001/07/20 17:04:31 └以下空想・想像です。 役立たず 2001/07/20 22:11:49 └新大陸の野菜ですが、確かにアンデスは低地... さ〜ら 2001/07/21 00:17:48 (修正1回) └ちょっと今は行き過ぎですね。 役立たず 2001/07/21 15:37:30 └エジプトでは、アスワンハイダムのできるま... さ〜ら 2001/07/21 18:32:06 └反省 役立たず 2001/07/22 18:49:43 └「人間というのは、忘れることはないだな。... さ〜ら 2001/07/26 23:27:10
コスモポリタンの農作物 さ〜ら 2001/07/20 15:00:47 ツリーへ
コスモポリタンの農作物 |
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さ〜ら 2001/07/20 15:00:47 | |
茶豆の話から、菜豆(隠元豆)と落花生は中南米原産のコスモポリタンの豆なり、とか、大豆の出世と落花生の没落など、おもしろい話が展開しています。おもしろい話題なので、新たに項目をたてます。 落花生の伝播について 役立たずさん: >コロンブス以後として落花生が南米原産だとすると広東料理のピーナ >ッツオイルの歴史は、たかたが300〜400年ということになりますね。 例の前田氏の本によると、 「アルゼンチンのA.クラポビカスは…、アルゼンチン−ボリビア−パラグァイの国境が接するアンデス山脈東麓地方…こそラッカセイの生まれ故郷であると…考えている。」 そして、コロンブス以後ヨーロッパ人が新大陸へわたった頃には南米で広く栽培されており、 「…奴隷貿易の際に食料として積み込まれた…。アフリカは…ラッカセイが東漸する二次的伝播の中心地域となったが、アフリカのほかに、インド、中国などのアジアや北アメリカなどの諸国で油料作物としてのラッカセイの経済栽培が盛んになるのはいずれも一九世紀に入ってからのことである。」 げげっ! 広東料理のピーナッツオイルの起源はたかだか300〜400年どころか、普及したのは、200年か、もっと短い、ということになりそうな気配です。してみると、広東料理における落花生=ピーナッツ=南京豆は、四川料理における唐辛子に似ていることになります。唐辛子も中南米原産で中国ではせいぜい300年の歴史。 中国という意味または中国の地名入りなのだが、中国での歴史は新しいものに、南京豆、唐辛子、とうもろこしあり。 前田さんの本には、サトーハチロー作の童謡「落花生」(昭和7年)が紹介されていました。岩波文庫の『日本童謡集』に掲載されているみたいですよ。 なんきん豆がみのるのは 土の中だよ 不思議だろ … なんきん豆 御先祖は どこにいたのか 知ってるかい 南アメリカにいたんだよ うそだと思ったら聞いてごらん それから、ついでに、コスモポリタンの農作物については、役立たずさん、ご存じかも知れませんが、ヘンリー・ホブハウス著、阿部三樹夫・森仁史共訳『歴史を変えた種』(パーソナルメディア、昭和62年)という本があって、キニーネ、砂糖、茶、綿花、ジャガイモ、という、この手の話ではおなじみの農作物があがっています。 そのまねをして、歴史を変えた落花生・歴史を変えられなかった落花生」というお話を大展開したいですねえ。奴隷貿易、西アフリカのモノカルチャーと飢餓、広東料理、さらには、大豆との競争話、など、おもしろそうなネタがいっぱいありそうです。 |
└!!圧倒的な情報量。残念ながら、私のほうの... 役立たず 2001/07/20 15:23:30 ツリーへ
Re: コスモポリタンの農作物 |
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役立たず 2001/07/20 15:23:30 | |
!!圧倒的な情報量。残念ながら、私のほうのネタは手詰まり気味です。 阿部三樹夫・森仁史共訳『歴史を変えた種』(パーソナルメディア、昭和62年)は知りませんでした。キニーネはマラリアの薬でしたっけ。月と六ペンスの最後の方によく出てきます。 それでキニーネは歴史的にどういう役割をはたしたのでしょうか? 当方進出の常備薬になったのでしょうか。 砂糖は、コーヒーと抱き合わせで語られるべきだと思っていましたが、要するに植民地主義の発端でした。 ジャガイモはアイルランドを変えました。これは飢餓の問題ですね。 日本のコシヒカリ一辺倒も似た問題を抱えています。 茶は相当グローバルな話で、世界を変えた物の最右翼ですね。 綿花はアメリカそのものでしょうか・・ 今朝の書き込みから、拙宅の畑についてふと思いました。 トマト、ナス、ジャガ、ピーマン、シシトウなど要するに新大陸の野菜。しかも、インゲンまで あとトウモロコシも。 スイカはアフリカ原産。 まだ、確認していないのが、オクラ、レタス、キャベツそのほかの花野菜類。 落花生は二度トライして失敗。温度が不足のようです。 つまり、畑は新大陸とアフリカで溢れているわけで、私たちはいったい何をしているのでしょうかと、ふと思いつつ再び芋堀に出動します。 |
└手持ちの本の内容を転写しているだけで、み... さ〜ら 2001/07/20 17:04:31 ツリーへ
Re: !!圧倒的な情報量。残念ながら、私のほうの... |
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さ〜ら 2001/07/20 17:04:31 | |
手持ちの本の内容を転写しているだけで、みんな知っていることだからお恥ずかしいことでもないけど、オリジナリティはな〜んもない。 >キニーネは歴史的にどういう役割をはたしたのでしょうか? 病は歴史を変えるから、病がなくなるのも歴史を変えたといえるのでしょう。かつてマラに関する駄文(下記URL)を書き、そこに『歴史を変えた病』という本を紹介しておきました。 http://www.lcv.ne.jp/~saland/qanda200002.htm#マラリア 『歴史を変えた種』に書かれている各作物の役割は、ご指摘のとおりです。実は、ていねいに読んでいません。よく読めば、ほかに、おもしろいエピソードを知ることができるかもしれません。 >畑は新大陸とアフリカで溢れている 私も老親が作ってくれたものを食いながら、いつも、そのように思っています。私は、新大陸ものが、大、大、だ〜い好きだ。トマトもそうだし。特に夏は、トウモロコシとトマトを毎日食いながら、インディオの御先祖さまに感謝しています。毎日タバコを吸っているから、夏以外も毎日感謝している。人によっては、毎夜毎夜、ゴム製品を使いながら、アマゾンのインディオに感謝しているかもしれないが、私は、夜、ゴム製品を使うような面倒なことはしない(使わないでやるということではなくて、そもそもそういう疲れるようなことは極力しないことにしているという意味です)ので、夜はあまり感謝していない(失言)。 >確認していないのが、オクラ、レタス、キャベツそのほかの花野菜類。 キャベツなどの類は、菜の花と同じように、ほんらいは冬の作物なので、冬に雨の多い地中海沿岸から西アジア付近と考えてよいでしょう。オクラはインドのカルナータカ州内陸部(デカン高原南部)のアララマリゲ村(先端産業集積地で有名なバンガロールの近く)に行ったとき畑で栽培されていました。と、書いてから、どっこらしょ! 調べます。 だいたいそう考えていいようですね。白菜・キャベツなどはアブラナ属で、地中海付近を中心に近東からヨーロッパ辺りに原種があるようです。中には麦畑の雑草だったものもあるらしい。レタスは別の属だが、同じ地域原産。 オクラは2000年前にエジプトで栽培されていて、原産地はインドという説もあるが正確には不明のようです。 |
└以下空想・想像です。 役立たず 2001/07/20 22:11:49 ツリーへ
Re: 手持ちの本の内容を転写しているだけで、み... |
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役立たず 2001/07/20 22:11:49 | |
以下空想・想像です。 畑がなぜ、アメリカ原産の野菜で溢れているかの問題ですが、以下の二通りに考えられます。 1)基本的にアメリカ新大陸の野菜は優秀だった。つまり、品種が洗練されていた。 2)ただ、人々が新しい物好きだった。 背景としてアメリカ先住民が行った、トウモロコシの品種改良の歴史は有名ですね。 このことが他の新大陸野菜にも当てはまるのでしょうか。 また、中世の西欧は、野菜貧困国家群でもありました。なにしろ、胡椒もなくパプリカもトマトもないだけの食生活でした。 茶も無かった。 あったのはワインと肉だけ。 肉料理のために様々なハーブが使われましたが、胡椒にくらべれば、か弱い効果です。 こうし状況のために"先進農耕文明"の新大陸の野菜を輸入したのでしょうか。 もう一つの問題は日本の畑(畠)そのものの変遷です。 例えば江戸時代の日本でハタケというものがどれほど耕されていたのか。何を栽培していたのかという問題です。 ネギ、大根、瓜、菜類は作っていたようですが、それ以上のものがあったかどうか。 ハタケはもともと穀物を植える場所で、現在のように輸入野菜を栽培するところではなかったと考えられます。 畠は白田と読み、これは水のない田です。 つまり、陸稲が想像される。陸稲が水稲より新しいか旧いかもよくわからないらしくて、諸説あるようです。 以前は日本各地で様々な米が作られていて、どういう伝播があったのか断定できない。 田圃そのものの構造も西日本と東日本ではかなり違っていたようです。 現在のように米の品種が偏ってはいませんでした。 畑は焼畑で、雑穀だったのでしょうか。イモといえばサトイモとヤマイモ(京イモもあったのか)しかなかったわけです。 今、畑で粟や稗が生えてくると雑草として抜いてしまいますが、昔の人には信じられない光景でしょうね。 つい100年前までは、雑穀として、縄文以来の伝統"栗"がありました。 この栗は明治維新後、鉄道網の敷設にしたがって、 大量の枕木として伐採され日本の食習慣も景観も変えられてしまいました。 栗木が伐採れると杉が大量に植樹され、現在の花粉症問題を引き起こす原因となりました。 どうして我々はアメリカやアフリカの植物を植え、栗の木を切ってしまったのでしょうか? わかりませんね。 |
└新大陸の野菜ですが、確かにアンデスは低地... さ〜ら 2001/07/21 00:17:48 (修正1回) ツリーへ
Re: 以下空想・想像です。 |
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さ〜ら 2001/07/21 00:17:48 ** この記事は1回修正されてます | |
新大陸の野菜ですが、確かにアンデスは低地から高地まで標高差が大きいからさまざまな環境に適応できるさまざまな品種を生み出すあるいは生み出さねばならない環境にあったかもしれませんが、他地域と比べて優秀だったかどうかはわかりません。それを受け取ったヨーロッパが受け入れて自分のものにする能力や、世界中に伝播させる能力が優秀だったのかもしれません。それにジャガイモとトウモロコシは日本では野菜だが、アンデスでは主食で日本で言えば米にあたるし、欧米では人間も食べるが家畜の飼料用に栽培される割合の方が高いから、日本で野菜として作っているのと同じように考えるわけにはいかないような気がするし、新大陸農耕を先進的というのもちょっとどうかという気がします。野菜栽培で先進的だったのは、やはり、キャベツやらネギやらをむかしから作っていたんだから、中東などのオアシス農業と地中海沿岸あたりではないかという気がしますが。 単一品種への特化や雑穀や栗の衰退についてですが、これはもう、専門分化のせいで、みなが農民で自給の度合いが高ければ、いろんなものをちょこちょこと作り、あるいは畑で作らなくても、庭の隅や畑のきわにいろいろ植えておけば十分だっただろうし、山でもいろいろ取れただろうが、農民が少ない今では、農家だって自給のためになんでもちょこちょこ作ることはなく、専門化・商業化しているから、栗は買って食えばいいし、雑穀なんか食うよりお菓子を買って食ったほうがいいから、それを買うカネを得るために、輸送に便利なように品種改良された皮の硬いトマトやきゅうりだけを作ったり、食えもしないカーネーションだけを作ったりしているわけで、これは仕方がないことじゃないんでしょうか。栗の木は場所をとるし樹木作物というのは一度植えるとどかすわけにいかないから邪魔になれば切るしかありません。その点、スイカなら、ある年に作ってその次の年にスイカは飽きた別のもの作ろう!ということができます。 銭がなければ何もできない世の中ですから、なんでもちょこちょこを復活させるのは難しいでしょう。そういう美風を残していくには、社会や家族の中に必ず何人か、暇な人間を飼っておいて、その人にいろいろやってもらうしかないでしょう。よき文化を残したりよき文化をつくっていくには、暇人を飼っておくだけのゆとりがないとなかなか難しいと思います。 |
└ちょっと今は行き過ぎですね。 役立たず 2001/07/21 15:37:30 ツリーへ
Re: 新大陸の野菜ですが、確かにアンデスは低地... |
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役立たず 2001/07/21 15:37:30 | |
ちょっと今は行き過ぎですね。 >品種改良された皮の硬いトマトやきゅうりだけを作ったり きゅうりはいぼいぼなしのあじけないやつ。トマトは見かけだけ良い桃太郎。しかもホルモン投与しないと結実しない。 >その点、スイカなら、ある年に作ってその次の年にスイカ スイカもひどいです。連作障害対応の接木でスイカ以外の根のすったやつを食わされています。噂では加糖注射もありだそうです。 ということで、私は、暇なので上の現代農業の定石種でなくて、 昔のイボイボキュウリ、見た目のわるい豊将、スイカは種から育てて接木なしでやってます。遊びだからできるわけです。 この体験から見ると、キュウリ三本で100円。信じられません。 >暇人を飼っておくだけのゆとりがないとなかなか そうですね。暇こそ文化。暇こそ資産です。我々の国にはいま少しこれが不足しています。 ということで、本日はガキどもにまじって"千と千尋の神隠し"を見てきました。 去年のNHKの4大文明で、メソポタミア文明の小麦の品種改良が紹介されていました。 原種はちびけた雑草だったのが、刈り取りやすく背の高い、実の多い麦に改良されていきました。 もう一つの発明は粉食で、麦は米と違いそのまま炊いて食うと消化できないシロモノだったのを パンというスタイルにまとめたということです。どうやらこの小麦の普及が文明の普及であったということで、 メソポタミアが西欧文明の原点になったようです。 さて、エジプトでは、アスワンハイダムのできるまで、ナイルの洪水を利用した農業が行われていたとのことでしたが、 この主食はなんだったのでしょうか?メソポタミア発明の小麦、それともぜんぜん違うものでしょうか。 |
└エジプトでは、アスワンハイダムのできるま... さ〜ら 2001/07/21 18:32:06 ツリーへ
Re: ちょっと今は行き過ぎですね。 |
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さ〜ら 2001/07/21 18:32:06 | |
>エジプトでは、アスワンハイダムのできるまで、ナイルの洪水を利用 >した農業が行われていたとのことでしたが、この主食はなんだったの>でしょうか? アスワンハイダム以前も以後も、エジプトの主食は小麦だと思いますが。これは西アジアも同じ。 ただ、大昔のメソポタミア文明では、小麦だけでなく大麦が広く作られていて、過剰な灌漑が土壌の塩化につながり、それが文明崩壊の一因になったとかならなかったとかの話を聞いたような聞かなかったような。。。いいかげんでごめんなさい。 |
└反省 役立たず 2001/07/22 18:49:43 ツリーへ
Re: エジプトでは、アスワンハイダムのできるま... |
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役立たず 2001/07/22 18:49:43 | |
反省 無知と忘却を反省しまして、"栽培植物と農耕の起源"を読みなおしました。 今回は、麦と新大陸農作物を中心に読み直しました。殆どの妄想に近い疑問が氷解しました。答えは近くに在りでした。 改めて鮮明に印象に残ったのは、中尾氏が記述している以下の二点でした。 1)新大陸農作物の特異性は、他の文明に比べて極めて短い期間に、改良が進んでいること。 2)雑草は野草と異なり、人間とのかかわりあいの中で発生し、雑草の中から、穀物が生まれたり、またかつての雑穀が雑草となるということです。 ハタケで草むしりをする時に見る夢が少し雄大になりました。 メソポタミアの麦の起源性はおおまかには判明しているものの、エジプトへの伝播等、詳細な経緯は不明のようです。7曜制の起源はミソポタミアにあり、太陽年の起源がエジプトにあることを思うと、あたりまえの事ながら、どのように関係して行ったのかが気になります。 |
└「人間というのは、忘れることはないだな。... さ〜ら 2001/07/26 23:27:10 ツリーへ
Re: 反省 |
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さ〜ら 2001/07/26 23:27:10 | |
「人間というのは、忘れることはないだな。思い出すきっかけを忘れるんだ。」 むかし、チベットに行く前に、梅山雪山で遭難した広瀬顕君という人といっしょに、中尾佐助先生のお宅に伺ったことがあります。話題がずれますが、以下、そのときに先生がして下さった話の一端を披露します。 中尾先生曰く、 「ところで、君たちは、チベットに行くに当たって、フィルムはどのくらいもって行くんだね?」 僕ら、答えて、 「36枚撮りフィルム1人1日1本の計算で持っていきます。」 先生、曰く、 「僕は、海外へ行くときは、1日3本の計算で持って行くんだ。全部スライドでね。そして、帰ってきてから現像するんだが、それを特に整理はしないで、撮った順番に並べておく。そして、ときどき、撮った順番に、カシャー、カシャー、とスライドで見るんだ。そうするとね、スライドを見るだけで、そのときの情景や考えていたことが走馬燈のようによみがえってきて、覚えていないと思っていたことですら思い出すんだ。それで僕は思ったね。人間というものは、忘れるってことはないんだ。思い出すきっかけを忘れるだけなんだ。スライドは思い出すきっかけになるんだな。だから、僕は、海外にいったとき、あれっとちょっとでも気になったときはすぐに写真に撮っておく。撮ろうか撮るまいか迷ったときも必ず撮ることにしている。」 |