「なんだよ……これ」
“光は信じられないといった表情でそう呟いた。”
「……嘘だこんなの!」
“尚も疑い、泣き声で巻物の上に顔を伏した。”
俺のやったことが全て書いてある。
なんで……。
それだけじゃない。今までの経緯や、人物の名前まで全て……。
小帆……。そこにいるの?
本当に、この巻物の中に……。
信じられない!!
信じられない……けれど、光は心のどこかでこの事実を受け止めている自分がいるのも感じていた。
いつか、どこかで聞いた気がする。
それを読んだ女の子が、本の中で様々な人に巡り会い、成長していくお話。
不思議な不思議な夢物語。
「四神天地の書、黄龍聖伝……」
確か、その本の名前もそんなだったような気がしないでもない。
なにせ、小さな頃に聞いたおとぎ話だ。
現実に起きるはずがない。
なのに、どう考えてもそれ以外にこの事態を説明できる根拠が見つからないのだ。
ずっと、嘘だと思ってた……。
でも、
「本当にそこにいるの?小帆!」
『小帆!?』
誰……?
誰の声?
ひ……かり。
光なの?
「おっしぃな〜!!」
小帆は不意に騒がしい声で目が覚めた。
「そんなん、この俺がおったら、二度と悪さできんようにこてんぱんにしばいたったのに!」
「そんなこと言って、ずっとここで昼寝したまま起きなかったのは、誰なのだ?」
「起こしてくれたらええやろ!?」
「起こそうとしたのだ!なのに、オイラがいくら言っても相手にしなかったのだ。
あの子の危機だったんだから、オイラに頼らずなんとか自分で感じ取って欲しいのだ」
「無茶苦茶言うなや。俺かて、ちゃんと心配しとったんやぞ。せやから、こうしてまた……」
「誰も君が無責任だとは言ってないのだ」
「あったりまえじゃ!大体、前の時とは違ってまだ久しぶりのこの身体に慣れとらんだけや。
お前はええかもしれんけど、こちとらまだ生まれたてほやほやっちゅうに!」
「なにわけのわかんないこと言ってるのだ……」
とは言いつつ顔が笑いを堪えているのは、遠目でもわかった。といっても、やはり彼の顔は常時にこやかなのだが。
青々とした芝生のようにやわらかい地面の上で、小帆は起き上がって、その会話を聞いていた。
自分とは少しはなれたところに、川があり、二つの声はその岸辺でおかしな掛け合いを繰り広げていた。
一方はその恰好からして、先程小帆を助けてくれた僧侶に違いなかったが、それと焚き火を挟んで対峙するもうひとりの青年は、
はじめてみる人間だった。どうやら、そのやりとりからして僧侶とはなかなか良い仲のようだが。
「あ。目が覚めたのだ?」
不意に僧侶がこちらを向いた。
その顔を見るのは初めてだったが、キツネのような細い目の笑顔は怯えきった少女の心をわずかながら和ませた。
「ああ!こらっ!話はまだ終わっとらんぞ」
一方的に吠える明るい髪の青年を無視して、立ち上がった。
あちらの青年が明るいオレンジなら、こちらの僧侶は爽やかな涼しい水色。その髪型がなんともユニークだった。
「気分はどうなのだ?」
今の一言でわかった。私をわざわざ岸辺の固い地面を避けて柔らかい草原の上に横たえてくれたのはこの人だ。
よく見ると僧侶はトレードマークとも言うべき袈裟を纏ってはいない。
自分の上の布団がそれだとわかった途端、何故か少女はそれをばっと払いのけた。
「……どないしたんや?」
「さぁ」
当然、それを見ていた二人の男はわからないといった顔を見合わせる。
その間に小帆はやや離れたところへ行っていた。しかし、体力が十分に回復しきれてなかったのだろう。
その場に倒れこむようにして、腰を下ろしたまま振り向ききっとこちらを睨んだ。
「もしかして警戒してるのだ?だったら心配はいらないのだ。このお兄ちゃんはともかく、オイラは何もしたりしないのだ」
「そうそう。……って!こらぁ!!何言うとんねん。誤解されるようなこと言うなや!」
袈裟を拾い上げ、僧侶はやや遠くなってしまった少女にそっと言った。
「オイラの名前は井宿。こっちは翼宿なのだ。君の名前は?」
「……あかん。完全に怯えとるわ。……引っ張り出したろか」
「そんなことしたら、ますます怯えてしまうのだ。それに、あの子の方から心を開いてもらわないと、なんの解決にもならないのだ」
「はぁ。相変わらずやな〜。ま、それも最もなんやけど」
しかし、ずっとこうしているわけにもいかないだろう。と、翼宿はそう告げていた。
「まぁ……。そんなことあった後じゃ、無理ないかもしれんな」
そう言うと、翼宿はおもむろに焚き火を離れた。
「?」
しかし、彼は小帆のほうへは来ようとせずに、まるで反対側の川のほうへ歩いていってしまった。
不思議に思って、小帆と井宿が見ている中、彼は躊躇することなく靴を脱ぎ、裾を巻き上げたと思ったらなんとそのまま川へ。
川の中ほどまで歩みを進めると、今度は両腕を自慢げにたくし上げた。
「なぁ!お前もしかして腹減っとるんとちゃう?待っとれや!今俺がでかい魚捕まえたるさかい」
「……へ?」
あまりの唐突さに呆けてしまった少女を横目で見、井宿が翼宿に便乗した。
「そうなのだ。腹が減っては分かり合えるものも分かり合えなくなってしまうのだ」
わけのわからない理屈を言う。
「でも翼宿。もしかして手づかみで捕まえる気なのだ?」
「なんや?悪いか」
「オイラの釣竿を使えばいいのに」
「あほか!あんなんちんたらやっとったら日が暮れてまうわ!!」
「だー。翼宿は下手なのだ。せっかくかかってもすぐ力任せに引っ張るから」
「じゃかましぃわ。俺はもともとそういうんは好かん。もっとこう、アバウトにやな……!」
「あぁ!!つまり深く考えないで動く、とそういう意味なのだ?」
「せやせや。……ん?」
自分が用いるべき単語を間違えた、という事に全く気付かず、今の井宿の言葉の意味を解すのにつまずいた。
それがまた、真剣になって眉間にしわを寄せるので、おかしいことこの上ない。
ついさっきまで意気込んで手づかみで魚を捕まえる!と断固していたことさえ忘れてしまったかのように考え込み、
それでもまた「ん?」首を傾げる。井宿が笑いを堪えているのが遠めでもわかるほど、その背中が震えていた。
「……ぷっ」
あのようなことがあった後で、小帆の中で恐れるべき対象となってしまっていた若い男性への警戒が、
突然現われた二人の青年によって若干緩和された瞬間だった。
小帆はこのやりとりがそんなにおかしかったものか、と二人が疑問に思うほどそれは豪快に笑った。
おかしかったのだ。
とにかくおかしかった。
何がなんてわからない。
しかし、笑っている間自分のまめだらけの両手を見ても、いつものように落ち込むことはなかったし、
どこへ行ってもこんなにかわいそうな目に遭う“私”は、自らを哀れむどころか自分で自分がおかしくてたまらなくなってしまった。
光と会うことも、何故あれほどまで自分がこだわっていたのか、今となっては不思議だった。
といっても、彼女の慟哭そのものが消えたわけでないのだが、どうしてそうまでして拒んだり、逃げたりする必要があったのか。
そう思えるようになっていた。
あんな目にあったのだって、考えてみれば自業自得ではないか。
光から逃げたりしなければ、もしかしたら今こういう現実はなかったかもしれない。
そうか。誰かのせいじゃない。
なにより自分のせいだったんじゃないか!
わかってるくせに知らない人にひょいひょいついて行ったりなんかして……。
本当は、あの時私は、自分で自分がもうどうなってもいい、……なんて考えてたのかな。
「 っ!!?」
そう思うと、今度は突然涙が押し寄せてきた。
「わ……たし、私……!」
そんな小帆の様子を見ていた、二人の青年はふっと互いに自嘲気味な笑みを交わした。
「すまんかったな。俺らが見つけるの遅れてもうたせいで、そないな目に遭わせてしもて……」
泣き伏した少女の肩に、やさしく上着を被せたのは翼宿だ。
「あ、……あなたたちのせいじゃ……!!」
しかし、翼宿は居心地悪そうな顔で井宿を見た。
「君には是非、聞いて欲しいことがあるのだ。今日……、オイラたちが君の前現われたのにはわけがあるのだ」
「……え?」
顔を上げた小帆の目に翼宿の顔が飛び跳んできた。
「ま!んなことより、今は腹ごしらえが第一や!ほれ、腹減っとるんやろ」
一瞬前とは一転、文字通り気を取り直したように、また翼宿は今度は小帆を連れて、川辺の焚き火まで行こうとした。
「もー。お腹へってるのは、本当はこの子じゃなくて翼宿じゃないのだ!?」
「ちゃうわ!俺はやな、この……んんと……?」
「そ、曹小帆……」
「そうや。この小帆のためを思ってやな!!腹空かして沈んでやったらそらもう気の毒や思って……って、あー!!そこ!何二人して笑っとんねん!?」
「え……!!今張さん、なんて……?」
美朱は食べかすの残骸の残る喫茶店の机の横で立ち上がった。
それとこれとは関係ないのだろうが、これだけ食べても彼女の体型が変わらないのには驚かされるばかりである。
「だ、だから……その、光くんを追っていったら、そのまま図書館で見失ってしまって……」
「図書館の中にいるの?」
「そ、それが、わからないんだよ。くまなく探したつもりなんだけど、どこにもいなくて」
「どこにもいないって、入っていったのは確かなんでしょう!?」
「それは、間違いない!司書の人に聞いたけど、確かに二人。血相変えた子供が走って入ってきたって。
でも、出て行くのは見てないらしいんだ。ひとしきり探してまた聞いてみたけど、やっぱ返事は同じで……」
それでも、最低でも30分は広い館内を探しつくした。
すれ違いで出て行ったのでないのなら、見つからないはずがないのである。
美朱は言いようのない不安を覚えた。
「私も……そこに連れてって!!お願い」
美朱が西安の図書館に足を踏み入れ、まるで稲妻に貫かれたような衝撃をそれまでより一層強く心に感じ取った頃、
一方の日本では、同じく魏も言い表せない衝撃を受け、その場に脱力していた。
「おい?どうした魏。疲れたか?」
「……え、あ……いや、なんでも……!」
しかし、まるで腰が抜けてしまったように、身体が言うことをきかず、力が入らない。
「おいおい。どうしちまったんだ?まだ若いんだから、この程度で根をあげられちゃ困るよ。
工事現場で休日だけバイトっていう条件、こっちは飲んであげて雇ってんだからさ」
「す、すみません」
どんなに立とうとしても、すぐに腰から力が抜けてよろけてしまう。
なんとか壁につかまり立つと、また……。
なんだ……?どうしたんだ、俺。
「……すみません。やっぱ、今日はもう上がりますね」
「そ、そうか?まぁ、お前はそこらの若い連中よりは毎日精出してくれてるからな。
……マジで身体には気をつけろよ?ひとりで大丈夫か?」
「はい。なんとか。……すみません」
とは言うものの、本当になんだというのだろう……。
まるで身体に力が入らない。この感覚を、しかし、彼の身体はよく覚えていた。
それを彼自身思い出したのは、帰宅後。ダイニングのソファに倒れこんだ後に、ふと見上げた夕焼け色の窓辺に浮いた写真立て。
ひとり一枚。当然魏も持っていた写真の、片割れは今美朱が持って行ってしまっている。
これは、もともと彼の持っていた写真だ。
前世の鬼宿と融合した後、どこともなく現われた。美朱の持っているのと同じ、あの頃の俺たちの写真。
それが、
「……なんだよ……これ」
歪んでいた。
否。写真そのものの絵の中に黒い影が渦巻き、全員をかき消そうとうごめいていたのだ。
「お、おい……どうしたってんだよ」
思わずだるいはずの身体を顧みずに、写真立てに飛びつく。
しかし、見る見るうちに影は中心から範囲を広め、絵全てを消し去るのにさほど時間は掛からなかった。
真っ黒になってしまった写真を持ったまま、魏は呆然と立ち尽くした。
「みんな……なんで、こんな……!美朱……」
七星士として久々に感じた感覚は、あまり良いものではなかった。
わからない……。しかし、身体は確かにこの感覚を覚えている。
星のもと、何らかの訃報を知らせる感覚。たとえ離れていても、自分たちの間だけでいつもどこか繋がっていた。
「……そうだ」
とにかく、この事を奎介さんに……!!
写真を片手に、玄関に走ろうとして魏は何故かはたと止まった。
そのまま部屋を振り返ると、今度は反対側に駆け出し、ダイニング横の居間に飛び込んだ。
迷うことなくパソコンのほうを見る。
そう。今朝確かに消えてたはずのパソコンが何故か青白い光で、居間を照らし出していたのである。
そして、魏が見ている目の前でひとりでに画面が切り替わり、その白い画面にはひとつの文が浮かび上がった。
我らを求めよ。
新しい巫女を使て、世界を救わんと。
我らを求めよ。
朱雀の子。
我らを求めよ。
目覚めよ。
我らを求めよ。
残酷な黒雲に、我らが……
我らを求めよ。
めしいてしまうその前に。
我らを求めよ。
る次の災害 今こそ汝がその流転の緒を断ち切るべし。
(update;04.03.31)