ここはどうやら、紅南国のどこからしい。気候も建物の作りも、すべて馴染みのある物だったのだ。
剛郭には世話になった。
身体はだいぶ軽く、節々の痛みも癒えた。
もう、あの嫌な感覚に悩まされることもないのだ。
しかし、あれからまた一日が過ぎたが、井宿はこの日の早朝になんとも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
このまま、会わずに去っていくほうがいいだろう。と彼は、そう判断したのだ。
あの男が自分に望んでいるもの。
それを俺には叶えてやれない。
どうしても……。
夏剛郭。彼は闇の四天王なんかじゃない。
なぜか井宿は考えるたびに、剛郭という人物について事の他親身になっていった。
若い頃の俺と同じだ。
自分を責め、追い詰めていく。
自分のせいだ。自分が悪い。
誰か……こんなになってまで惨めに生き延びている自分を殺してくれ。と。
その昔21という若さで、井宿こと芳准は傷心のあまり自殺を図ったことが、生涯で一度だけあった。
あの時はまさにこんな心境だった。
おそらくは、剛郭というあの男もまさに今……。
彼の哀惜に曇ったとび色の瞳が、まるで昔の自分のそれのようでいたたまれない気持ちになる。
同時に、世話になっておきながら、黙って去る以外に何も出来ない自分が無性に情けなかった。
もうあれから二日近くなるのだ。
けど、今自分は彼の希望に応えてやれない。
そしてそれがまた、彼を追い詰める結果になるのは目に見えていた。
彼もまたそれはわかっているように思えた。その証拠に、あれ以来剛郭はこの部屋についぞ現われなかった。
子供たちに聞いたところによると、彼は時々自分たちに寂しそうな笑顔を向けるのだという。
反対に、子供たちが彼を心配している。
ここの子供たちはいい子ばかりだった。
できることならずっと、そっとしといてあげたいと思った。
けれど、やはりそういうわけにもいかないのだろう。
ならば、せめてこの場は黙って去ろうと決意した。
いずれまた、おそらくは近いうちに再び逢うこととなるだろう。
そうなれば、否が応でも戦う定めだ。
だからせめて、それまで……。そっと。
もしかしたら、ほんの少しの“時”が彼の心を少しでも救ってくれるかもしれない。
どうか、彼とは戦わずにいられますように……。そんな思いさえ、抱いた。
寝台から降り、たたんでおいてくれてあった袈裟を纏い、靴を締める。
いざ外に向かおうとした、その時、井宿はふと右手の寂しさを覚えた。
錫杖がない……。
部屋を見回してみて、井宿がそう思ったのもつかの間。
「きゃはは!!」
「わーぃ!!」
シャンシャン鳴る不思議な杖は、どうやら子供たちのおもちゃとなっていたようだ。
部屋の窓から庭を見た井宿が、シリアスポジションからシュルンとその場に崩れ落ちる。
お面こそないが、子供たちと同じ背丈になったわけである。
「だー!それはおもちゃじゃないのだ〜」
「あ!!井宿の兄ちゃん身体もう良くなったの?」
「お兄ちゃん、なんかちっちゃいよ!」
「きゃはは!ほんとだぁ」
井宿の声を聞くなりどっと窓辺に押し寄せてきた波の、顔の一つ一つを井宿は昨日の今日で大分記憶していた。
錫杖を持っていたのはこの中では最年少の資生少年だった。
「資生くん。お兄ちゃんの錫杖返してほしいのだ。それがないと、オイラ困るのだ」
「しゃくじょう?……あぁ!!これのこと?」
「そうなのだ」
「え〜。これお兄ちゃんのだったのぉ?」
その横から小さな康華が言った。
「だってこれ、先生が持っててって言ったんだよ?昨日、栄陽の近くの川で見つけたんだって」
「だ……」
まさか、あんなところまでわざわざ探しに行ってくれたのだ?
あの時そういえば自分は、功翔の側で気を失ったさいに錫杖を取り落としていた。
それからはあんな調子だったから、やはり錫杖はずっとあの場に放置されていたことになるのだろう。
ここにあるはずはなかったのだ……。
井宿には術がある。失くしたとしても、心当たりの場所から一瞬にして手の内に呼び寄せることも出来た。
もしも、剛郭が井宿に無駄に力を消費させないためにと、やってくれたのだとしたら、
井宿は尚のこと剛郭という男の限りない優しさが切なかった。
「井宿、行っちゃうんだね……」
「寂しいなぁ」
なるほど彼があってのこの子たちというわけなのだ。
二日の間懸命に世話を焼いてくれて、逆にこちらがひやひやさせられたくらいに、やはり優しい子たち。
今はみんなが同じ表情で別れを惜しんでいる。
「オイラもちょっと寂しいのだ。けど、嬉しいのだ」
「え?」
「この世界を次代を担うのが、君たちのような子供たちで本当によかったのだ……」
難しい事を言われ一瞬わからないという顔をしたが、褒められたことだけはわかったのだろう。
照れくさそうにえへへ……と笑う。
「あ。そうだった!!」
その中でも年長の(といってもまだ八つなのだが)鈴が言った。
「先生がね、井宿さんに伝えてって言ってたことがあるの」
「オイラに?」
「うん。えっとね。……向かい風は強い。けれど、風は常に自然には優しいものだ。って」
井宿は驚いた。
これは攻略の助言ととってまず間違いないだろう。しかし、なぜ。
なぜそこまでする必要があるというのだ……。
彼がしていることは明らかに功翔のみならず、組織全体への裏切りだ。
そこまでして、彼は……。
はたまた功翔はそこまで手ごわい相手とでもいうのだろうか。
しかし、今の段階では考えても仕方のないことだった。
もう一度彼に会えば、あるいは今よりもっと物事がはっきりするかもしれない。
しかし、翼宿たちとて、何もしていないわけではないだろう。
まして、倶東に向かったということは何かの手がかりを掴んだ証拠に他ならない。
今はこの場を黙って去り、目の前の敵に集中するより他はなかった。
井宿は彼の助言を有難く心に留めた。
「剛郭にありがとうと、伝えておいてほしいのだ」
「うん。元気でね」
「君たちにも世話になったのだ。ありがとうなのだ!」
「はい。これ返すよ。また、来て今度は一緒に遊んでよね」
錫杖を返してもらい、子供たちの甲高いさよならを背にすると、井宿は部屋から忽然と姿を消したのだった。
「おいっしぃ〜〜〜!!!」
「っかぁー!!むっちゃくちゃうまいでコレ!ほれ、この煮物や。ほんまに小帆が作ったんか!?」
「あ、うん。そうだよ。それは私が作らしてもらったの。でも、おばさんの料理のほうが断然おいしいよぉ!」
「あらやだ。褒めすぎよ、小帆ちゃんってば。小帆ちゃんもお料理上手ね。見ててわかったわ。結構慣れてるでしょ」
「いえ……特技というより、嫌でも出来ないと暮らしていけなかったっていうか」
「料理なんてそんなもんよ!私だって昔はよく家の手伝いしてうまくなったもんさ」
「おい。あんまりお袋褒めると調子に乗るから気をつけろよ」
「こら!食べさせてもらってる分際で何言ってんだいこの子は」
「あのなぁ!材料とって来たのは俺たちだぞ!!」
「おい……魁俊。つばが飛ぶ」
「いやぁ、俺は小帆の世界の料理がこんなにうまいもんやってことに驚いたわ!」
「え?だって美朱さんとか作ってくれなかったの?」
「あかん。あいつの作ったもん食えるんはたまだけや」
「そう、なの?」
ここまで賑やかな夜もなかったのだろう。
悸氏は事の他多弁になり、翼宿が声を張ると、魁俊も対抗するといった感じに、そのボルテージは上昇していった。
紅可も小帆も楽しそうに話しながら、食を進めた。
おそらくこの夜、神翔郷で最も騒がしかった家は、大黒柱の出張でここしばらく沈んでいたはずの悸家だったに違いない。
ただ、娘娘は小帆の首からさげた玉の中だったが。
「小帆ちゃん。今夜は私の部屋で寝るといいよ。そこの牙のお兄さんはこの子達と一緒でも構わんね?」
「キバ……」
小帆はそれを聞いて、今更ながら名言だと思った。
「えぇ!?やっぱこいつと一緒なのかよぉ」
「そらこっちのセリフやで!」
「しょうがないだろ。二部屋しかないんだから」
「兄貴は黙ってろよ。よし翼宿!!今から表でろ!」
「なんや!やるんか!?ガキのくせしていっちょ前に吠えおってからに」
「布団じゃなくて棺おけに寝かせてやるっつってんだよ」
「おうおう!上等やな。そっちこそ泣いたって俺は知らんからな」
二人してだんを食卓を叩いて席を立った。
その時である。
バコンッ!!というなんとも擬音のいい音を立てて、二人の頭に同時に面の広いまな板なるものが命中した。
「そうやたらに喧嘩するようなら、あんたら二人とも今日は外で寝てもらうよ!」
魁俊と翼宿は左右対称で頭を抱え、冷や汗をかきながらうずくまった。
「い……今、まな板。角が……!痛ぅ……!!」
「……てぇ!な、なんで俺まで怒られなあかんねん」
「……そんなこと言うと今度は包丁が来るぜ」
「……仲良くしまショか。魁俊クン」
どっと脂汗の浮き出た手で握手した。
「お前のお母はん。まるでうちのおかんみたいやな」
「俺は世の中で母さんが一番怖えよ」
「何か言ったかい?」
『いえ、なんでもアリマセン』
やたらと反発しあう彼らも、同じ境遇であった分この場では見事に息があったのだった。
こんな調子で悸家での夜は更けていった。
小帆は就寝時間間近に、翼宿から呼び出され、双子の彼らがかつての亢宿と角宿であることを知った。
だが、確かに話に聞いていた彼らの像そのままであった二人は、なるほど小帆の心にすぐにしっくりと来た。
「二人は一緒に来ないの?」
「あいつらがおらんでも、俺がついとるやろ?」
「でも、紅可くん……亢宿はしっかりしてるから頼りなると思ったんだけどなぁ」
「……お前、いっぺんしばいたろか」
しかし、翼宿は小帆に例の青龍の玉については話さなかった。
まだ、実物こそあるが確かな情報と決まったわけではないし、何より今は仲間が欠けている状態だ。
井宿の意見も聞いたほうがいいとは、やや後になって思ったことであるが、
黄龍を召喚しなければならない上に、四神の封印まで解かなくてはならなくなったのだ。
もう少し様子を見てから、小帆に話すべきだと、翼宿は柄にもなく良く考慮した上でそう思った。
彼の懐の中で、亢宿より預かった宝玉は青々と静かな光を放っていた……。
翌朝、小帆は朝日とともに目覚めた。
夕べはほぼ強引に寝台を提供され、悸氏は床に寝ていた。
しかし、そこにいたはずの彼女はおろか布団さえも片付けられており、
小帆は一瞬寝坊したのではないかと本気で心配した。
「あぁ。起きたのかい」
どこからか戻ってきた悸氏は、なんだか家畜臭かった。
「臭うかい?小屋の牛の世話をしてきたもんでね」
「言ってくださればよかったのに」
「まさか。泊めてやってるとはいってもあんたは客人だしね。
それに、ほんとによく寝てたから起こしちゃかわいそうだと思ったのさ。
よっぽど疲れてたんだねぇ。その年で今の世の中旅して回ってるなんて、
よほどのわけがあるんだろうけど無理は禁物だよ」
小帆は自分のぐっすり眠った寝顔を想像でもしたのか、赤面した。
「……んじゃ、なんか頼もうかね。まず顔洗っておいで。それから、あの子達起こしにいってくれるかい?」
井戸はお勝手のすぐ外。家の裏手の納屋のよこにぽつんとあった。
水を汲もうと垂れ下がった縄に手をかけたその時である。
「おい。ついてくんなって言ってるだろ」
その粗暴な話し方から、弟のほうだとすぐにわかった。
山のふもとのほうから聞こえてきた。
なぜか小帆はその場にいてはいけない気がしてとっさに納屋の影に隠れる。
山を降りてきたばかりのように見える魁俊のあとを、何か大きいものが追いかけていた。
「兄貴に言われたとおり、手当てしてやっただけなんだからな。いい加減そっちもちゃんと山に帰れよ」
熊だ……。
熊の眉間には目を覆わないように、しかし、やや不器用に包帯が巻かれていた。
昨日の熊に違いなかった。
なんとその熊は魁俊の後追って、今朝はこんなところに降りてきていたのだ。
しかも、
「おい、こら。これ以上来たらまた石投げるぞ!」
という彼の言葉に一瞬怯えるようにすくんでも、また魁俊が歩き出すとやや遠慮がちについてくる、
といったそぶりを見せるのである。
「……はぁ」
魁俊は諦めたように振り返り、四足になってまるで昨日からは考えられないほど小さく見えた熊に、
そっと手を伸ばしたのだった。
「また行ってやるから今日は帰りな。そのうち狩りの仕方でも教えてやるよ」
そういってやさしく熊の鼻の頭を撫でる魁俊は、まるで兄の紅可と錯覚させた。
彼にもこんなやさしい一面はあったのだ。
そして、動物はそんな優しい人間は好きだ。
と、熊はなんといきなり魁俊の前で身体を大きくしたではないか。
「え!?うわっ……!!」
一瞬襲われたのかと本気で思った小帆は思わず、その場からとび出し駆け寄った。
しかし、事態は実はそんなではなかったのだ。
「っわ!!や、やめろって!くすぐったいだろ?」
魁俊の顔は笑っていた。
熊は彼を襲ったのではなく、只単に優しくしてもらった彼にじゃれついていただけだったのだ。
といってもその巨体がまともに乗っては流石に彼は潰れていただろう。
熊は自分の重量など百も承知で、軽く魁俊を押し倒しただけで舌でひたすらその顔を舐めてやっていた。
「わかったから。ほら、帰れって……」
その時はじめて魁俊は小帆に気付き、はっとなった。
「な、なんだよいたのかよ」
途端に恥ずかしそうな顔になる。
「やさしいんだね」
「そんなんじゃねぇよ!!おい、小帆とかいったよな。この事みんなには黙っとけよ!」
熊の怪我を治療してやるために慣れない早起きまでして、さらにその熊に懐かれたとあっては、
少しくらい意地を張らないとなけなしのプライドが保てないというものだ。
小帆はクスリと笑いながらもそれに同意した。
しばらくして二人は熊を見送ってやると、そのまま山のほうを見ていた。
「あんたさ……この世界の人じゃないだろ?」
「え?」
魁俊か急に核心をついたものだから、小帆は一瞬面食らってしまった。
「わかるんだよ。なんとなく」
「そんなにここの人と違うかな……私」
「そうじゃなくて、雰囲気がちょっと似てるんだよ」
「誰に?」
「……唯って名前しかわからないけど、多分その人に。その人も多分異界の人……だと思う」
積極的なようでいて、実はとても傷付きやすい繊細な女の人。顔さえ覚えていない。
しかしなぜ、今明らかにそれとは正反対にしか見えない彼女にそんなことを言ったのか。魁俊は自分でもわからなかった。
おそらく彼の言ったのは、性格ではなく、自分が再び使えるべき巫女に対して感じている使命感が、
心のどこかに眠っていた昔の感覚を思い出させたのだろう。
その瞬間、魁俊は今までなかなかピンとこなかったはずの唯という名前が、前よりずっと近くに感じるようになっていた。
異界の人……。唯……。
その時心に芽生えた感情はひとつ。会いたい、とただ強くそう思った。
「多分あいつに聞いたと思うけど、俺は一緒に行かないぜ?」
「うん。夕べ翼宿から聞いた。大丈夫。翼宿はとても頼りになるから」
「そっかぁ?そうには見えないけどな。ま、いいや。困った時はさ、俺たちもちゃんと駆けつけるから。
あいつひとりに任せるのもなんかしゃくだしな……」
と言うなり、魁俊はうわっと二の腕をさすった。
柄にもなく慣れない事を言ったものだから、鳥肌がたったのだろう。
小帆はそんな彼を見て、またクスリと笑う。
「うん。ありがとう」
魁俊はそれを見、照れたように鼻の頭をこすった。
さらにそんな彼らを、遠巻きに見ていた二つの視線がその微笑ましい場面に和んでいたのだった。
「なんや。柄にもないこと言いおって」
「あいつはそういう奴ですよ。根は優しい子なんです」
「ま……わからんでもないけどな」
何よりひとりの人間を大切にする彼の優しさが、必要以上にそれを傷つけた他人への憎しみへと変わり、
ひとりの好いた人間を守りたいと思うからこそ、余計にその歯車は狂っていってしまった。
少しでも好いた人はとことん守りたいと思う彼の心はまるで、初夏の息吹のように透き通っていて綺麗だった。
「ほう。これはこれは。見事に揃っておいでだな」
同じ風でも風殺鬼、功翔のそれは冬の寒風のように冷え切っていた。
風にその目を宿らせ、はるか離れたところから趣味の悪い覗き方をする。
悸家の周りに集った三つの星と、巫女の光を感じ取り思わぬ収獲に君の悪い笑みをこぼした。
「東の二つの星がこんなところにいたとはな。都合がいいぞ。上手くすれば巫女を殺し、星が四つまとめて私の物となる」
その後ろに控えていたのは井宿だ。
暗い闇の中にぽかりと浮かんだ画像を見て、翼宿たちが無事なことを確認し、心の中で安堵した。
さらに、この功翔の様子からすると、そこに写った家の子たちは二人とも東の星らしい。
自分たちと同じく、新しい神獣を呼び出すために選ばれた星。
東で双子といえば、すぐにピンときた。
「行くぞ」
功翔は井宿の心が完全に闇にあると信じきっていた。
地の剛郭がその彼を救い出し、介抱したうえ助言までしたなどとは夢にも思わずに、
すっかり自らの計画した作戦に酔い浸っている。
「はい」
だが、今はいざというとき最大限油断を誘うためにも、甘んじてその命に従う他なかった。
自分の見た闇の姿。
組織の構造と、人間像。
彼の得た情報は、実際に見知っただけに確かなのだ。
それは結果論だが、身体を張った分でも大きな報酬となったわけである。
功翔は皮肉にも部下に引き込んだはずの井宿に、これ以上ないほど上等な塩を贈ってやったことになるのだ。
そんなこととは露ほども知らずに、彼は自分を信じ切り勇み足で戦地へと赴いた。
『!?』
三つの星が同時に何かを感じ取った。
来る……!!
「……?どうしたの?魁俊」
「風が騒いでる……!いいから、俺から離れるな」
「小帆!!」「魁俊!!」
「翼宿!?」「兄貴!?」
家のほうから駆け寄ってきたどちらの顔も、緊張に満ちていた。
彼らは小帆の周りを囲うように円陣を組み、気配のするほうに構えた。
その時である。
「避けろ!!」
いち早く風の異常をその勘で捕らえた魁俊が叫んだ。
だが、朝日のほうから襲ってきた風の渦は逃げる暇など与えず、一気に彼らを飲み込んでしまった。
「くっ……!小帆いけるか!?」
飛ばされそうになってふらついた彼女の袖を、魁俊と紅可が左右から同時に掴んで支えた。
翼宿は彼らの東側に立ち、その身でもって強風から彼らを守っっている形となった。
「だ、大丈夫……!」
と言っても、砂が視界に満ちているせいで声はかき消され、まして目などまともに開けていられる状態ではない。
つむじ風は一瞬にして彼らを取り込み、見る見るうちに大きくなっていった。
まるで小型の台風の目の中に閉じ込められてしまったように、砂の渦は彼らの周りで高く強く展開した。
「くっそ。これじゃ何もみえねぇよ!!」
砂が口に入ってこないように、顔の前に手をかざして目を細めた魁俊が毒ついた。
「翼宿さん!!」
「おっしゃ!!伏せとれよ。烈火っ……神焔!!!」
炎の風圧で風の壁を破ろうというのである。
彼には一度、風の結界を破った前例があった。
鉄扇からほとばしる大火が砂の壁に巻上げられ、凄まじい轟音とともに一気に空へと突き抜けた。
すると、炎の走った部分からやや時差をつけて、壁に亀裂が入ったではないか。
それは瞬時にして炎の作った道筋を駆け抜け、同じようにして天を貫いた。
砂の壁は破れたのである。
『うわっ!?』
巻き上がった砂埃がまともに彼らに降り注いだ。
ぺっぺっと口に入った砂を揃ってまずそうに吐く。
「けほっ……こほっ!」
むせていた紅可が、目を開き周りを見て絶句した。
「ここはいったい!?」
続いて魁俊もここが少なくとも我が家でないことは知った。
「なんだよ。どうなってんだ?」
彼らがいたのは背の高い草の生えた小高い丘の上だった。
「なに、いささか場所が悪かったのでね。少し換えさせてもらったのだよ……」
魁俊がはっと警戒する。
「誰だ!?」
翼宿が同じくはっとなり、小帆を守るようにして鉄扇を構えた。
「功翔!!」
丘の先にいた自分らを見上げるようにして、その袂に彼はいた。
「やっぱりお前か!わざわざ朝のご挨拶っちゅうわけか。律儀なやっちゃな」
功翔はそんな彼の反応を見て、ふっと口の端を吊り上げた。
「覚えていてくれて光栄だよ。翼宿。だが、残念ながら今朝の君の相手は私ではないのだよ……これが」
「なにわけのわからんこと……」
言いかけて、翼宿ははっと身体をこわばらせた。
それまで功翔の真後ろに姿を宿していた者が、そっとその影を離れ、彼らの前に姿を現したのだ。
「……」
その者は紅い片目をギンと座らせ、こちらを睨んだ。
「 っ!?」
小帆の顔が驚愕に歪む。
「……そや。……嘘やろ」
自分に言い聞かせるように翼宿は同じ言葉を繰り返した。
しかし、あれは確かに……。
功翔の横に立ち、こちらを睨んでいるのは確かに彼らのよく知る人物だったのだ。
「……井宿!!」
翼宿の悲痛な声が、鳥の声ひとつない明け方の虚空に短く共鳴した。
(update:04.04.18)