小帆は翼宿の話を一語一句聞き逃すまいと、始終真剣な表情で聞き入っていた。
途中何度かはらはらさせられた。
けれど、彼らは見事に互いを支えあい、ある種の運命共同体。今まで聞き見たどの人間模様よりも、
それは素晴らしく、同時に羨ましいものでもあった。
最後まで聞き終わったときには、既に夕暮れが近く、場所の景色も変わり始めていた。
ほとんど半日近く語っていた計算になる。
それほどまでに、彼らの物語は壮絶で果てしなく長い。
今もこうしてある意味では続いているくらいに、その無限は続くように思えた。
少なくとも彼らの友情や愛情は、永遠のものだと強く感じ、信じえるだけの深い物語。
聞いているだけで、人間が好きになれる気がした。
「俺は今でも、あいつらの顔を覚えとる。そん中でも、笑った顔がダントツや」
翼宿は最後にこう締めくくった。
その顔は実に清々しく、思い出の余韻に浸る哀愁が小帆にとっては彼のはじめて見る表情で、
見ているほうまで幸福を分けてもらったような気分にさえなれる。
そんなときだ。
不意に風の音が気になった。
「……笛の音だ」
「ん?なんか言うたか」
「笛だよ。どこかで誰か吹いてる」
その音はまだ微かなものだったが、馬のひづめの音の合間に心をほっと落ち着かせる音を奏でていた。
いつかしらその音は近付いて、ついには耳に確かな旋律を響かせた。
「……」
それを聞いていて、ふと眉をひそめたのは翼宿だった。
……この旋律、前にどっかで。
しかし、彼が自力でその核心をつくことはこの時点では出来ずに終わったのである。
それというのも、それまで一語も口を挟まず聴衆というよりは、小帆が翼宿の話に聞き入れるように、
気を使っていたようにも思える娘娘の発言が、久々に横から入ったからだった。
「危険な気配感じるね!」
「え?」
対象が一瞬、この穏やかな笛の音かと思った小帆などは、不思議そうな顔をしたが、翼宿の相槌は早かった。
「どこや!?」
近い!!
直感がそう告げていた。
そのときだ。
「危ない!!伏せろ!!」
馬など止めて背中の鉄扇を抜いている暇さえなかった。
笛の音に一瞬気を取られ、翼宿の判断が遅れたのだ。
しかし、歴戦の経験からか、こういうときに不意に耳に届いた声はまず信用する習慣が既に身体に焼き付いていた。
唐突かつ急激に進展した世界に一瞬戸惑うように、ぼさっとしていた小帆を強引に抱え込み、馬の手綱を離した。
叫び声の聞こえたほうとは、逆の地面に馬上から飛び込んだのも、流石に熟練した戦士のなせる業である。
馬は急な重圧の変化に驚きいななくと、騎手なしで暴走。
砂煙が舞い上がり地面に叩きつけられた衝撃も癒えぬまま、二人は恐ろしい獣の怒声を聞いた。
地の底から地鳴りのように、しかし、全く余韻を残さず耳に響く鳴き声は意味もなく身体を震わせた。
このとき彼らは知る由もなかったが、馬を強引に飛び降りていなければ彼らの乗っていた場所は、
見事に突然左の山から現われた熊によって薙がれていたのである。
かすめただけでも、相当の深手を負わされる熊の爪や牙は、磨製の武器の材料としては良品であるが、
こういう場合は遠慮したいというものだ。
伏せろと言った声をとっさに信じてみた翼宿だが、いかんせんこのままでは砂煙で視界が悪い。
さらに転げ落ちたままの姿勢である彼が、ここから最良かつ最速に反撃するのはまず無理だ。
これは推測だが、あちらはおそらく自分たちの落ちた場所に見当をつけている。先に仕掛けられれば、おしまいだ。
しかし、もうもうと立ち込める煙の中で、翼宿は確かに鈍い音を聞き取った。
何かが風を切って飛んでくる音と、ミシッともゴツッともとれる何かが強く軋んだ音が立て続けに聞こえてきた。
最後に例の地鳴りが短くギャンッと犬のような声を上げる。その正体は、やがて翼宿や小帆の目にも明らかになった。
「熊……!!」
小帆が悲鳴に近い声を上げる。
熊はおそらくまだ若いオス熊。っといっても、やはり人間の成人よか数倍も大きく、雄雄しいのだが。
その眉間には何故か、こぶし大(無論。人間のである)の石礫がめり込んでおり、
突き出た鼻の左右を涙のように赤々しい血が伝っていた。
しかし、その礫はしばらくその鼻の上に居座っていたが、別段深くめり込んでいたわけではないようで、
すぐにポロリと抜け落ちた。
一瞬、白目を向いて立ったまま呆然と気絶してたかのように見えた熊のそれに、瞬時にして生気が戻る。
「くそっ……やっぱ、横からじゃ無理か!」
馬の走り去っていった方向から少年の高い声。
熊の後を追い、石を構えながら横に回りこむだけで精一杯だった。
もし、今、一瞬でも彼の判断が遅れていたら、熊は遠慮なく大きな獲物に襲い掛かっていただろう。
しかし、彼の命中率の良さはこの場合では、中途半端に当たった分逆効果のようだったが。
熊は怒りに身を振るえたたせた。
その視線は、やはり己に傷を追わせた少年のほうを向く。
「あかん!!逃げえ!!」
「はっ!!」
翼宿に叫ばれ、失敗球のことで一瞬頭が満たされていた彼の表情がこわばった。
小帆はただ呆然とするしかなかったが、落馬して以来ずっと庇うように抱いてくれていた、
翼宿の手が離れる瞬間の言葉は聞き逃さなかった。
「ここにじっとしとれ!!」
熊は、動かない物は深追いしない。山育ちの彼が、こと山の生物の扱いに関しては手馴れたものといえよう。
そこら辺にあった石を投げ、少年のほうにじりじりとにじり寄っていた熊の頭にスコーンと命中させた。
「ほれ!!こっちやで」
ぐるる……と喉を鳴らし、寒い季節の間空のままだったお腹を満たそうとする意気込みは、なるほど並大抵のものではない。
翼宿は後ろの小帆と、熊の先にいた少年の事を考えて、山のほうに自分をおいた。
山とは道を挟んで反対側は荒れた平地だ。つまり、人はいない。
無論、熊は彼の術中に入ったことなど理解はしていない。
なりふり構わず、怒りに我を忘れて迫ってきた巨体に、
「燃えカスにしたるわ!!……烈火っ」
いよいよ意気込んで馴染みの呪文を口にしかけたときである。
それをとめる声があった。
「待って!!殺さないで!!」
なっ……!?
こういうとき、歴戦の習慣というものは実に厄介なものだった。
やはり彼は聞こえてきた言葉に従うが、それは同時に迫り来る熊の牙を甘んじて受け入れる態勢となってしまった。
背後は運が悪いことに樹木の前。背後に飛んで避けるのは不可能。かといって、横に飛べば十中八九返す刀で負傷する。
ギュッと彼が目を閉じたとき、あの旋律が再び今度は極めて近くで聞えてきたのである。
この場に不似合いなほどに落ち着いた。綺麗な旋律。
予測していた痛みが一向に襲ってこないので、どうしたものかと翼宿が冷や汗混じりに恐る恐る目を開いた時、
なんと熊の凶器は収まっていた。
しかし、その狂気が治まったかというとそうではない。
尚も喉を鳴らし、今にも翼宿目掛けて爪を振り下ろしてきそうな勢いである。
そんな中、翼宿のすぐ真横から笛演奏の中断とともに、落ち着き払った声が聞こえてきた。
「山に帰れ。ここはお前の来る場所じゃない。……人を傷つけるな」
「兄貴……!!」
道の先にいた魁俊が叫ぶが、尚もひるむことなく紅可は自分を不思議そうな目で見る翼宿の横に並び、
ほぼ真っ向から熊と対峙する。
「僕もお前を傷つけたくない。頼む」
すると、また夕暮れの空に鎮魂の旋律が流れた。
オレンジ色の五線譜は、見事にその主旋律と溶け合い。ひきたてた。
彼の心がそれに全て表れているようだった。
音は生き物の共有の言語だ。
彼の思いは全てこの旋律に託されていたに違いない。
やがて、狂気に満ちた獣の赤い瞳が、見る見るうちに静まっていくのを翼宿は見た。
空腹は満たされたわけではないが、わかってはくれたようだった。
熊は先程の騒ぎが嘘のように、威嚇して大きく見せていた身体の背を丸め、
まるで慰めを乞うように一度だけ、紅可の腹に鼻を押し付けた。
その光景は小帆に犬を連想させた。
彼はお腹がすいていただけなんだ。
生き物は決して私利私欲のためにほかの生き物を殺したりはしない。
生きるため。ただその一点のみが、どの世界に生きる物でも全てにおいて共通するものであるはずだった。
それを、破るのは只ひとつ。人間という種の生き物だけなのだ。
こいつはただお腹が空き過ぎて我を忘れていただけ。
山に帰ればちゃんと生きていける。
それでも、困った時はうちにおいで。
お前は本当はやさしいんだろう。
「いい子だからお帰り」
曲は終わった。
「兄貴!!怪我は!?」
熊が去った後、同じ顔が横に並んだ。
双子……?
そう思いながら、小帆が道の反対から翼宿のほうへ駆け寄った。
二組の人間が山の袂で向かい合う。
「大丈夫でしたか?」
「お、おう……」
何故か翼宿は自分でもわからないうちに、口ごもっていた。
「よかった。でも、魁俊。可哀想じゃないか、あんな傷を負わせて」
「あのなぁ……。ああしなきゃ、やられてたぜ?この人たち」
「だからって、無理な体勢から急所狙うくらいなら、確実に足止めできる程度に……って考えないのか。
狩猟のときとは違って、むやみに生き物を殺してはいけない。あれじゃ、そのうち化膿する危険だってあるだろう。
治療してやらないと」
「あーもう!!わかったよ!明日も朝早くにくるからさ。それでいいだろ」
「あの……」
『何?』
双子の息というのは素晴らしい。
同じ顔同じ声、しかし、ひとりはやさしく、もうひとりはややすねたような口調ではあったがやはり息はあった。
「ありがとうございます。助けてくれて」
「お礼なら魁俊に。僕は何も」
「せやかて、あいつ説得したんはお前やろ?」
「いいえ、僕はただ」
「兄貴のは説得とかとは違うんだよ。心に直接訴えかけるんだ。だから、あれはあいつの意思ってわけ」
「あの熊の?」
「そうさ。君だってわかったんじゃないの?……あいつ腹すかせてただけなんだよ。狩りの下手な奴なんだ」
「はぁ……?」
お腹すかせていたというところまではわかった気がしていたが、狩りが下手というのはどこから来たというのだろう。
この闊達なほうの少年は、もしかして今日以前からあの熊を知っていたのではないだろうか。
だから、余計に人間を襲おうとしていたあの熊を許せなかった……。
「……お前ら、名前は?もしかして、亢宿とか角宿……とかいわへん?」
「助けてもらっといてなんだよ!そっちから名乗れよ」
「なんやと!!このガキ」
間違いない。彼らはどうも、例の奴らに雰囲気が似ている。
そればかりじゃない。特技やなんかからみても、まるで翼宿のよく知る者たちのままなのである。
紅可が魁俊をやんわり制して前に出た。
「僕は悸紅可。こっちは弟で魁俊です。失礼ですが、あなたたちは?見たところここから、
倶東国入りしようとしているみたいですけど」
「私は曹小帆。この人は翼宿で……」
「娘娘ねー!!」
「うわぁっ!な、なんだ?どこから出てきたんだお前」
「角宿は失礼ね……」
「俺はそんな名前じゃない」
「でも、角宿に間違いないね。翼宿の勘正しいね」
「やっぱ、そうか」
小帆や、例の双子には一瞬彼らの会話が理解不能だった。
しかし、小帆のほうには後からピンと来たようで、あぁっと口の中で感嘆の声を漏らす。
「あの……、何の事を言ってるかは知りませんが、このままあなたたちはどうする気です?」
「は?」
「いえ、馬は走って行ってしまいましたし。この道を歩いていっても民家のひとつもありませんよ」
「なんやて!?」
「だっせぇ。旅人のくせに、そんなことも調べてないのかよ?」
「旅に関しては全部井宿にまかせっきりやったからな〜……って!!なに言わすんじゃ!?」
「あんたが勝手に言ったんだろ!?」
「あぁーもう!!やっぱコイツむかつくわ!前からいっぺん燃やしたろ思ってたんじゃ」
「だから何の話だよって言ってんだよ!!」
そんな中、何故か双子の片割れと小帆のため息のタイミングがあった。
「すみません。弟はいつもこんな感じで」
「ううん。こっちも多分似たようなものだから……。ところで、本当にこの先何も?」
「はい。何もないですね」
さらりと笑顔で言ってのける彼の性格もかなりのものといえよう。
「……」
「あの、よろしければ、今夜うちに泊まりますか?」
黙ってしまった小帆に、紅可は言った。
「兄貴!?」
すかさず翼宿とにらみ合っていた魁俊が、信じられないといったふうに叫ぶが、
「いいじゃないか。母さんだってよろこんでくれるさ。うちは女の子いないから、母さんが多分いろいろよくしてくれると思うし。
旅人を一晩泊めてやれないほどうちは貧乏じゃないですし。……どうでしょう?」
「せ、せやかて、お前さっきこの先何もないって言うとったやんけ」
「あぁ、はい。この先には何もないですけど、この山をまっすぐ越えればなんとか夜までには、僕らの村神翔郷に行けますよ」
「そういうんは早ぅ言わんかい!!」
「ご、ごめんなさい……。うん。助かります」
紅可に突っかかっていこうとした翼宿を、小帆がフォローした。
ここで、まぁ彼ならばそのような心配は無用だろうが、気を損ねられても困ると思った。
なにせ、小帆には野宿の経験なんてない。
昨日は結局太極山に泊まってから出立したのだ。
暗い夜に外でなんて、考えるだけで彼女には恐ろしかった。
何より、小帆は暗いのは嫌いだ。いろんなことを嫌でも思い出される。
「お願いします!」
「うん。僕は構わないよ。母さんもいいって言うだろうし。……問題は」
「……わかったよ。ただし、こいつだけは嫌だ」
その途端、バシンと切れのいい音が響いた。
「いってぇ!?何すんだよ!?」
功翔の一件以来、出番がなくてうずうずしていたのだろう。ハリセンのキレがことのほかよかった。
「俺はお前にだけは死んでも頼まんわ!ったく、いつまでたってもくそガキやなぁ。
俺もこいつと一緒の屋根共有するくらいやったら、外で寝たほうがマシやで!」
「誰がくそガキだって!?もういっぺん言ってみろ!」
「おう。何度でも言うたるわぃ。ガキガキガキ……」
「このぉ……!!だったら、そのガキ相手にムキになってるお前のほうがよっぽどガキンチョじゃんか!」
「なんやと!?お前のがガキやんか!チビ」
「言いやがったなぁ!」
「おう。言うたで。やるか!?」
「泣きべそかいてもしらないぜ!」
「へん!!そらこっちのセリフや」
翼宿と魁俊の喧嘩を見ていた紅可と小帆の声がまた、双子でもないのにぴったりと重なった。
「どっちもガキだよ……」
「どっちもガキでしょ……」
娘娘も遅れて呟いた。
「二人とも前のまんまね……」
ここにもし、鬼宿こと魏がいたら余計に凄いことになるのだろうとは、この場では娘娘のみしか思い至れないことであった。
かくて、翼宿と小帆の二人(+娘娘)は悸家に一晩の屋根を借りることとなった。
紅可の言っていた通り、母親は事情を聞き小帆を見るなり歓声を上げた。
それからは、まるで我が子のようなかわいがりぶりであった。
自分のお古だけどといって、汚れた服を洗ってくれる間にいくつか着付けてくれ、お風呂も用意してくれた。
小帆はなんだか、くすぐったかった。
懐かしい……。お母さんも小さい頃はこうやってやってくれたっけ……。
つい嬉しくなり、積極的になる。
泊めてもらってる代わりに夕飯のお手伝いをする、といった時の悸氏の嬉しそうな顔はもう一生忘れられないと思った。
家の中でそんな女同士の団欒が催されている間、男衆は何故か外にいた。
星の輝く明るい夜。畑の策に家に背中を向けて、右から紅可、翼宿、魁俊の順に並んでいた。
「こういう夜は好きです。星が綺麗で。特に今は朱雀の星が良く見える」
「兄貴って朱雀好きだよな。俺は断然青龍だけどなぁ」
「……なぁ、お前らほんまに覚えとらんのか?」
前に、朱雀の仲間の転生後を魏や井宿と一緒に訪ねたことがあったが、やはり赤ん坊の張宿以外は記憶がなくなっていた。
彼らもそうなのだろう。
一緒に転生したということは、角宿が懐可となってその後生きた亢宿を待っていた計算になる。
前世では戦争遺児となってしまった彼らも、こんどこそ、戦争のない平和な世に生まれることができたのである。
「翼宿さん……でしたっけ。朱雀の星のひとつと同じ名前ですね」
「あぁ。そういえば、そうだな」
この二人の発言で、希望はゼロに等しくなった。
しかし、翼宿が頭を伏せたのもつかの間、紅可が気になることを言い出したのである。
「待ってましたよ。翼宿さん」
「……へ?」
「あ〜ぁ、これでやっと肩の荷が降りるな。兄貴」
「あぁ。そうだな」
「ちょっ、ちょう待ってや。俺挟んでなにわけのわからん会話しとんじゃ!?双子っちゅうんはこれやから」
「ちぇ。まだわかんねぇのかよ。コイツ、老人ボケなんじゃねぇの?」
「なんやと!?もっぺん言ってみろや」
「あぁ!なんどでも言ってやるよ!!朱雀七星士の中で一番バカの翼宿ってな」
「こっ……!!」
しかし、翼宿はいざはたこうとして、はっとなった。
「お、お前ぇ!!すぼしぃ!?」
思わず後退して彼を指差し、口をパクパクさせた翼宿に紅可が言った。
「お久しぶりですね。翼宿さん……といっても、記憶が曖昧なので顔を覚えてなかったのですが」
「あ、亢宿……ほんまにお前?」
「俺としては二度と会いたくなかったんだけどな〜」
「角宿!そらこっちも同じや。なんでお前らなんぞがここにおんねん!?しかも、記憶あるやんけ!なんでや」
「それは、違います、僕たちは小さい頃に覚えていたことを、さらに互いに覚えていただけに過ぎないんです。
まぁ、二人いる分少しは明確だと思ってましたけど」
「そうそう。俺が覚えていたのが、角宿っていう自覚と亢宿っていう名前。それから唯っていう名前かな」
「僕が覚えていたのが、朱雀の星と、巫女……美朱さんという名前でした」
「……なんや、双子っちゅうんはこういうときまで、セットでお得やな」
姿は多少変わってても、確かにここにいるのはあの時あの伝説の登場人物の二人であった。
しかし、翼宿には気になったことがひとつ。
「さっき、お前ら俺のこと待ってたて言うとったな。なんでや?お前らはもう転生して次の世界歩んどるっちゅうのに、
なんや、二人してまだなんかやり残したことでもあるんかい」
「そうです。翼宿さん、それは今のあなたならよく知ってることなんじゃないですか?
いや、むしろあなたと僕たちは同じ理由で今ここに存在しているんだと思いますよ」
そういうと、亢宿はおもむろに右肩をはだけさせた。
「お前、それ……俺と同じやんけ」
かつての文字がその時の色をベースにしつつ、気が高ぶると金色に色を変える。
夜の空気の中で確かに亢の字は、その色に染まっていた。
それに続いて角宿も金に輝く兄とは左右対称側の角の字を見せる。
「文字が出たのはつい最近ですけどね」
「ついでにヘンなのも出てきたよな」
「ヘンなのやて?なんやねんそれ」
「ヘンなのはヘンなのさ。昨日の夜、俺たち同じ夢見たんだ。なんか黒くて気色悪い物に、この世界が飲み込まれていくような。
そのあと、金色の龍が現れて黒いのと戦うんだけど、その龍と一緒に三人……四人だったかな。
女がそれぞれなんか持って一緒んなって戦ってさ。そのうちのひとりの人が持ってたものが、俺たちの文字と一緒に今朝現われたんだよ」
「せやから、なんやねん?そのヘンなのって」
「これです」
角宿の変わりに兄が懐から片手で何かを取り出した。
開くと、その手にあったのは、
「……玉や」
見た目はなんだか、懐かしくなるくらい特定のそれに似ていたが、全く違うと確信したのは、その中に渦巻いている物を見てからだった。
「なんやこれ!?青龍……青龍がこんな玉ん中おるんかい!?」
「俺も最初びびったよ。でも、多分そうだと思うぜ」
「青龍は基、龍の象徴は宝玉だといいます。その玉は世界中の人間の願いが詰まってるとか、反対に欲望が凝縮されてるとか、
まぁ、いろんな伝説があるわけですが、これは……」
「ダメやん。その管理する本人が入っとるで、これ」
「ですから、そういうことなのだと思います」
「……四神の力が束んなっても、敵わないっちゅう例の敵にやられたんか」
「夢には続きがあるんです。戦っている女性たちの周りにいくつもの星が見えました。
そのうち四方にそれぞれ二つずつ黄色く光っている星があって、僕たちは多分東の二つです。
青龍にお告げを受けたんです。我らは闇の己への侵略を阻止するため、自分で自分を封じると」
「自分で自分を……やて?」
「はい。闇に気付かれないように隠れるためだと。四方の選ばれた者たちに託すと」
「せやかて、俺はそんなもん……」
「わかりません。でも、これは確かに青龍の封印された玉です。これは、時がくるまで絶対に解き放たれることはありません。
翼宿さん、僕たちはあなたにこれを渡すために待っていたんです」
「なんで、んな大事なもんを俺に持たすんじゃ。お前らの神やろが」
「そうだよ。けど、俺たちは一緒に行かないぜ」
角宿は睨むような態度でそういった。
「は?」
「どうせ、これから北も西も行かなきゃいけないんだろ。でも、俺たちには今っていうものがあるんだ」
亢宿がそんな角宿を見て、すかさずフォローに入る。
「……僕たち、考えたんです。母さんをひとり……残しては行けない」
それを聞き、翼宿はなんとなくわかったように家のほうを見た。
中からは女の子の幸せな笑顔と、やさしい母のぬくもりがそのまま伝わってきた。
「けど、この先、どうなるかははっきり言うて俺にもわからんけど、多分そういうわけにもいかんやろ」
「はい。ですから、戦う時はともに戦います。それが、僕たちの定めなら。けれど、今はあの人をひとりにしておきたくないんです。
我侭なのはわかってます。でも……父はしばらく帰ってこないと思うし。このうちの子供として生まれた定めというのも、
あるんじゃないでしょうか?前世であなた方にしたことの罪の償いは、必ずします。でも、今はもう少しこのままでいさせてください。
……お願いします」
こう言われると、翼宿も何もいえなかった。
「俺も……頼むよ」
角宿にとっては、親がいる幸福というのが前世から欠落していた。
やっと、兄弟で親子で、何かを恨むことなく一緒に暮らせる日々を送れるようになった二人のこの願いを、
誰が拒否できるというのだろう。
翼宿もわからないでもなかった。
もしも、自分が既に転生して、彼らと同じ立場にあったとしたら、目の前の大切な人を守りたい。
そう思うかもしれないと。
実際、そのようにして今の自分があることを翼宿も自分で自覚していた。
「よっしゃ、わかったで!!それ、よこし。俺らが四神を全部集めたるわ!多分、今世界で一番フリーな星士は俺と井宿だけやからな。
その代わり、来てもらう時は必ず来てもらうで覚悟しとけ。闇との決戦やって、お前らのお母はん守るのと同じ意味あるんやしな」
その瞬間、双子の顔が笑顔で全く同じになった。
その時、翼宿は大極山での太一君の言葉をふと思い出した。
“命”に属する者。“風”に属する者。
命を大切にする者。風のように生きる者。
まさに今の紅可こと亢宿と、魁俊こと角宿のことだったのだ。
思いのほか大きな収獲となったわけである。
「しっかし、お前ら。なんも転生してまで同じ顔しとらんでもええやろ……」
(update:04.04.16)