
私は今度の御柱三日間生まれて初めて御柱と行動をともにしました。
現役の頃は行きたいと思っても仕事に追われて休日出勤などしていて、木遣りの声など聞きながら悔しい思いをして旋盤と格闘していました。
最後の日も雪の中ふるえながら御柱屋敷に引きつけました。ライトアップされた御柱は雪の降る中人々の熱気で湯気を立ち上らせながら、御柱屋敷につきました。
その光景は幻想的で素晴らしいものでした。
たくさんの人達と達成感と感動を共有できたことと、
この光景を見て目頭が熱くなりました。
私たちの御柱を最後に山出し祭は閉じられましたが、
素晴らしい思い出になると思います。

夫もやはり諏訪の男だったんですね。
お義兄さんが胆嚢炎の手術をして入院していましたので上社の山出し祭が終った次の日、お見舞いに行きました。「御柱に行ったか?」 「三日間よっくと行った。」 「そんねに行きゃあ今度の御柱見られるかわからねえぞ。」 ・・・?
私は焦って「まだまだ二回も三回も見てもらわなきゃ。」
六年に一度の祭りなんです。夫にそんなに早く死なれてたまるものですか。
飯田育ちの私は、諏訪の皆さんの御柱への思い入れと、諏訪では御柱とともに齢を重ねていくんだな。と改めて感じました。
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