いらっしゃいませ
Ver.11

2004/02/28

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つつじの絵手紙 あなたはいつだってそばにいる

 軒下の福寿草が咲きました。母の形見にと姉が飯田の実家から横浜に持って行き、去年の春諏訪へと移植されたものです。
 黄色い花を見ながら母の面影を重ね合わせます。母の命日は二月九日でした。
末娘の私は苦労掛けたんだろうな・・・。
 一月の末でした。私の特に親しい友が突然脳出血で倒れ、ご家族の願いもむなしく三週間後静かに息を引き取りました。
目を開けることもなく、別れの言葉もなく、励ましの言葉にうなずいてもくれず・・・。

 突然でした・・・。私の心の中から大きなものが、すっぽりと抜けてしまいました。
夫にも子供にも埋めることの出来ない部分です。
 病気がちな私より、丈夫でずっとずっと長生きするだろうと、思っていたのに・・・。はかないものですね。
葬儀にはたくさんの方が参列して、彼女の人柄がしのばれます。
 わたしも弔辞を読ませていただきました。


お別れの言葉

幸江さん
あなたと初めてあったのが伊那バスの入社式の日。十五歳の時でしたね。 そこをやめるときも一緒でした。
そして実家にいた私に「岡谷工学に入ったけれど良い会社だから来ない。」とあなたが誘ってくれ、いそいそと入社しました。
私が飯島に嫁いできたら、あなたは目と鼻の先に。
昭さんの奥さんになっていたのよね。
あなたを 追いかけ、追いかけ、 四十二年間、 頼って生きてきました。
私が悩んだとき、あなたの笑顔を見、 話を聞いてもらっただけで、心が落ち着き、何度救われたことでしょう。
多忙な日々の中で、手作りのお料理を、せっせと作ってごちそうしてくれましたね。 そのおいしさは格別でした。
おつけもの、手作りのジャム、何もかも絶品でした。たくさん沢山頂戴しました。
あなたは頑張って調理師の免許を取り、かわいい園児のために美味しい給食を
一生懸命作っていましたね。
あなたは弱いものの立場に立って少しでも暮らしよい世の中にしようと生き甲斐を持ってあゆみ続けてきました。
自分の身体のことは何時も後回しで、まわりのみんなのために、ありったけの暖かい、優しい心で、頑張って、頑張って、がんばり抜いて走り抜いた人生でした。
これから何十年も、一緒に生きてゆけると信じていたのに、こんなに切ないお別れをしなければならないなんて、
残念で、無念でなりません。
幸江さん。
長い間の、あなたの友情に感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございました。
ゆっくり休んでください。
                  平成十六年二月二十二日








にしきぎの絵手紙 あなたに逢えて本当によかった
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