画像:富岡製糸場の繰糸所
富岡製糸場(群馬県富岡市)
文 明 開 化 の 詳 細 (5)
1867年(慶應3年) 薩摩藩の顧問として博覧会で活躍したフランス人シャルル・ド・モンブラン伯爵が、鉱山技師フランソワ・コワニエを薩摩につれてきたが、コワニエは翌年には新政府に雇われ生野銀山開発を任される。
画像:史跡生野銀山 ©2013 Google, ZENRIN
画像:鹿鳴館
14. 鉱山開発 フランス
画像:於鹿鳴館貴婦人慈善会之図
画像:幕府の直轄鉱山として栄えた生野銀山
画像:建築家ジョサイア・コンドルの建築作品コレクション
出典www.maroon.dti.ne.jp
東京帝室博物館本館 (1885)
上野博物館(東京帝室博物館本館)です。
関東大震災で崩壊してしまいました。
ジョサイア・コンドル
東京帝室博物館本館(1882)、宮内省本館(1882)、鹿鳴館(1883)など多数
画像:新町紡績所 1877年
官営模範工場の一つであり、明治5年10月4日(1872年11月4日)に操業を開始した。フランス・リヨンの商社、エシュト・リリアンタール商会の横浜駐在員であり、お雇い外国人のフランス人技師ポール・ブリューナ(Paul Brunat)の指導でフランスから繰糸機や蒸気機関等を輸入した。
15. 紡績 イギリスのちにフランス
日本紡績業の本格的なスタートは1882年(明治15年)に設立された大阪紡績ではじまった。同社は、民間有力者を株主とし資本金25万円、当時のイギリス紡績工場に匹敵するミュール紡績機1万5百錘を備え、蒸気機関を動力源とした本格的な国際規模の工場だった。大阪紡績設立の中心人物は第一銀行頭取の渋沢栄一である。新会社の中心人物として東京帝国大法学部卒業後イギリスに留学中の山辺丈夫に白羽の矢が立てられた。山辺は、留学の目的を急遽変更してマンチェスターの紡績工場で実習するなど周到な準備を行なった。彼は帰国すると直ちに設立後間もない大阪紡績の工務支配人となり、販売を除く事業全般の責任者として采配を振るった。事業は操業開始直後から高配当を行うなど予想を超える大成功となった。(出典)
屑繭を紡績して絹糸(紡績絹糸)をつくる工場 佐々木長淳の献策により設置が決まり、基本的な設備はスイスとドイツから輸入された。1877年(明治10年)7月1日に操業を開始し、10月20日には大久保利通、伊藤博文、大隈重信など当時の政府首脳がほとんど出席して開所式が挙行された。翌年には明治天皇が行幸し、自ら紡績機械を運転して確かめたという記録もある。
16. 建築 イギリス