画像:留学生ではないが、1864年の文久3年、幕府がフランスに派遣した横浜鎖港談判使節団のエジプト(恵寺日多)のピラミッド(三角山)のスフィンクス(巨大首塚)前の写真。

1862 (文久2年) 幕府による派遣 オランダ
1863 (文久3年) 密航 長州五傑 イギリス
1865 (慶応元年) 密航 薩摩藩第一次英国留学生 イギリス
1865 (慶応元年) 幕府による派遣 ロシア
1866 (慶応2年) 密航 薩摩藩第二次米国留学生 アメリカ
1867 (慶応3年) 幕府による派遣 イギリス
1868 (慶応4年) 幕府による派遣 フランス
1871 (明治4年) 岩倉使節団付留学生 諸国
1875 (明治8年) 第1回文部省派遣海外留学生 アメリカ、フランス
1876 (明治9年) 第2回文部省派遣海外留学生 イギリス
1879 (明治12年) 官費留学 アメリカ
1880 (明治13年) 工部大学校の海外留学生(一回限り)      イギリス
1882 (明治15年) 官費海外留学生規則
1884 (明治17年) 森鴎外 陸軍省派遣留学生 1884年(明治17年)ドイツ
1885 (明治18年) 北里 柴三郎 ドイツ
1900 (明治33年) 夏目漱石 イギリス

文 明 開 化 の 詳 細 (3)

8. 海外留学

 海外留学について資料を纏めてみると、日本人の好奇心というか向学心というか、未知の分野への探求心の強いことに驚嘆させられる。

 ここでも留学の対象はオランダ、イギリス、アメリカ、フランスが主体であり、(当時は野蛮とされていた)ドイツに留学する人は数が限られていた。明治20年をすぎたあたりから、医学を中心にドイツ指向が強まったのは、明治政府の指導によるもの。

 ここでは項目だけ挙げておき、興味のある方には更に詳細を調べて頂くことにしましょう。

画像(一部改変):咸臨丸内部図。咸臨丸フェスティバル2013資料から。蒸気機関を備えた帆船だった。