角寒天の歴史

  寒天の発明は、今から340年余前の明暦年間、徳川4代将軍家綱の頃と云われています。 薩摩藩主が、参勤交代の途中、山城国(やましろの国−現京都府)に宿泊しました。 宿屋で膳部の中に、心天(ところてん)が有りました。宴席で余ったところろてんを屋外に棄てられたものが、 冬の厳寒の気候により、凍結乾燥を繰り返し、ふわふわとした寒天になったといわれています。
  諏訪地方で、角寒天の生産lavenderが始まったのは、今から160年程前、天保12〜3年(1841〜42年)頃と 推定されています。信州諏訪郡玉川村(現茅野市)の小林粂左衛門が、丹波(京都府北部)の寒天工場にて、 技術を習得、玉川村にて開業したのが起源のようです。
  当時としては、画期的な和菓子材料であり、保存食にもなることから、販路も拡がり、甲州・江戸方面へも 出荷されたようです。ただ、原料が海で採れる天草だった事から、原料調達には当時の業者が相当苦労したようです。
  風土の面では、昼夜の気温差が大きく、乾燥している諏訪地方の内陸性の気候が、寒天生産に最適であり、 稲作の副業として急速に発展しました。昭和15年には、業者数217件となり、人口数万のエリアとしては、 花形産業といえたでしょう。
  昭和後期になると、食品の多様化により徐々に衰退して、生産数量も減ってきましたが、最近 厚生労働省の発表で、寒天の食物繊維含有率が食品の中で最も多い事がわかりました。 健康志向で、寒天をお買い求めになる消費者が増えて、NHK『ためしてガッテン』、日テレ『おもいっきりテレビ』 等の放映、健康雑誌の掲載等、大反響を呼びました。最近では、海外でも認知され、日本が生んだ健康食=寒天が ますます注目を浴びております。

寒天の製法

寒天には、天然生産の『角寒天・細寒天』と、工業生産の『粉末寒天』があります。 角寒天・細寒天は、天草・おごのりと呼ばれる海草を、煮溶かして抽出したエキスを固めた 「ところ天」を、凍結・乾燥させ、脱水した乾物です。天然生産のため、下記工程に20日間近くを費やして精製します。
  また、粉末寒天は工場内生産で、ところ天を機械で脱水乾燥させて生産します。 ◎ 弊社製寒天は、製造後検品を致しております。他社製品に比べ不純物の少ない製品をお届けいたします。、
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