直径 (
π
)
高さ (
H
)
重さ (
W
)
容量 (
CC
)
碗
90π/60π
82mm
221g
150cc
皿
155π
33mm
261g
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島岡達三
象嵌珈琲碗皿
益子焼 人間国宝 初期作品
アジアヨーロッパ地域が好む140cc〜160cc、アメリカンな200cc、日本のカップは150ccが標準であります。
持ち手が三本指ホールド、容量が180cc
のコーヒーカップを日常的に使っていて、作家物の代用を探しておりました。
年々珈琲豆の糖度は上がってきており、砂糖、クリームを入れないスペシャリティコーヒーの需要が多い昨今。スッキリとした雑味のない比較的薄めのドリッピングが主流になりつつある今では、コーヒー碗の容量は180ccがベストなのかもしれません。
まさか、島岡氏の作品に三本指ホールドのコーヒーカップがあったなんて!。巡り会った時には驚きと、恋焦がれる人を見たような不思議な感覚でありました。180ccにはちょっと足りませんでしたね。
若い人達にバトンを渡そうと掲載を始めたブロック4ですが、最初に登場したのは島岡氏の作品でした。古臭さがなく、むしろ
普遍的
洗練されたフォルムと使い勝手の良いデザインに敬服しています。
「普遍」とはおよそ芸術において「安定」と「破壊」を合わせ持ちます。
安定とは古典的であって、破壊とは先進的でありえるものです。
〔
A
古典的〕 〔
B
普遍的〕 〔
C
革新的〕
A
と
B
に
1
「安定・伝統」の要素共有
B
と
C
に
2
「破壊・革新」の要素共有
B
は普遍的であるので
1,2
の要素を持ち、全てに適合する条件を合わせ持つ訳です。しかし、
A
と
B
と
C
に共通する要素はありません。したがってこの3つを説明する
「定義」
は見つからない。即ち芸術に定義は無い。これが有名な
ヴァイツの芸術論
です。
何代にも続く家柄に生まれても、工場に優秀な絵付師がいても、凡そ芸術において認知され評価を得る事に新進気鋭の作家との間には垣根はありません。門徒に囚われず、門は開いています。
かと言って私は深川製磁の伝統と格式が大好きで、歴史に刻まれた色褪せぬ先人の息吹に感嘆し、嬉しくなってしまい心が躍り、暖かくなります。それは伝統に創造を上書きされた普遍的作品であるからなのでしょうか。
何かの衝動や弾みでコーヒーカップは私の所有物となりますが、めぼしをつけていても、何年経ってもちっとも我が物にならないコーヒー碗もあります。それはそれで「縁」が無いのでしょう。