直径 (π) 高さ (H) 重さ (W) 容量 (CC)
 碗 75π 90mm 112g 160cc
 皿 153π 22mm 175g ---


仲田錦玉 盛金白粒
伝統工芸士 九谷焼

五感に快い認識が「美」であれば行き過ぎた凡そ芸術的表現はもはや「美」の領域を外しているはずであって。美的感覚のそこには「空間」と「時間」も介在し、バックボーンとなる背景も、時も、とても重要性を帯びてくるものであります。

花はそこにあって、散るから美しく、憧れの物や人は出会っていない時間的距離があるから美しい。「マリリンモンローはトイレに行くのか?」と言ったタイム紙の記者の言葉のごとく「美」は時として人の憧れや欲求の感性スイッチを麻痺させてしまう。

為に蒐集家はこの時間的尺度を上手に使いながら鑑賞する訳であって、ここにコレクターが陥り易い罠が魔法のように掛けられているのであります。審美眼の上限領域に達した作品を「欲しい」と思ったならば、この時間的距離が麻薬のように心を支配してしまうのです。


その魔法に作用された「美」が到着しました。


ゴマとつまようじを置いてみましょう
遠目ではバックの浅黄色が、白粒を置かれた場所は淡く、他はくっきりとグラデーション効果になっています。焦点が合う場所ではプリントではない、一粒一粒の盛り上がった「玉」である事に視覚が切り替わり衝撃が走ります。



表面張力さえも上回る球状の盛り上がりで、いったいどれだけの時間が必要で、粒入れ中は息をしているものなのか?誤って重なったりしないのか?仲田錦玉氏の技術には誰もが驚愕するところでありましょう。



「芸術」に触れた私の「脳」は所属愛を満たされ、充足感に包まれて幸福を覚えています。人が幸せなのは良い対人関係にある時とされます。かけがえのない定義です。

芸術は対物関係なのに人を幸せにしてしまう魔法を持つのでしょうか。対人関係の補佐役なのでしょうか。当HPのどの作品もそうですが、一瞬で虜にしてしまう作品や、じっと見入ってしまう作品、色合い意匠の妙、省略の妙、いろんな魔法が掛けられているのかも知れません。

「芸術作品」に満たされて今日も珈琲を美味しく頂くと致しましょう。