すみの江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人めよくらむ |
すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん 1字決まり |
作者は藤原敏行朝臣。この方も三十六歌仙のお一人です。 住之江の岸とは大阪住吉神社あたりの海岸の事。「よる」は【寄る】と【夜】。この【よる】を持ち出すために「すみの江の」となります。 ≪住之江の岸に寄る波のように、夜の夢の中の恋路でさえも私は何故か一目を避けている。人目につく昼間ならまだしも、どうしてこんな夜の夢でさえもビクビクしていなくてはいけないのだろう。これが一目を忍ぶ恋というものか≫ この方はかなりのプレイボーイだったそうです。また字がとてもお綺麗だったということで、よく沢山の方に写経を頼まれていたということですが、その写経をしながらも女性の事ばかり考えていた?という事で、今昔物語等によると、ある日「にわかに死んで」(ホント?)地獄に連れていかれたそうです。そこで閻魔大王に八つ裂きにされる寸前に、やり残した写経があるといって何とか娑婆に戻してもらったらしい。ところが生き返ればやっぱり女性の方に心がいってしまい、「はかなく年月過ぎて」結局閻魔大王にひどい目にあったという逸話を持つ方です。 |
難波潟 みじかき芦の ふしの間も あはでこの世を すぐしてよとや |
なにわがた みじかきかあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや 4字決まり |
作者は伊勢。この方も三十六歌仙のお一人です。(続きますねえ) ≪難波潟に生えている沢山の芦。その中のひときわ短い芦の節と節の間は更に短いわ。そんな短さの逢瀬の時間さえあなたは作ってくれなくて、このまま世の中を過ごしていけとそんな冷たい事をあなたは私にいうの?≫ この歌にでてくるつれない冷たい男の人は、藤原仲平さんだといわれています。初めは仲平さんかなり伊勢さんに入れ込んでおりますが、もともと身分がかなり違ったこの二人、やがてドンドン出世された仲平さんはあっさりと伊勢さんと逢う事をやめてしまったそうです。 終ってしまった恋の痛手からなかなか立ち直れなかった彼女ですが、その後人の勧めで宮仕えをし、その中で歌人としても名を広めてあの紀貫之さんにも勝るとまで言われ、更には宇田天皇の寵愛を受けるようになります。宇田天皇の譲位後も、第四皇子から寵愛を受け、女性としても歌人としてもある意味華やかな人生を送ったようです。 そうそう、仲平さん宮仕えをし有名になってきた伊勢さんに再びアプローチを試みたそうですが、あっさり拒絶されたとか。あ〜男って・・・って感じですか。 |
わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ |
わびぬれば いまはたおなじ なにわなる みをつくしても あわんとぞおもう 2字決まり |
このページの3首。私は勝手に≪難波シリーズ≫と名づけております。 作者は元良親王。後選集の恋の部に「事いできて後に、京極御息所につかはしける」とあります。どういうことかはまず現代語訳から ≪世の中の人々は私の事を不倫をしていると、人の道から外れた恋をしているとそしり、そんな世間の目にとがめられ、あなたに逢う事もままならなくなってしまいました。そんな噂が流れた今は何をしても同じ事。いっそ難波の澪つくしのように私のこの身を尽くしてでも、また再びあなたに逢いたいと、いえなんとしてもどんなことをしても逢うのだと思っています≫ 「事いできて」というのは、京極御息所との恋の露見の事を指しています。 一見事が露見して自暴自棄になっての歌かとも思いますが、枕詞・掛言葉などをうまく用いて綺麗にまとめている所はやっぱり才能なんでしょうか。 この方もなかなかのプレイボーイだったと言うことで、このような歌を作るのはなんでもなかったことなのかも。 |