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みちのくの しのぶもぢずり たれ故に 乱れそめにし われならなくに
みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに   2字決まり
作者は河原左大臣。源融(みなもとのとおる)。東六条の河原院に済んでいたので、この名がある。宇治の平等院もこの方の別荘だったとか(平等院って別荘だったの?!)。
『陸奥の信夫(しのぶ)の里(現在の福島県福島市)のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心も乱れ始めてしまいました。誰のせいと思いますか?あなたの故に、あなたのためにこんなにも心を乱してしまっている私ですのよ』
なかなか想いの届かない相手への、苛立ちや恨み言がちらちらと伺える歌ですが、地位も名誉もあった左大臣さんにこんな歌を詠ませたお相手は一体誰だったのでしょうか?
君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ
きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ   6字決まり
作者は光孝天皇。この歌は6字決まりなので、競技の時はじっと聞いていなくてはいけない。慌てると、50番の「君がため 惜しからざりし・・・」と間違えてしまうのだ。
『あなたのためにと思って、まだ寒い早春の野辺に出かけて、若菜を摘み取りました。そんな私の着物やその袖には雪がちらちらと降り続いたのですよ』
この若菜というのはもしかして、正月の春の七草辺りでは〜なんて私は勝手に想像しています。しかしどう考えてもお偉いさんがご自分で若菜を、わざわざ誰かのためにしかも雪が降っている中、摘んで持って行くという事はないでしょう…と調べていくと、やはりこの歌は若菜を渡す相手へのメッセージとして読まれたようです。
この光孝天皇さん、実は金田元彦さんという方の説によると、あの『源氏物語』の「光源氏」のモデルではないかということです。そして源氏物語の若菜の巻にちなんで、定家は光孝天皇のお歌として若菜の歌を入れたのではないかという説なのですが、いわれてみるとふむふむなるほど、ちょっと気取った感のあるこの歌、光源氏の歌として詠むとまたなんだか風情が違ってきこえます。
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たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰りこむ
たちわかれ いなばのやまの みねにおうる まつとしきかば いまかえりこん   2字決まり
作者は中納言行平。在原業平さんの異母兄さん。この歌は今で言うなら転勤等の送別会の席で歌われた歌のようです。お別れの歌いうわりにはなんだか威勢が良く、明るい。
『皆様いよいよお別れのときです。私はこれから因幡の国(現在の鳥取県)へ行きます。因幡の国には松の名所の因幡山があります。そのに生えている峰の松ではないけれど、あなたが私を「まつ」とおっしゃるならば、私はすぐにでも帰ってきますよ』
因幡と往なば、松と待つをかけた覚えやすい歌です。
ところで「ゆきひら鍋」というのがあるのですが、この名前はどうやらこの行平さんから来たものらしいです。知らなかった。
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ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
ちはやぶる かみよもきかず たったがわ からくれないに みずくくるとは   2字決まり
作者は在原業平朝臣。三十六歌仙のお一人。上の行平さんとは異母兄弟で弟。『伊勢物語』の「むかし男」がこの方。
ちはやぶるというのは神の枕詞。水くくるとは水を潜り抜けるなどという意味ではなくて、「絞り染め」という染物の様式の一つをさします。「からくれなゐ」という言葉があるから、もみじのことかな?と想像がつきますが、この方は紀貫之さんに「伝えたい想いがありすぎて、どうも歌にすると言葉がいまいち足りないんだなあ」と言われたとおり、パッと読んだだけでははて?と思ってしまう向きも…。
「摩訶不思議な事が多かった神代の時代にも聞いた事がない。竜田川の水面は真っ赤なもみじが散り流れ、まるでそれは一陣の絞り染めの染物のように美しい。」こんな意味でしょうか。
ちなみに落語の「ちはやぶる」は全然内容が違います。あの落語のとおりと思っていた方、残念です。
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