わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり |
わがいおは みやこのたつみ しがぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり 3字決まり |
作者は喜撰法師。この方は六歌仙の一人として大変有名な方ですが、作った歌として残っているのはこの一首のみ。いつ生まれていつ亡くなったのかも判らない、不思議なおじさんです。 この歌は「掛詞・暗喩」満載。とっても面白い歌です。これぞ短歌の醍醐味って感じです。 「うぢ山」の「う」は「宇」と「憂」(うし)と「卯」がかけられています。「卯」というのは十二支の卯。 子・牛・寅・卯・辰・巳(都のたつみ)を考えると、次は馬のはずなんだけど、そこには「鹿」が登場する。鹿を指して馬となすという中国の故事を指しています。「しかぞすむ」は「鹿ぞ住む」と「然ぞ住む」、更に「すむ」には「澄む」もかけられています。 一つの言葉にこれだけたくさんの意味をこめて、でもさらっと31文字に収めてしまうなんて、尊敬の一言です。 「私の住んでいる庵は、都のたつみ(巽)の方角(東南)、宇治山です。鹿の鳴く里で私は心も澄み渡り、晴れ晴れとした気持ちで住んでいます。それなのに世の中の人々は、私がこの世を憂しと見て隠れてこもってしまっているように言うんですよ」 ところでこの都のたつみに注目。後鳥羽院の流された隠岐を都と考えると、たつみの方角は定家のいる京都に当たるのです。この歌に定家は何を思ったのでしょう。 |
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに |
はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに 3字決まり |
作者は小野小町。六歌仙、三十六歌仙の一人であり、絶世の美女として名高い方です。しかし確かな詳細はわからず、伝説的な話が多く残っている女性で、この百人一首に登場する、僧正遍昭・在原業平・、文屋康秀と交流があったようです。美人で才女と来ているからとにかくモテモテだったようです。 そんな彼女ですがやっぱり人の子、いつか真剣な恋に落ちます。でも相手は小町一人のものではなかったようです。苦しい恋に男を恨んで、でも思い切れない。そんな小町を遠くからじっと見つめていた男性がいました。小野貞樹。小町が恋と若さを失い傷ついた時、貞樹がそっと長い間の思いを伝えます。そんな彼に小町は 「今はとて 我が身しぐれに ふりぬれば 言の葉さへに うつろひにけり」(私はもう色香もあせてしまったわ。貴方の言葉も心も昔とは違うのではないの?) 「人を思ふ こころ木の葉に あらばこそ 風のまにまに 散りも乱れめ」(貴方への思いが、木の葉のように軽いものであるならば、風の吹くままに散り乱れるのでしょうが、私はそんな軽い心で言っているのではありませんよ) そして嬉しい気持ちを秘めて小町が返したのが、『花の色は・・・』 『花(桜)の色はもう虚ろってしまいました。この長雨に花は散り、色変わりしてしまいました。同じ様に私自身も苦しい恋に物思いしているうちに、いつの間にか若さも過ぎてしまいましたのよ』 世に降る長雨(ながめ)と世に経る眺めを掛詞にして、大人のいい女の歌だなあって思います。大好きな1首です。 |
これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関 |
これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おおさかのせき 2字決まり |
作者は蝉丸。坊主めくりの時に被り物をしているので、お坊さんなのか一般の人なのかわからなくて、もめる人。『今昔物語』の中では敦実親王の雑色(雑役を努める身分の低い家来)ということになっています。反対に『平家物語』などでは醍醐天皇の第四皇子という貴い身分になっています。一体どっちが本当だったのか、詳細不明の人です。 が、「琵琶」の名手だったようです。親王が琵琶の名手でお仕えしているうちに音色を覚え、いつの間にか名手と呼ばれるまでになった方だそうです。 「これがあの有名な逢坂の関か。東国へ下る旅人も都へのぼる旅人も、知る人も知らない人も別れては逢い逢っては別れる、人の世の出会いと別れを暗示しているような、その名も逢坂の関」 逢坂の関というのは、京都府と滋賀県の境にあった関所のこと。 リズム感よく読めて、覚えやすくて知っている人が多い一首かと思います。 |