田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ
たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ   2字決まり
作者は山部赤人。ここまででもお気づきのようにこの百人一首の作者は、皆さんが一度は国語の教科書でお目にかかったことのあるような方が、非常に多いです。中には全く無名の方のいらっしゃいますが。
この歌は国語の教科書で習った歌とちょっと違います。国語でやったのは『万葉集』にあった原歌の方です。個人的には原歌の方が好きです。定家は何でこの歌を直してしまったんでしょうか。
奥山に 紅葉ふみわけ なく鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき
おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき   2字決まり
作者は猿丸太夫。この猿丸さん、カルタを見るとなにやら怪しげなおじさん風にかかれていることが多いのですが、実在の人物ではなかったらしい???ではなぜそんな人の歌が選ばれたのか。申し訳ないけど、私にはよくわかりません。
「人里は慣れた深い秋の山に、散り敷く紅葉を踏み分けて鳴く鹿がいる。その声を聞く時、秋の哀れさが心に深く染み入ってくる」しっとりとした晩秋を思わせるいい歌です。とてもあの怪しいおじさんとは結びつかない・・・、一体誰なんだ?!
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける   2字決まり
作者は中納言家持、大伴家持さんといった方がなじみが深いかな?大伴旅人さんのお子さんです。中納言というのは家持さんの役職です。この時代は役職でその方のお名前を表すことが多かったようです。紫式部も清少納言も式部・少納言と名前にそれぞれ役職がついて、それがいつの間にか定着してしまったようです。
かささぎというのは、雨の日に天の川に橋を掛け渡すといわれている鳥のこと。「冬の夜空にきらめく星達。かささぎが掛け渡しているという天上の橋のように、宮中の橋の上にも白く霜が降りている。それが白々しているのを見ると夜も更けてしまったのだなあと思う」
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも   3字決まり
作者は阿倍仲麿。「大空をはるかに振り仰げば、月がかかっているが、あの月は昔ふるさとの日本で見た、奈良にある三笠山に差し昇っていた月なのかなあ」
仲麿さんは唐の国(今の中国)への留学生でした。この歌はその時に読んだ物だそうで、どうしてそんな歌がここに入るのかというと、前の一首と「天」つながり(織田正吉氏)なんだそうです。
定家の心境を考えると、『私が今見ているこの月と同じ月を、後鳥羽院も遠く離れた地で見ておられるのだろうか…』といったところでしょうか。
 
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