悪戦苦闘 の日々 |
出産が終わって、やれやれ一安心これでゆっくり休める・・・と思ったら、そうではなかった。 妊婦は出産が終わると同時に『母』にならなくてはいけない。「育児」が待っている。 沐浴のさせ方、授乳の仕方、オムツの当て方、交換のやり方などなど覚えなくてはならないことが山ほどあった。 中でも大変だったのが「授乳」。里紗はなかなかおっぱいもミルクも飲まなかった。病院では一応、生後何週間の赤ちゃんはこのくらいというミルクの目安があって、それを飲みきらないと授乳室から出られなかった。いつも私と里紗はのこってしまう。何だか昔学校の給食が早く食べられなくて、一人で残って食べていたことを思い出していやだった。 里紗はほんの少し飲むと満足していつも眠ってしまっていた。でも残った分をどうしても飲ませなさいと看護婦さんに言われ、すやすや眠っているのに、無理矢理起こして口にほ乳瓶をくわえさせた。そうすると今度は泣いてしまって余計飲めない。私がなかなか出来ないでいると看護婦さんが無理に里紗に飲ませる。で、結局吐いてしまう。 同じに生まれても、小児科にいる里絵はわずか5ccからゆっくりはじめた。毎日ゆっくり分量を増やしている。何だか里紗も小児科に入院になっていればと思った。 同時期に生まれた子は男の子が多くて、出生時の体重も3000gをゆうに超えている子ばかりだった。4000gに近い子もいた。わずか2690gの里紗はその中でひと回りもふた回り小さく見えた。 そんな里紗が他の子と同じだけの分量のミルクを飲むというのは、到底出来ないことだというのは誰の目にも明らかだった。でも病院はそれを認めてくれない。挙句の果てには、3時間ごとのミルクを、里紗だけは飲めないからといって4時間ごとにされてしまった。早く退院したかった。このミルクのことだけは本当に辛かった。 偶然、友人の妹さんが同室で、悩んでいる私を気遣って色々と慰めてくれた。他のお母さん方もほとんどの人が第2子以降の出産だったため、経験豊かでミルクが足りなくて泣いているわけじゃないんだからといって、励ましてくれた。子供はマニュアルどおりになんて育たないよとも教えてくれた。確かにそう思った。こういう時は出産経験のある看護婦さんたちに指導についてもらいたいと思った。 |
退院の日 | 出産から2週間後、私と里紗は退院した。小児科にいる里絵はまだ入院中。これからは毎日午後2時に面会に行くことになった。 用意しておいたベビー服を着せたが、ブカブカだった。袖を何回も折り曲げた。実家の母が毛糸のおくるみを編んできてくれて、それに里紗を包んでといったが、余りにおくるみが大きすぎて抱いていると里紗がこぼれそうになるので、さっと上に羽織ってそのまま車に乗り込んだ。 これでミルクのことで悩まなくてもいいと思った。 |