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県宝に指定されたお宝も、もともと有つたであろう所にそのまま置かれており、近くで見る事ができました。 百人一首もあり、中身も開けて見せて下さいました。 札はちょっと小ぶりにみえました。
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中庭とそれに続く湯殿・上雪隠。 廊下・縁側も客間と住居の間はきっちりと仕切られていました。 なかのまに長持がありました。 大正天皇の生母・柳原愛子氏が使っていたものだそうです。 (柳原白蓮は姪にあたるそうです。) 今は中にお雛様がしまわれているそうです。
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急な階段を上って、二階も見せていただきました。 二階は表と裏に部屋が有って、表の部屋は寺子屋として使われていたそうです。 壁には塾生だった十一童西海・後の慶応義塾文科教授・神戸弥作の書が残されていました。 小野神社境内の薬師堂には、文章可立身の筆書大額がかかっているそうです。 奥の間へと続く通路・後で作られたものだとか、かなりの段差があります。 県宝の踏み台を使って、通路を通り奥の間へと向かいます。 二階奥の間。 奥の階段の途中に物置の中二階がありました。
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天上、梁の上の俵には古いお札が入っているのだそうです。 郵便逓送用籠。 展示はされていませんが、問屋の道具が色々置かれていました。 |
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ちょっとよりみち:こめはなや |
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今回は時間も押していたので、主屋の外側の説明はお聞きできませんでしたがここでお別れ。 問屋の隣にあった大正レトロな建物は、小野郵便局だそうで、 今回案内して下さった保存会会長の小野さんも郵便局長をしておられたそうです。 焼失前の問屋跡まで散策。 前の駐車場にこめはなやさんがありました。 自然食品の農家のお店だそうですが、食事と自然食品が購入出来るとか。 店はなかなかの賑わいでした。 皆さんは、お土産にお菓子を購入しておられました。 |
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お店の向かいにちょっと気になる土蔵がありました。 お店の人に、聞いてみるのを忘れましたが、これは焼失をまぬがれた小野家の土蔵でしょうか。
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古田晁記念館:国登録有形文化財 |
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今回の旅最後の訪問先は、筑摩書房創始者古田晁氏の記念館です。 ここも、平日は開いていないそうですが、会長さんが事前にお願いして、 特別に見せていただける事になったそうです。 ここは北小野、管轄は辰野ではなく、塩尻市だそうです。 今日は記念館協力会会長の神戸さんが、わざわざ来て下さり案内して下さいました。 ここには、古田氏の生家があり、主屋と文人・学者達が集ったとされる土蔵があり、 主屋の方は晩年古田夫妻が暮らす為に建て替えを行ったそうですが、 土蔵・渡り廊下・門は当時のものがのこされており、 平成6年に庭園と土蔵を市に寄贈・8年に塩尻市立古田晁記念館となり、 21年には国登録有形文化財となつたのだそうです。 今は、外装の工事中だとか、ちょっと無粋な足場が目立ちました。 土蔵二階の客間と主屋を繋ぐ廊下。 一階は展示室になっていました。 よく面倒も見たという太宰治の書。 宮本百合子の色紙。 文人達からの手紙・借金の依頼も多かった様です。 高村光太郎胸像・作・高田博厚・高村光太郎全集を発刊した縁で購入したものだそうで、 社長室に長く飾られていたそうです。
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案内して下さった神戸さん。 | |
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本・柴笛・渋川驍。 原稿移送中、列車の前の席に砲弾が当たり、血染めとなった原稿と完成した本・柴笛・渋川驍。 二階客間・多くの文人学者達が集った所だそうです。 主屋に続く渡り廊下。 書房の名前の筑摩は、地元の筑摩村からとったとか。 地元を愛し、晩年住居にと建て替えた主屋は、夫妻とも一度も住む事もなく終わってしまったそうです。 快晴の下、紅葉と数千万年前の歴史から、江戸・明治から戦後までの歴史を堪能した一日となりました。 最後にここも、辰野と塩尻に二分されている、小野神社と矢彦神社にバスの中からお参りし今回の旅を終えました。 |
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