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諏訪七不思議の一つ・天流水舎。 |
神楽殿・市指定文化財。 江戸末期・伊藤伝蔵(大隅流)の作。 |
前の狛犬は清水多嘉示作・八ヶ岳美術館にも有りました。 左の大太鼓は、神楽殿よりも古いものだとか。 |
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勅使殿と五間廊。 |
駒形屋(神馬舎)・江戸末期。 木製・白馬と銅製・黒馬が安置。 |
勅使殿・市指定文化財(伊藤伝蔵)安政年間に大修理。 五間廊・江戸中期・五官(神長官・禰宜太夫他) が着座。 贄掛けの欅(樹齢千年・生贄を掛けて祈願したとか)。 明治になつて、欅が倒れ、建物が壊された事があったそうですが、馬達は無事に屋方を飛び出し立っていたとか。 出早社(祭神・出早雄命・諏訪神の門番神だとか)。 入口御門・江戸末期・原五左衛門親貞と弟子の藤森廣八(立川流)によって造られたものだそうです。 入口御門から布橋(藤森廣八)を通り境内へと向かいます。 入口御門・藤森廣八(立川流)の見事な彫刻を見て門をくぐると、絵馬堂(額堂)があります。 絵馬堂の彫刻・数は少ないですが見事なものです。 鏝絵の献額(小川善弥・長八の弟子)。 鏝絵の額は5枚あります。 明治の頃はこの辺りでも鏝絵が盛んだった様です。 |
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摂末社遙拝所・江戸末期。 摂社は祭神の系譜に連なる神社や、本社の地主神だそうで、その他、その神社の管理に属するものは末社だそうです。 摂末社遙拝所では、上中下各13個所、39個所の摂社末社(現在は約百社だとか)を朝夕この社を通して遙拝しているそうです。 八ヶ岳から移植された薔薇樅の大木。 薔薇樅の実・薔薇に似ているかな。 大国主社(摂社)・祭神・御父神・大国主命。 |
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前回御柱の時に建てられた西宝殿。 宝殿は御神輿・御神宝を奉安する御殿で、一般の神社の本殿にあたるものだそうです。 以前は新造して六年経った宝殿に遷座したそうですが、今は新造してすぐに遷座するそうです。 東宝殿造営用地。 旧殿の取り壊しは済んでいました。 東宝殿が建つ前なので、片拝殿が良く見えます。 |
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四脚門・国指定重要文化財。 上社本宮は織田軍の兵火にあって焼失、後に四脚門は徳川家康が大久保長安に命じて造らせたものだそうで、 大祝だけが最上段の硯石の盤座へ登るのに使われた門だそうです。 御沓石・神の宿る石は諏訪に七石あるそうで、ここ上社には御沓石と硯石があるそうです。 棒状の石は天之逆鉾。 入口門から中へ入ります。 今日は正式参拝をお願いしてあると言う事で、授与所の横でお清めをしてもらいます。 上社での御祈祷は勅願殿で行われます。 幣拝殿は大社の恒例祭典等公事の祈願を行い、その他私事の祈願は勅願殿で行われるそうです。 現在の勅願殿は江戸時代の初期に、天皇の祈祷所として造られたものだそうです。 前回訪れた時には、拝殿に居られた大黒様も工事の為か、今は勅願殿におられました。 |
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今日お祓いをして下さったのは、原禰宜。 お祓いの後は、会長が代表で玉串を奉奠。 原禰宜から、上社のお話をうかがい、最後にお神酒をいただいて終了です。 その後は参拝所の横に集まり、引き続き工事の様子等説明していただきました。 今回の工事は、屋根と防災用の石庭工事が行われたそうで、 屋根の工事は終わった様ですが、まだ工事は継続している様でした。 屋根は銅葺だったものを今回は、四脚門は杮葺(サワラ)・幣拝殿は檜皮葺(ヒノキ)だそうです。 三・四十年はもつそうです。 本宮の昔の建物は極彩色だったそうですが、織田軍の兵火に合い全焼、 その後再建され江戸時代初期には完成したそうです。 現在の建物(幣拝殿・左右片拝殿・脇拝殿は重要文化財)は江戸末期に諏訪藩主の命で、 二代目立川和四郎冨昌・地元の宮大工原五左衛門等とともに8年かけて造ったものだそうです。 旧の拝殿は乙事の諏訪神社へ移されたそうです。 東宝殿が無くなっているので、右片拝殿の彫刻が良く見えました。 幣拝殿・脇障子の彫刻。 左片拝殿・腰羽目の彫刻。 |
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脇拝殿と硯石。 斎庭の複雑な石組。 文庫・中の資料も兵火で焼失したのかな。 |
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金井社・宝物殿の裏に祠がありました。 金井家は神饌所の鹿人・料理長だったそうで、その人の土地が神社内に残っているのだそうです。 |
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参集殿。 次に宝物殿を案内して頂きました。 神器・八栄鈴、サナギの鈴・御頭棒(薙鎌付き)等が展示されていました。 そこで酉の祭りの説明をして頂きました。 諏訪の祭りは、生神様・大祝を迎えお供えを一緒にいただき、 その後に祭りをするので、祭りより直会が先きになるそうです。 最後に参集殿を見せて頂きました。 千代之富士と貴乃花の額が奉納されていました。 参集殿には、かつての神宮寺に有った普賢堂・五重塔のレプリカが奉納されていました。 第九代藩主・諏訪忠誠は江戸城老中職にあったが、長州征伐に反対して老中を罷免、 戊辰戦争の時は新政府軍として出兵したそうで、 神宮寺の取り壊しも明治元年と、四年の廃仏毀釈より早く行われたそうです。 境内にあつた御鉄塔は温泉寺に移され、寺院の中でも御柱が建てられ守られているそうです。 五重塔は知久氏によって鎌倉時代に造られ、普賢堂の方は弘法大師の創建というから、 平安初期には存在していた事になりそうです。 最後に皆で、参拝をした勅願殿を背に記念写真を撮らせて頂き、上社を後に前宮へと向かいました。 諏訪善光寺も花盛り、長野善光寺は今年が御開帳、諏訪善光寺さんでも御開帳をやっているかな。 |
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諏訪大社上社前宮: |
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溝上社・祭神は建御名方命の母・高志奴奈河比賣命(子安社とされる所が多い)。 御射山へ出発前にはまず参詣。 鳥居下の階段(御手祓道)の脇には室町時代までは、大祝の殿舎・神殿があったそうですが、 政局が移り上原城・高島城の方へと移って行ったそうです。 若御子社・建御名方命の御子13柱を合祀。 十間廊・中世まで祭政の行われた場所。 十間廊は上段・大祝の座、中段・家老、奉行、五官の座、下座・御頭郷役人などの座にわかれているそうです。 |
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御室社・半地下の土室で穴巣始の儀式をした所。 今回も同伴して下さった武井先生が、桜の御幣を調達、 内御玉殿の前で本日最初の木遣の一鳴を披露して下さいました。 内御玉殿・御神宝(八栄の鈴・真澄の鏡・馬具等)の安置御殿。 前宮に到着した所で、まずは参拝。 前宮は神殿に付属したお社で、御祭神が最初に居をかまえた所でもあるそうです。 又境内には、祭神(建御名方命・八坂刀賣命)の神陵もあるそうです。 前宮本殿・奥の石垣は神陵伝承地。 |
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前宮は諏訪大社四社の中で、唯一本殿を持つ神社だそうです。 現在の社殿は昭和七年に伊勢神宮の御用材で建てられたものだそうです。 名水・水眼の脇を通って、神社の周りを一周します。 あたりには、ニリンソウ・アズマイチゲも咲きだし、神前のイヌシデの古木も芽吹いて、春爛満と言う所でした。 最後は拝殿の前で、木遣りを一鳴きして、前宮を後にしました。 西山公園の桜は遠目にはまだ見頃。 今日は気温もかなり上がった様で、湖上の雲は夏雲の様相でした。 |
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ちょっといっぷく:ライフプラザマリオ |
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マリオさんまで戻って昼食となります。 久々の暑いくらいの天気に喉もからから、冷えたビールが喉にしみます。 午後は下社の見学だそうですが、すっかり出来あがってしまいました。 諏訪のお祭は、直会が先だそうですので、そのあたりは大目に見て頂き食事の後は下社秋宮へと向かいます。 |
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