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乾燥倉庫。 | |
ヘラは堅いマユミの木を油に浸してしなりの出る様に、 又形状も余分な漆をしっかりすくえる様に工夫してあるそうです。 刷毛は髪の毛を漆で固めたものだそうで、東洋人の髪の毛が真円に近くて良いそうです。 30歳ぐらいの、海女さんのキューティクルの落ちた髪の毛は最高だそうです。 こんな道具も、作るのは年に1本ぐらいなので、上手く出来る様になるには、何年もかかるそうです。 今回の鏡台には、漆を上の桶2杯分ぐらい使ったそうです。 日本の漆は樽で来て貫目で測られるそうです。 漆塗は温度には強いそうですが、紫外線には弱いそうです。 だけど、蛍光灯ぐらいでは大丈夫だとか。 漆器は長く使っていると、狂いが出る事があるそうですが、修理は十分きくそうです。 この重箱も、只今修理中。
漆器も、布貼りしてあるものから、塗りっぱなしのものまで、値段もさまざまだそうで、 入口には、作品が色々展示されていました。 紫外線除けの為か、箱に納められていました。 ここで皆さんお土産を調達、滑らない八角箸が人気の様でした。 |
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最近作りだした、茶杓。 削り出しだそうです。 岡谷の生糸同様、商品開発までやれる所が生き残れるのかもしれません。 ちゃんとした漆器は使い込むにつれてツヤが出てくるそうです。 左手のお椀は、10年ほど使い込んだものだそうです。 又漆器は、片口の様に、軽くて重ねられる様にデザインも工夫されているそうです。 ケヤキの皮で作った水差し。 曲物にするには、薄く削り出して二重重ねぐらいにして使うそうで、 原料の皮は水差しの倍ぐらいの太さの木からとられているそうです。 巣山さんにはお忙しい所、長時間お付き合い頂きありがとうございました。 おかげで、漆器も少しは深く見れる様になった気がします。 |
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ちょっといっぷく:かなめや |
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今日の昼食は巣山さんの紹介で、奈良井にある「かなめや」さんでいただく事になりました。 かなめやさんは中町のはずれの鍵の手の近くにありました。 築140年ほどの古民家で、今日のメインデッシュはオジヤと丸い五平餅。 食事をしながら、ご主人の中山さんに、奈良井の見どころ等お話して頂きました。 今日は平日でも、表には外国のお客さんが大勢歩いているのを見かけましたが、 Japanは海外では漆器の事をさす様で、 海外の旅行のパンフレッドにも漆器の町の奈良井の紹介にさかれたページの数は多いそうです。 漆の種類も600種ほどと多く、ミャンマーの技術者も研修に奈良井にやって来る事があるそうです。 床の間には立派な蒔絵の重箱が飾られていました。 ご主人の親父さんが作られたものだそうで、高松宮家にも納めた事があったそうです。 冷えたビールを御馳走になり、元気を回復、午後からは奈良井のお寺巡りをする事になりました。 鳥居峠ルートが開かれたのは、奈良時代の初めで、東山道として使われていたそうで、 官道・中山道六十九次の中央に、奈良井宿があり一時は奈良井千軒といわれるほどに発展したそうです。 そんな町でも、お寺が5寺、神社が4社とはちょっと多い気もします。 |
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奈良井五ケ寺巡り:玄興山浄龍寺・浄土真宗大谷派 |
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最初に訪れたのは鍵の手の奥にある、浄龍寺です。 この寺は、平安末期の武将で木曽義仲四天王の一人、落合五郎兼行の嫡子・兼興が義仲の死後、 鎌倉時代になつて玄興寺を開いたのが最初で、後に義仲の末孫・源義昌が再建、池澤山玄興寺としたそうです。 徳川家康が東本願寺建立の後に、浄土真宗東本願寺の末寺となり、玄興山浄龍寺となったそうです。 本堂は天保の火災で焼失、江戸末期になって、庫裏と仮本堂を兼ねた、本棟造りの建物が本堂になっているそうです。 裏には庭園がありますが、この庭園は彫刻家・石井鶴三が島崎藤村の木像を製作の為この寺に滞在したおり、 絶賛していた庭だそうです。 |
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荒沢不動尊。
江戸中期に御嶽信仰の行者・秦賢が木曽谷に布教に回ったそうですが、そんななごりでしょうか。 奈良井には江戸後期から、御嶽百草丸を売る店もあるそうです。 |
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