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背負櫃。 木喰上人が、仏像を彫りだしたのは、61歳の蝦夷地での作が初めてで、 仏像としては珍しい、微笑仏となったのは80歳を超えてからの作品だそうです。 生涯に千体以上の仏像を刻んだそうですが、現存するのは617体で、半数が新潟に残っているそうです。 岡谷にも6体の仏があるそうです。 十一面観音は、田之上地区にあるマッコ堂に有ったものだそうです。 如意輪観音像は甲府空襲で消失したのを復元したものだそうです。 阿弥陀如来図。 甲斐の善光寺には、91歳で消息を絶つ前に書かれた阿弥陀如来図が残っているそうです。 青表紙歌集は、2003年の小泉内閣メールマガジンで小泉首相が、 ここの歌を引用したことでも有名になつたそうです。 「まるまると まるめまるめよわが心 まんまるまるく まるくまんまる」 |
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微笑館は、国道300号線からさらに200mほど上った、標高540mの丸畑に造られ、 昭和61年に開館したのだそうです。 |
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木喰記念館:木喰上人生家 |
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微笑館見学の後は、陽気がいいので歩いて下の木喰上人の生家へと向かいます。 道端には、ホトケノザも咲いていました。 こちらは食用ではなく、春の七草のホトケノザは、黄色い花のタビラコの事だうです。 梅の花も咲き出していました。 ここまで来ると、暖かさもひとしおで、春爛漫という感じでした。 道を下って来る途中に、急な石段がありました。 上の建物の壁には「五智如来像安置所」とありましたがここが、 五智如来を本尊とする、見命山永寿庵でしょうか。 木喰上人の生家・伊藤家の菩提寺でもあるそうで、もとは真言宗だったそうですが、 今は曹洞宗だそうです。 本尊の五智如来は今は、生家の木喰記念館にありました。 永壽庵をさらに下った所に、木喰記念館がありました。 木喰記念館は、上人の生家を13代目の伊藤勇氏が、記念館として開放してくださっている様で さっそく我々を迎えて下さいました。 木喰上人は、江戸時代中期の人で、14歳で家を出て、22歳で大山不動で出家、 その後常陸の国・羅漢寺で木喰戒を受けて木喰行道上人となったのだそうです。 廻国の大願成就の後に丸畑に帰り、83歳で永壽庵の五智如来を刻み、 立ち去ろうとした時に村人に請われ、四国堂を造り、84歳の時そこに祀る四国八十八箇所にちなんだ、 八十八体の仏像を刻んだのだそうです。 八十八体の仏像のうちの八体は、四国堂建設に最後まで残って尽力した十三人の講中のうちの 南沢地区の三軒の内仏として納められたそうです。 その後、四国堂の仏像は大正に入り、横浜の骨董商に売却されてしまい、 四国堂も取り壊されてしまったのだそうです。 四国堂は、昭和53年に復元され、今はマッコ堂に有った子安観音像が安置されているそうです。
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