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龍岡城五稜郭: |
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次に向かったのが、龍岡城五稜郭です。 日本で造られた最後の城で、函館に並んで二っ目の様式の城だそうです。 国指定史跡になっているそうです。 城の掘割には、丁度コウホネが咲き出していました。 かっては、諏訪湖にもかなり咲いていたそうです。 大手門から中に入って、しばし散策します。 下からは、ちょっと星型は想像出来ません。 |
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明治4年の全国の城郭取り壊しに合わせて御殿は取り壊されましたが、 御台所は学校として残されたのだそうです。 今は、その跡地に田口小学校が建っていました。 この時の大広間は佐久市落合・時宗寺の本堂、東通用口の門は、 野沢成田山の門として移築されているそうです。 田口招魂社・龍岡藩主だった大給恒が、戊辰の役で戦死した犠牲者を弔う為に造った神社だそうです。 |
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御台所。 大手門を出た向かい側に、資料館をかねたお休み所、五稜郭であい館がありました。 ここで、お茶をご馳走になりながら一服です。 龍岡城五稜郭は、幕府の陸軍総裁でもあった、三河奥殿藩松平氏(家康の5代前に分家して、 譜代の家臣として仕えていた。)の11代当主の乗謨が、 幕末の情勢に合わせて居館を三河から信州に移すにあたり構築した館だそうで、 函館の五稜郭の4年後に造られたものだそうです。 五稜郭のモデルとなったのは、フランスのヴオーバン城だそうで、 五角形の辺の長さが、ヴオーバン城は600m、函館五稜郭は半分の300m、 龍岡五稜郭はさらに半分の150mだそうです。 田口招魂社。 |
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今日のお昼は、臼田にある民芸喫茶の「木亭」さんでいただく事になりました。 ボリュームのあるサンドイッチも、ちょっと空いてきたお腹にはちょうど良い量でした。 店には他の客も無く、年寄り夫婦でやっておられるちょっとレトロな雰囲気を味わいながら ノンビリと食事をさせていただきました。 食事の後は、当店2階にある陶芸ギャラリーを見せていただきました。 店のご主人の説明付きで自慢の一品を拝見。 1階にある、陶芸品の売店も賑わった様です。 |
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ちょっとよりみち・奥村土牛記念美術館 |
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どうやら雨も上がってきた様です。 帰りは、せつかく近くまで来たので、 ちょっと先の八千穂にある奥村土牛記念美術館を見て帰ることになりました。 美術館は、黒澤酒造の黒沢会館が村に提供されるのを受けて設立されたものだそうで、 第二次世界大戦のおり疎開して当館の離れに住んで居られた、 現代日本画家の奥村土牛氏の作品が展示されていました。 国道を八千穂駅に向かって行くと、向かいに黒澤酒造の建物が見えて来ます。 そこを右に廻ってちょっと行った先の八千穂駅の近くに美術館はありました。 館内は、当館担当の須田さんが案内してくださいました。 まずは、玄関の広間で会館と土牛の説明をして下さいました。 館内には、奥村土牛の素描の作品が展示されていました。 建物も文化財にも指定されているとかで、古いたたずまいが良く残されていました。 「芸術には完成はありえない、どこまで大きく未完成でいられるかだ。」 という土牛の言葉をちょっと味わえたひと時でした。 帰りは、雨上がりの濃い霧の中、メルヘン街道を上り麦草峠を越えての帰宅となりました。 部落を過ぎるあたりでは、5,6頭の鹿の群れに見送られ霧の中を上って行くと、 八千穂自然園では何台かの車が止まっていました。 後できくと、霧が出たので、自然園の白樺林に咲く高原の貴婦人(トウゴクミツバツツジ) を狙ってやってきたカメラマン達の様でした。 麦草峠のあたりは、まだ道の脇にかなり雪も残っていました。 茅野側は霧も多少薄くなり、峠では一瞬の晴れ間から日がさすのも見られました。 下りになると、ちょうどミネザクラも咲きだして、こんなに桜の木が有ったかと驚かされました。 そんな景色を楽しんでいる間にマリオさんに無事到着です。 運転手さん、霧の中の運転ご苦労様でした。
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