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前宮本殿: | |
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鎌倉道の雪原をしばらく上ると前宮に到着です。 まずわ、靴に入った雪を払います。 名水「水眼」。 源流は1Kmほど上流だそうですが、水質も良く前宮の御手洗川になっている様です。 本殿は、神殿に付属したお社だったそうで、御祭神の八坂刀売命が最初に居を構えた、 諏訪信仰発祥の地だそうです。 昭和7年に伊勢神宮の御用材で立替られたものだそうです。
神社前の「いぬしで」の大木。 ここらで最初に植えられたものか。
マメガキ。 昔は、これからシブを取ったそうです。 前宮一の御柱の前を鎌倉道ぞいに登っていくと、小町屋墓地に着きます。 そこには、元禄16年の石碑が有りました。 古い石仏は、諏訪の浮城造りに使われて、残っていないそうで、元禄のものが岡谷にあるだけだそうです。 前宮への参道は、小町屋の中小路と呼ばれているそうです。 この他にも東小路、西小路と高遠へ貫ける道が三本あるそうです。 中央構造線は、前宮のあたりを通るそうですから、この中小路のあたりでしょうか。 対岸に見える上原城跡を眺めしばし、高遠軍が眺めたであろう情景を思います。 一番下の道路に面した所に、溝上社がありました。 みそぎ池の中にあり、御射山へ出発する際におまいりした所だそうです。 |
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泰平山安国寺:臨済宗妙心寺派 |
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安国寺山門。 今日は御住職も忙しい様で、建物の外周りを横山先生の説明を聞きながら見学します。 信濃安国寺は足利尊氏につかえた諏訪円忠が、天龍寺造営奉行の後に、 全国66ケ所に一寺一塔を建てる時信濃国安国寺建造の担当となり、自領の諏訪に建てたものだそうです。 入り口には、梶紋と足利氏の紋が並んでいました。 寺は、信玄に敗れた高遠藩が撤退の折に焼かれてしまったそうで、 江戸時代に現在の地に移築されたのだそうです。 ここらは、何度か宮川の大洪水にあったそうで、石垣の根石の中に積み込まれていたというお地蔵様達が、 安国寺橋の架け替え工事の時に道路から出てきたそうです。 |
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皇大神宮社: |
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安国寺に接して皇大神宮がありました。 もともとは、安国寺村の産土神だったそうですが、祭神は天照大御神だそうですから、 伊勢神宮の系統で出雲系の諏訪の地では珍しいのかもしれません。 拝殿は、明治26年に建築されたものだそうです。 鳥居の所で注連縄の説明をしていただきます。 注連縄は左巻きだそうです。 左巻きの見分け方は、右手を上げて回すことが出来る巻き方が左巻き、 左手で回すことが出来るのが右巻きだそうです。 最後に、新しい人もおられるので、神社の参拝のやり方のおさらいです。 正しく、覚えているかな。 |
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お隣では寒天製造の真っ最中。 今日の昼食は、岡谷のマリオさんにもどってからいただきました。 今回は、前宮の十間廊も見学したと言うことで、諏訪大社発行の鹿食免の説明を していただきながら鹿肉をいただきました。 刺身も馬刺よりもさっぱりとして、なかなかの美味でした。 ご馳走さまでした。 |
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