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貞松院殿墓。

案内して下さった山田住職。

貞松院殿墓。  初代藩主頼水公は頼岳寺、奥さんの貞松院はここ貞松院にあるのは、

離婚したのではなく、二代目忠恒が母の願いによりここを廟所とし、

寺の名前も慈雲院だったのを貞松院と改称したのだそうです。

梅香院殿(二の丸二代目盛政の妻)墓。  こちらは頼水公息女。

寂林院殿心誉輝窓月仙大居士(松平忠輝公)墓。

咲き始めた枝垂れ桜(市天然記念物)。 

桜の木は、二代目藩主忠恒公が大阪からの帰りに持って来たとか、樹齢は350年以上。

城向地蔵尊。  三代忠晴公息・正太郎君を祭る、親思いで一人でに城の方を向くと言われているそうです。

 

 

忠輝公は35歳の時諏訪に流されて来て、南の丸に禁固されていたが、晩年幕府の体制も落ち

着いてきた事もあり、外出も出来るようになった様で、ここ貞松院の住職とも懇意間柄だったそうです。  

93歳で他界した時は、塩づけにして幕府からの検死を待ち、その後この寺に葬られたそうです。 

忠輝公に関しては、バカとカシコイの二説あるそうですが、文武にすぐれ時代には合わなかった

傑物だったそうです。   そばには、遺愛のボタンが植えられていました。

庫裏に入ると、正面に神棚がありました。  

諏訪のお寺では、諏訪の殿様も神・仏両方大事にされたので、神棚のある所が多いそうです。  

西洋とは違い、神仏混合は平和の元。 この思想は明治にくずれ、戦争へ。

庫裏の襖、京都のカラチョウさんに昔通りになおしてもらったそうです。  

襖に取っ手の無いのは、寺の裁判が有ったときに被告が逃げるのを妨げるためだそうです。

庫裏では、古い建物の重要さ、正座の話、昭和の本堂再建の苦労話等していただきました。

次に本堂に案内して頂き、仏様の話をしていただきました。   本尊阿弥陀如来。

本尊の右の段は、公儀段で歴代の殿様の位牌が祀られていました。 

左の段は一般の方の段だそうです。   

公儀段最上の不動尊の脇の位牌は、左が忠輝公、右が貞松院の御位牌だそうです。   

この寺では、古い密教の関連で阿弥陀如来の脇神として、不動尊、毘沙門天がお守りしていたのだそうです。

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