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乾徳山恵林寺:臨済宗妙心寺派  

 

今日三番目に訪れたのは、秩父道に近い所にある恵林道です。

大善寺から来る山ぞいの道はちょつと分かりづらかつたですが、無事に到着です。

バスを入り口の近くで止めてもらい、正面の参道入り口に向かいます。

まず目につくのは、ちょうど見ごろを迎えた桜にはえる黒門です。

ここ恵林寺は、鎌倉時代に夢窓国師が開いたお寺だそうで、武田信玄が菩提寺と定めた古刹だそうです。  

乾徳山とは笛吹川上流にある乾徳山で国師が修行したのにちなんで付けられたそうです。   

参道の桜を眺めながら進むと、中ほどに赤い四脚門が現れます。  

この門は織田軍の焼き討ちからも残った唯一の建物だそうで、国の重要文化財にも指定されているそうです。 

しかし看板の説明には、桃山様式とありますが、それだと時代がちょっとずれそうですが。

赤門をさらに奥に進んだ所に、三門があります。

禅宗では仏殿の前の門を三解脱門(三門)というのだそうです。

ここに集まって、本日の予定最後の寺での武田家滅亡の話をききます。

ここの三門は、43日織田軍の兵火につつまれた恵林寺三門楼上で

『安禅不必須山水 滅却心頭自涼』と渇破し、武田氏に殉じた快川国師の話で有名な所だそうです。

現在の建物は、江戸時代に近くの鐘楼堂を移築したもので、やはり室町、

桃山期にかけての名作技法を取り入れた古いものだそうです。(県指定文化財) 

開山堂。  堂内には夢窓国師、快川和尚、末宗和尚の三像が安置されているそうです。

恵林寺開山堂前で記念撮影、後はしばらく自由散策となりました。

大庫裏の風林火山に迎えられ、寺内を見学します。 

本殿から続く、ウグイス張りの廊下を過ぎると、明王殿へと出ます。  

信玄が生前に対面で刻ませたと言われる武田不動尊が安置されていました。  

そして、その裏には武田信玄の墓がありました。  

そして、その本堂側に柳沢侯廟所がありました。  

徳川五代将軍綱吉のころ、国主となった柳沢吉保の庇護により、寺はいっそう発展したので、

ここに祀られたのだそうです。  

ここで、柳沢吉保が出てくるとは知りませんでした。

国の名勝に指定された、夢窓国師築庭の池泉回遊式庭園では、

ちょうど桜も満開で素晴しい眺めを呈していました。   

西芳寺、天竜寺の庭園より10年ほど早く作られたものだそうです。

甲府善光寺:浄土宗  
 

 

帰り道という事で、最後に急遽甲斐善光寺に立ち寄ることになりました。

甲斐善光寺は武田信玄が、戦による信濃善光寺の焼失を恐れ、善光寺如来をはじめ諸仏寺宝を

ここに移したのが始まりだそうです。

ご本尊の一光三尊式善光寺如来像は武田氏滅亡後てんてんとした後に、無事に信濃に帰座されたそうです。

 今は前立仏をご本尊として祀っているそうです。

このお寺は、織田軍が武田軍を攻略した後に、論功行賞を行った所だそうで、

武田家を裏切った小山田信茂は、最後に呼ばれ出ていった所、その場で首をはねられてしまったという事です。

それ以後、小山田家の墓は何処をさがしても見つからないそうです。

金堂は、信濃善光寺と同じに作られているそうです。

山門ともども国の重要文化財に指定されているそうです。

武田家滅亡の歴史を、足早に見た一日でしたが、マリオさんの論功行賞も無事に終わり一日も

充実して終わることが出来ました。

後で見たら、柱には撮影禁止の札がありました。 

それでちょつとピンボケかな。   仏様すみません。 

 
   
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