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水質浄化に興味のあるかた向けの意見論文を掲載しています(現在以下の1編)

山紫水明の国、日本の水をまもろうとしているあなたへ (「多自然研究」掲載)
    −机上の経験的水質論のすすめ−

■はじめに(科学が水をきれいにする)
■水質浄化の科学は「机上」で、数式不要
■放って置いてもきれいになろうとする水の性質に期待
■(蛇足ですが)農業排水に悲鳴をあげる湖の言い分
■ばっ気はTPOで
■河口が湖、内湾の閉鎖水域であるかに注意
■改善水質項目が何かを間違えないよう(魚類棲息条件か透明度か利水障害か)
■除去対象物質に合わせた方法 (BODvsNP)
■フルスケール施設にした場合、規模が可能な程度か(無理な方法は最初に見積もって避ける)
■水理機構を上手く利用して、アイデア浄化
■運転施設は管理をきめ細かく(均一流れになるよう、また土砂の流入に注意)

山紫水明の国、日本の水をまもろうとしているあなたへ
−机上の経験的水質論のすすめ−

 

■はじめに(科学が水をきれいにする)

 日本の川、湖は、高度成長期に入る前の昭和40年代前半までは、ごく一部の大都市の(汚水排水路と化している)河川以外は、どこも水はきれいでした。個人的な見聞ですが、現在水質問題が深刻な霞ヶ浦でも、当時は水泳ができたばかりか、交通手段として一般的だった小舟には飲料水は積まなくてよく、船縁からいくらでもすくって飲めたぐらい清澄だったそうです。

 これらのことを先人は「山紫水明の国」と言って、自慢しましたが、その国土を引き継いだ我々の高度成長の過程で、得られた莫大な生活上の利便と引き換えに、清き水は失われてしまったのです。
 高度成長がおさまった現在、過去の良き日を思い起こすと、失われたもののあまりにも大きいことに気づき、それらをできるだけ取り戻そうと、身近な河川の浄化に住民活動が盛んなのもうなずけるところです。河川水質の浄化には下水道整備などの公の力の方が量的には役割は大きいのですが、未整備区域がまだまだ残り、不法投棄のゴミによる汚染も問題となっている現状では、住民一人一人の意識改革も兼ねた浄化運動は貴重です。

 各地で住民グループによる水質浄化のための色々な試みがなされています。小川の水を引き入れ、木炭、礫などで浄化する方法。台所の生ゴミの固形物を流さないように三角コーナーにネットをかぶせて使う方法など。これらは、最初はできるところからと意気込んで、あわせてメンバーの意識も高めようとしているので、意義は大変高いのですが、しばらくすると場合によっては浄化効果が大したことがない、あるいは維持の手間が予想以上にかかることがわかり、がっかりすることがあるなど、次の段階にはいると、工夫が(それも科学的に考え)必要になることも大いにありそうです。

 この稿はその場合に備えて、水質浄化の科学的側面を私なりに提供しようとするものです。また、ご自身のことでなくても、世の中で行われている水質浄化の種々の試みに接したときに、読者の皆さんが科学的に整理、理解する一助になるかと思い、以下に筆者の乏しい経験から「整理」を試みるものです。

■水質浄化の科学は「机上」で、数式不要

 何も持たない住民の活動ですから、大がかりな実験をする資力もなく、理論数式を駆使できるお抱え学者さんもおりません。できることといえば、川の状況をよく(身近なので毎日でも)観察し、川の気持ちになって考えることだけです。水の汚れの様子を見て、自分なりの持つ科学の知識で、汚れを取る方法を考え出すことです。考えたら早速実行し、その方法が実際に有効かつぶさに観察し、改良を加え(駄目な場合はやめ)ていくことです。

 数式を如何に駆使しても、根本原理が完全には合わないものは、場合によっては単なる数字の操作に過ぎないと考えられるものもあります。私はそれらは単にブラックボックスを仮定した入出力の操作に過ぎないと考えています。根本原理を完全にはとらえきれていないが、水質変化の傾向を代表する指標を変数としてブラックボックスたる数式に入れて(定数は実測値から逆算した値を採用して)いるので、(当然ながら)実際の水質変化を大まかにとらえることはできます。しかし、実際の水質変化は物理化学作用に加え、生物の作用などによるところが大きいので、メカニズムはかなり複雑 ─ 生物同士の競合などの複雑な現象もあり、それらは現状の知見では定量的把握は不可能 ─ です。従ってこれらシュミレーション数式には、重要変数をすべて入れることはできないので、入っていない変数にかかわる自然の変化が起きた場合は現象を再現できないことになります。現状では、根本原理は数式になるような段階で把握するのは無理があるのかもしれません。

 根本原理は水質メカニズムを深く観察しかつ考えれば、少なくとも定性的にはわかってくるものです。この観察し考えることを私は「机上」でと表現しました。大がかりな実験、コンピューターによる複雑な計算はこの場合不要で、机の前で考えることが重要だからです。「机上の空論」にならないよう、観察した実態(持ち帰ったデータ)に基づく必要がありますが、論語に「学んで思わざれば則ち罔し」の教訓があるように、知識を得るばかりで、自ら考える作業がなければ、真理には到達できません。この世の中、知識情報は溢れるばかりですので、ここは一つ、「机」の前で考える作業が必要だと言いたいのです。

 以下に私が「机上」で考えた論 ─ 私は数式が不得手なので、数式を全く使っていませんので、その意味では皆様にも理解が容易と考えますが ─ を展開します。

■放って置いてもきれいになろうとする水の性質に期待

 これを自浄(自ら浄化する)作用と言っています。一つは固形物が沈殿する作用。もう一つは汚濁物が生物化学的作用により酸化され分解する作用。

 前者の例は、湖とくに深い湖で自浄作用が高いことの理由となっています。湖であることから静穏度が高いので、固形汚濁物が沈殿しやすいのが第一。溶解汚濁物質でもやっかいな富栄養化原因の窒素・リンは富栄養化(光合成)の過程で植物プランクトンに取り込まれ、それらがいずれ死滅すると沈殿し、窒素・リンを光合成植物が生存できない無光層である湖底に運ぶ作用になること。以上は湖一般に当てはまるが、深い湖だとさらに、水深方向の水温分布の違い(水温躍層の存在)あるいは風の作用が及ばないことにより表層と深部の水の入れ替わりがまれで、冬季の循環期であっても底質の沈殿固形物からリンが溶出する条件が欠けていることがある。

 このような自然のすばらしいメカニズムを考え、実際の湖を観察すると、例えば琵琶湖の北湖(最大水深96メートル)はある程度の汚濁の流入にもかかわらず、(その水量が莫大なことを勘案しても)いつまでも清澄さを保っていることがうなずけます。富栄養化現象の著しいのは琵琶湖南湖、霞ヶ浦(平均水深いずれも4メートル)などいずれも浅い湖です。
 

 冒頭に台所でのネットによる汚濁固形物補足の努力の話がありましたが、除去すべき肝心な物質は溶解性の窒素・リンで、湖に入るとどうせすぐ沈殿することになる固形物の除去は無駄とは言えませんが、それだけでは水質浄化に対する効果には限界があることを理解して欲しい。窒素・リンを湖に入れないために最も有効なのは、リンを多量に含む合成洗剤の使用自粛と、なんと言っても下水道整備とその高度処理の推進でしょう。

 後者の酸化分解作用は、有機物が直接酸素に触れ酸化されるというより、水草、河床礫などに付着する藻類等の微細生物に吸着、摂取され、最終的に酸化分解されるメカニズムでしょうから、河川がある程度自然の形態にあり、岸辺あるいは瀬などで自然にばっ気され酸素が供給される状態を保つことでしょう。

■(蛇足ですが)農業排水に悲鳴をあげる湖の言い分

 前項で富栄養化原因の窒素・リンの除去の(生活排水関連の)肝心な方法を説明しましたが、重大なことを忘れていました。農業につきものの肥料です。肥料の三大要素は窒素・リン酸・カリであると学校で学びました。つまり農産物を成長させるのも湖の藻類を成長させるのも同じ微量元素ということで、肥料はそのまま富栄養化原因物質になりうるのです。これは同じ植物である以上当然のことです。

 問題なのは、家庭からの排水と違って、農地からの排水は処理することが大変困難なことです。施肥されたものが全量農産植物体に摂取・吸収されればよいのですが、特に水田で容易に推測されますが、施肥された肥料分がいったん水田に湛水された水の中に溶けて、そのあと稲の根から吸収されることになるので、降雨があるとかあるいは水田水管理の一環で、水田の水を落とし、あるいは放流することになれば、肥料成分はそのまま湖に流入してしまいます。現在の日本の資源高度利用集約型農業では、肥料などの農業資源を(少々金がかかっても)ふんだんに使い、最大の収量を得る(方がよいという)形態になっています。だから万が一にも肥料分不足にならないよう心がけ、余分に施肥することは当然ですので、この点からも余剰栄養分などが外部に大量に流出するだろうことは容易に想定できます。

 これでは湖に栄養分を入れまいとする他の努力が無に近くなってしまいます。湖の悲鳴が聞こえてきそうです。(同様に処理が困難なものに畜産、湖内での魚の養殖があります)

 化学肥料は空中の窒素を固定し、あるいは過去の鳥の糞などから形成された鉱石の中からリン成分を抽出するなどして生産されます。害のない状態のものをわざわざ掘り起こし、水循環系の中に新規参入させるのですから、合理的ではありません。現在廃棄物関係のリサイクルの運動が市民の間で盛んですが、この窒素・リンこそリサイクルに乗せるべきです。農産物では食物として製品化されたあとは周り回って、たぶんその相当部分が下水道汚泥にはいります。その汚泥をコンポスト化して肥料あるいは土壌改良材として全面的に使えるようにすれば、農業に肥料のリサイクルが完成するのです。このようにして窒素・リンの水環境中の総量が管理されていれば、湖も安心でしょう。

■ばっ気はTPOで

 水に空気の泡を入れて(ばっ気)、水質改善を図る方法は、時と場合によることを説明します。(個人用でも庭の池に噴水を兼ねたタイプのものが出回っています)

 高度成長期真っ盛りの頃は、都市への産業人口の集中がピークになって、それらに伴うべき排水対策が追いつかなかったから、汚水は未処理で流され、河川は鼻を突くような臭いすらする水質の悪さでした。水質指標のBOD(生物化学的酸素要求量)が10r/lを超えるような悪さで、要求に応え、有機物を分解すべき酸素が溶けていないため、嫌気性(無酸素状態)になり、硫化物等の臭いがしたのです。このような状態ではばっ気が最も有効です。

 これと違うタイプの水質汚濁現象では、このばっ気が有効とは限りません。例えば最近問題となっている湖の富栄養化現象による水質汚濁などはその代表例でしょう。問題物質は植物プランクトンなので、自ら光合成で酸素を生み出すことができるから、人為的に酸素を供給する作業は無駄になります。逆にそれらの栄養分たる窒素・リンを中底層から(前々項参照)供給してしまう結果になるようなばっ気方法(中層ばっ気、全層ばっ気)だと逆効果になります。(深い湖の場合は、湖底の低温水塊を表層に運び、表層水温を下げることにより、プランクトン棲息条件を悪くする効果はあるが、この場合空気の泡は含まれる酸素ではなく、水塊を浮上運搬する能力に期待している)

■河口が湖、内湾の閉鎖水域であるかに注意

 河口が大洋等の開放海域である場合は、大して気にしなくて良いことが、内湾等の閉鎖海域が流末、あるいは途中に湖あるいはダムの閉鎖水域があるときは問題となります。

 閉鎖水域では汚濁物の総量(とくに窒素・リン)が問題になります。自然の河川等で淵とか、河岸に沈殿付着していた汚濁固形物は(これが前々々項でいう2番目の自浄作用の代表例だが)、洪水等の水量が多いときには、流されて閉鎖水域に入ってしまいます。洪水時は水量が莫大なので、河川水質自体はそれほど悪くはなりませんが、汚濁物の絶対量は確実に流下するのです。普段自然の川で自浄作用が高いと言っている現象にはこのような困った問題もあります。

 河川の浄化方法で住民ができるポピュラーなものは、大体が汚濁物の付着除去作用を期待するものです。冒頭の木炭使用は、初期のうちは活性炭作用である微細ポーラス部分に入ります ─ この部分には汚濁物質以外にも通常の方法では除去困難な臭気成分なども吸着できるなど万能 ─ が、いずれは木炭表面に成長する生物膜への吸着のメカニズムになる。礫間浄化は石表面の生物膜作用のみ。

 生物膜を形成する付着生物は生き物ですからいずれは死滅します。そのときには剥離して河川を流下し、閉鎖水域にたまりますから、浄化の努力はこの点からは無駄になることを承知する必要があります。(そうならないためには、剥離する前にこまめに洗浄除去搬出することが肝心。洗浄の手間からは重い礫を使うのは不都合で、プラスチック製の容器などのリサイクル使用がベター。なお生物は石の表面とプラスチックを区別しない。石の容積分だけ容量を食って無駄なので、乳酸飲料の空き容器などの底に穴をあけて使うのが最適)

 開放海域に河口をもつ河川では窒素・リンは気にしなくて良いが、まれに利根川など長大緩流河川では流下に時間がかかり(かつ流速が十分に小さいと)その間にプランクトンが発生することがあるので注意が必要。
  

■改善水質項目が何かを間違えないよう(魚類棲息条件か透明度か利水障害か)

 例えば河川の水質環境基準が生活環境項目だとAAからEまで6段階に分かれて、それぞれにBOD、SS等基準の値が決められているのは、あくまで誰もが色々期待する数多くの水質項目を代表する割り切りであって、水質を改善する試みでは、自分の期待する水質項目の狙いをはっきりさせなければ、すべてが始まりません。

 一番ポピュラーなのはなんと言っても透明度でしょう。北海道摩周湖の世界一の透明度には及ばないものの、河川で底の礫が見透せ、その間の水中の魚、水草が生き生きと見えれば、素人目に水質は十分よく、水の風景としては申し分のないものとなるからです。

 おかしな話で、透明度が良すぎると川底に沈殿している空き缶等のゴミが見えてしまうので、却ってよくないということもあったが、これはそのゴミを拾って解決すべきです。また、川底が砂または礫だと見映えが良いが、泥だと透明度が良くなっても泥の色に見えて汚いという苦情もあります。その解決のため泥を浚渫し砂礫で置き換えても、河床勾配によってはまた洪水時に泥が溜まるのは明らかなので無駄な努力になります。

 鮭が遡上する川、毎年鮎がたくさん釣れる川が水質がよい、とする主張もある。この例にあげた2つの魚種は、我が国特有の清澄な河川に豊富なので、伝統的に日本人に大変貴重がられ、その棲息水質(AA、A類型あたり)が河川としては良いものとされるが、アジア諸国で関心がある魚類資源の多さということになれば、鯉、ナマズ等の棲息に有利な、比較的栄養分があり、そのため濁って透明度がなく汚く見える水質(C類型以下の水質か)の河川の方が有利なこともあります。魚の生息する水質といっても、対象とする魚種によって違うことを理解すべきです。

 湖沼の水質環境基準の(COD等以外の)もう一つの生活環境項目で、富栄養化現象の主因物質である窒素・リンの基準が定められている。この水質のメカニズムは少し複雑だ。窒素・リンはそれだけではそんなに困った物質ではない(窒素の形態の一つで、アンモニア、硝酸等は水道の浄水過程などに害にはなるが)。問題は、それら栄養物質が原因の一つとなって、湖沼の他の各種条件が整ったときに発生する植物プランクトンの種類、量によっては、重大な利水障害、景観障害等を引き起こすことがあることです。

 水質現象で問題なのは、これら障害の直接の原因となるある種のプランクトンであって、窒素・リンそのものではない複雑さがあることです。その証拠に、ある程度の富栄養化の段階ではミクロキステス(アオコ)が出現し、悪臭、濾過障害、異臭味など多大な害があったが、窒素・リンの削減に努め、ある程度の改善が見られると、生物相が変わり、フォルミディウムなどの比較的栄養分の少ない湖水でも大発生する藍藻類があることです。藍藻類どうしの生存条件で、フォルミディウムの方が勝る水質に「改善」してやったことになります。フォルミディウムはその活動のある時期に2−MIBと呼ばれるカビ臭物質を出すので、浄水過程で臭気除去のため活性炭を必要とし、かえって厄介かもしれない。

■除去対象物質に合わせた方法 (BODvsNP)

 前項と関係するが、狙う水質改善項目にはそれぞれ別の浄化方法があります。それらをごちゃ混ぜにすると思うような結果が得られないので、「原理」を「机上」でよく考えて実行すべきです。

 水質浄化に一番ポピュラーな礫間浄化法は、もともとBOD等の有機性汚濁物質を除去する目的で実施されている。礫表面に付着成長する藻類などの生物膜により、汚濁物質が吸着され分解がすすみ、最終的には水と二酸化炭素に分解、無機化されることを期待している。この場合の汚濁物質は主に懸濁性(非溶解性)のものであり、溶解性のもの(無機性の窒素・リンはこれにあたる)はあまり除去できない。有機性の窒素・リンは生物膜に吸着はされるが、保存物質(元素)なので、分解されるとアンモニア(いずれ硝酸に)、リン酸などに無機化されるが、それらは溶解性で生物に利用しやすい形なので、また水中に戻って汚濁原因となるので意味がない。窒素・リンは例えば葦、ホテイアオイ等の植物体に栄養分として吸収されるか、ある種の土壌の中にリンが吸着されるなどして、水中から除去されかつ固定化されなければ意味がない。以上の作用がない(日光の届かない)地中の礫では除去は原理的に不可能だという理解が必要です。最近よく行われている葦原浄化もその茎等に有機物が吸着分解されるという礫間浄化と同様の原理でもあるが、長期的に見て葦に栄養分として吸収される効果も併せ持っている(冬季に葦を刈り取り除去することが必要)。

■フルスケール施設にした場合、規模が可能な程度か(無理な方法は最初に見積もって避ける)

 様々なアイデアに基づき、各地で小規模とはいえ水質浄化の実験がされて、なかにはその結果から有効であるとの評価がなされているが、問題なのは、フルスケールにした場合、実現可能な規模に納まるかどうかだ。納まらない場合は有効とは言えない。極わずかな水量を対象に成功したからといって、それはその実験だけの話であって、その川の水質改善に寄与するほどの汚濁物質量(負荷量)のカットにはつながらないからです。

 ある川の水量を10とした場合、1の量で実験すれば、実施設はその10倍となることは当然である。礫の量などの材料、それから工事量はすべて10倍になる。費用も10倍になるが、致命的なのは、設置に必要な面積も10倍になることだ。下水道処理技術では面積負荷と呼んでいるが、ある浄化処理を行うのに、その原理となる沈殿とか吸着とかのメカニズムから、平面積の絶対量は水量あるいは汚濁物質量に比例して必要になる。下水処理場の面積が広大なのも、莫大な量の下水を処理するには水量などに比例した面積が必要だというこの理屈からによります。

 色々アイデアを出すのはよいが、実験予定規模を出したあと、フルスケールではどの程度の規模になるのか、簡単(これはまさしく簡単で前記の例のように水量比例計算でよい)に計算するとよい。それがとても実現不可能な規模になる場合は、最初からフィージブルでないということです。

■水理機構を上手く利用して、アイデア浄化

 前項で述べたように、アイデア浄化法でも、規模が大きくなりすぎ、広大な土地が必要で工事費がかかりすぎるものは、結果から言うとアイデア倒れと呼ばれても仕方がありません。特に運転経費などの維持管理費がかかりすぎたり、人手のかかりすぎるものは、浄化施設は長年運転しなければその効用を達しないものだけに、致命的な欠点となってしまいます。

 木炭、リン吸着用の土、礫間浄化の石などの材料を使うものは、それらの劣化、機能低下に伴い、入れ替えたり、定期的な洗浄による機能回復を図ってやらなければならないものがあり、費用、手間が相当かかることを覚悟する必要があります。

 それに比べこの表題の水理機構を上手く利用する方法は、水の流れの特性を水質浄化に利用することなので、合理的で費用手間も最小で済む。一番の例は、九州のあるダム湖での温度躍層を利用した栄養塩類隔離方式だろう。このダムの場合、栄養塩類の供給は細長い形状のダム湖の端から流入する河川からのものが大部分で、この水温に着目すると、夏期の湖水表層温度より低いので、この流入水塊は表層の下に潜り込んでくれる。ダムの放流設備には農業用に選択水深取水施設ができているので、これを流入水水深の中層に合わせてやれば、栄養分はダムにとどまることなく下流に放流され、富栄養化の原因にならない(冷水を農業用に流すことになるが、富栄養化が問題になるような暑い夏は、少し冷たい水の方が稲にはよいという報告もある)

 このダムでは、この水理機構を確実にするため、貯水池分隔フェンス(不透水性の膜)を湖水横断方向に数カ所完全に横断させ、水面から3メートル下ぐらいまで垂らしてやって、表層水が放流操作あるいは風などによっても動かないようにしてやる。このことにより、当初は光合成により盛んに富栄養化の現象が現れるが、しばらくすると栄養塩類が摂取尽くされ枯渇し、外部である中層からも供給されないので富栄養化が進まず、いずれ死滅するプランクトンの沈殿と共に、水質の見事な改善が見られるのである。一時はアオコが発生するが、何日かすると見事な透明度に復活する。

 分隔膜の製作、設置の費用はかかるが、その後の手間はほとんど不要で、まさに自然に浄化が進む。選択取水施設も他の目的で設置したものだから、これは費用手間共にゼロと言って良い。

 以上は栄養塩の兵糧責め作戦とでもいうべきものですが、素人考えだと、表層の汚い水の方を早く放流(表層選択取水)してしまうことになり、栄養分豊富な中層水が表層に上がってくるからうまくいきません(湖の広さに比べ取水量がかなり大きい取水堰堤のようなダムでは、富栄養化の時間を与えず、うまくいくこともある)。

 この理屈をほかに応用すると、各地で富栄養化が問題となっている河口堰では、夏期温度躍層がはっきり出来、ゲートの構造で可能な場合、アンダーフローの放流操作を試みるのも一計です(除塩操作ともなる)。

■運転施設は管理をきめ細かく(均一流れになるよう、また土砂の流入に注意)

 土浦市の霞ヶ浦の湖岸にクレソン、セリなどの水生植物を栽培して、湖水の窒素・リンを少しでも削減しようという試みがされている(ビオパークと名付けられている)。湖がきれいになる上に、クレソン等も収穫して食卓をにぎわすことができ一挙両得なので、土浦市民には大変好評だそうです。時々収穫にみえている奥さん方もいましたが、私が見学に行ったとき、その「処理施設」が少々具合の悪いことになっていたのに気づく人はおりませんでした。

 というのも、長い間面倒を見ていなかったせいか、ポンプアップされた水が、植物の間を流れることになっていたのが、植物が何故かまばらになり、水はその植物が少ない部分(禿になったようなところ)を選択して(水道を形成して)流れてしまうので、植物の根からの吸収を期待するこの浄化方法にはかなり効果が低減していると思われました。浄化されるべき湖水が、植物に接触することなくまた湖に戻ってしまうので、素人目にも駄目なことがわかります。

 このように、浄化方法には均一な流れが実際にないと、その原理通りの浄化がなされないものがあるので、日頃流れを観察し、面倒を見てやることが必要です。

 また、河川水を浄化施設に導水して浄化する、あるいは河道内で浄化するものでは特に、河川勾配が急なところでは洪水時の土砂の流入に注意が必要です。土砂が浄化施設に堆積すると、もちろん本来の機能が果たせるわけがなく、少々の堆積でも前述の均一な流れが阻害される場合があるので注意が必要です。

 以上2つの事例を述べたが、それ以外でも現地の施設はこまめに観察し、いつでも理想的な状態に保持してやる努力が、永続的な水質浄化を目指す上で、特に重要です。

山紫水明の国、日本の水をまもろうとしているあなたへ(終わり)

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