鉄道乗車レポートMENU> 鹿島鉄道 第1回 第2回 第3回
 

かしてつ最後の乗車記 第1回

鹿島鉄道とは?(紹介はこちら)

(07年2月の旅)

鉾田駅

鉾田駅からゆっくりと出発

 鹿島臨海鉄道の新鉾田駅からゆっくりと鉾田の町を歩いていき、どこもかしこも同じようにシャッターが閉まり、閑散とした鉾田の商店街を抜けた先に鹿島鉄道の鉾田駅があった。駅舎は関東の駅100選に選ばれたというしょうしゃな建物で、歴史を感じずにはいられない。駅舎に付随して立ち食いそば屋があり、名物のたい焼きを売っていた。ただ、店の人たちが「鉄道がなくなってしまうと、いったいどうなってしまうのかね」と話しているのを聞くと、やはりやるせない気がしてならない。

 駅窓口には年配の駅員がおり、ここで玉造町駅までの切符と記念の入場券セットを購入した。廃線間近でマニアが結構いるのではとも思ったが、平日ということもあってか、私以外にはリュックを背負った中年男性が一人いるだけで、あとは高校生と地元の人が数人といったところである。ただし、土日にはかなり多くのマニアが集まってくると思われ、駅構内のあちこちにパイロンが置かれていた。せっかくの駅の風情を撮影するのにはとても邪魔なものであり、運行に支障をきたすマナーの悪いマニアがいずこにもいることを印象付けた。

 鉾田駅のホームには「かしてつ(鹿島鉄道の愛称)を救え」などと書かれた高校生の絵が飾ってあった。廃線という話が何年も前から持ち上がっていたようで、何とか存続をと願って書かれたのであろうが、現実として廃線が目の前にやってくるとなんとなくむなしさを覚える。歴史を語り継いでいくためにも、鉾田駅の駅舎はもちろんであるが、ホームや彼らの絵もそのまま残してあげたい気がする。

 やがて、遠くのほうから鹿島鉄道の車両がゴトゴトとやってきた。鹿島鉄道は統一した車両をもっておらず、いろいろな私鉄の払い下げ車両を使っているようである。乗ったり、行き違ったりなどでいくつかの列車を見ているが、どれ一つとして同じデザイン、色の車両はない。そんなところにもやり繰りの厳しさというのを実感させられる。折り返し運転の列車には10数人の乗客がおり、鉄道マニアらしい人の姿もみられた。それ以外にも、おそらく別の用事でこの列車に乗り合わせただろうと思われる女性などが、しきりに写真を撮っていた姿も印象に残った。名残惜しいとの気持ちは、地元住民やこの鉄道になじみのある人ほど強いに違いない。

(つづく)
新選組局長・芹沢鴨のふるさとへ