食事の和食もとても美味だったし、そのあと、夕闇の時間に始まる鵜飼ショーも申し分のない雰囲気だった。これだと外人客にも喜ばれるだろう。

 お隣に、国宝犬山城がある。徳川家康に可愛がられ取り立てられた成瀬家の私有財産だ、という。先々代の当主は東京大学の国文学教授だった由。

 日本のお城で国宝なのは、犬山城、彦根城、姫路城、松本城の四つで、しかもそのなかで、犬山城がもっとも古いのですって。知りませんでした。

 明治村から木曽川沿いの名鉄犬山ホテルまで車で20分くらいかな。こんな田舎にこんな立派なホテルがあるのかと思うほど、立派なホテルだった。食事も美味しかったし、部屋も美しいし、棟続きに立派な温泉が併設されていて、これも素敵。私自身はこの温泉の露天風呂の湯滝が豪快で好きだ。この太い湯滝に打たれると首筋、肩、背中、頭まで、いたるところに残っていた肉体的な疲労が吹き飛ぶ感じがする。夕方、深夜、早朝と実に三回もこの湯滝に打たれました。

写真:昔の酒造用道具

写真:巨大な酒蔵。刈谷市広瀬酒造の仕込み蔵だという。建物の造形がなんともいえず美しい。

私自身は金沢出身だからなおそう思うのであろう。広坂にあった旧第四高等学校の武術道場「無声堂」が復元されていたし、小立野の金沢の監獄正門や監獄舎中央看守所・監房もあった。昔、私達の幼かった頃、石川門の下に裁判所があり、金沢監獄はそこから市電小立野線に乗って終点にあった。裁判所で裁きを受ける囚人は皆、腰縄を付けられ、手錠をはめられ、深い編み笠を被った姿で一般市民と一緒に市電に乗ったのだ。そんな忌まわしい思い出までもが復活する、まるで玉手箱のような仕掛けが存分に仕掛けられていて、たまらなく楽しかった。

はじめてこの博物館村に入場して、腰が抜けるほど驚いた。帝国ホテル旧館入口が保存されていることからもわかるように、明治時代の建物が建ち並び、その当時の風俗がしのばれる雰囲気があり、私自身は自分の幼少の頃の思い出が雲の中から突然湧いてきた思いがした。

明治村は、建築家の谷口吉郎が総監督を務め、名古屋の鉄道会社である名鉄が観光事業主となって昭和40年に開園したもので、いままで訪問していなかったこと自体、「時代遅れ」と言われてもしかたがない。

 愛知県というのは、石川県の金沢市生れの私にとって近くて遠いところである。昔、小学校の頃、学校から特別遠足と称して夜行列車で名古屋動物園見物に連れていってもらったことがあるだけで、その後はさっぱりとご縁がなかった。

 今回たまたま犬山に行って鵜飼を見物しようか、ということになって、名鉄犬山ホテルに宿泊することになった。

犬山・郡上八幡 (1)

                  2012/06/29

 まさか日本にこんなに素晴らしいゾート・タウンがあるなんて知りませんでした。歳をとって錆びついてしまった私達の魂を、クリーン・アップするのに最高です。


 では、皆様ご機嫌よう。

 引き続き郡上八幡へ)

写真:鵜匠が、鵜に鮎を吐き出させ水面に放す。鵜は硫黄島で捕まえたのを買取るのだという。

写真:犬山城から見下ろした名鉄犬山ホテル

画像

写真:第四高等学校武術道場の弓道場的場。すばらしくスタイリッシュ。

写真:呉羽座内部。昔懐かしい桟敷席。

写真:三重県庁舎。威風堂々として美しい。

開園当初は京都市市電や蒸気機関車がここで復活して走っていたようだが、それらがなくても楽しい博物館だった。

 明治村は、私の住む茅野市からは自動車で2時間の距離である。中央高速道路を小牧東で降りる。地図で調べたら、小牧東から犬山に走る一般道路沿いに明治村があることがわかった。行掛けの駄賃としてここも見物することにした。

写真:
場内掲示板にあった金沢監獄正門のスケッチ
Zenjiro, 1962. 11. 8の署名が読み取れる。大正3年山形県生れの画家、近岡善次郎の作品。)

写真:呉羽座(くれはざ)という芝居小屋

画像:木版絵葉書から

画像:Google ©2012 ZENRIN 一部改変