ミ ケ ー ネ
2011/05/22
まず、現地博物館ですが、
ミケーネの時代に作られたこれらの壺や装身具はとても素晴らしい。姿は優美だし、模様もこれ以上にないくらい洗練され単純化され雅です。しかも明るい華やかさがあって、日本の文化で喩えるなら「能」舞台というところでしょうか。とても3300年前に製造された文物だとは思えません。
現地案内板の翻訳:
アトレウスの宝物
アトレウスの宝物あるいはアガメムノンの墓と俗称されるトロス、またの名、「ビーハイブ(蜜蜂の巣)」型の墓は、ミケーネ建築のなかではもっとも壮麗な記念碑の一つである。紀元前14世紀の中頃に建てられ、ドロモと呼ばれる通路、ストミオンと呼ばれる入口、トロスと呼ばれるアーチ型天井と小さな横部屋から成り立っている。その建設のはっきりした特徴は、入口部分に巨石を使っていることと、注意深く施行された石工術である。記念碑的な正面は種々の物質で装飾されていた。彫刻された装飾の一部は現在ロンドンの大英博物館とアテネの国立考古学博物館にある。
墓は、すべてのトロス墓と同じく、盗掘されているのが発見された。ここに埋葬されていたのは、品物だけなのか、あるいは埋葬だけだったのかについてはまったく手懸りがない。この構造物は土中に埋められたことはなく、常に外部から見えるようになっていたので、古代のまたその後の旅行者達の注目を惹いた。
最後に私達はアトレウスの宝物庫を見学に行きます。この宝物庫は作られたとき以来、地中に埋められたことはありません。紀元2世紀ローマ時代にパウサニアスが訪れたときとまったく変わっていません。縦長の入口の上に三角形の明かり取りの窓がある「蜂の巣」構造で、内部右手に小部屋があります。宝物はとっくの昔になくなっています。
画像:現地案内板から、一部改変。
写真:地下の貯水池への入口
現地案内板の翻訳:
円形墓A
ヘラディック中期時代ならびに後期ヘラディック時代の初期に作られた広範囲な墓域の一部で、城塞の西側にひろがる。紀元前16世紀に王族の埋葬に限って使用された。六個の竪穴式墓(T-Y)がふくまれており、うち五個は1876年にハインリッヒ・シュリーマンによって発掘され、一個は翌年P. スタマタキスによって発掘された。墓は石製の墓碑によって目印がつけられ、ファミリー・メンバーによる儀式で埋葬された。その際、特別に豪華な品々が共葬されたが、それらは現在アテネ国立考古学博物館に展示されている。当初、円形墓Aには別個の壁があった。しかし、紀元前1250年頃、キュクロプス(一つ目の巨人)のような大きな円形の壁が西側に延長されて、王族墓地は城塞の内側に含まれることとなり、円形の囲いが建設されて強化された。(注:「ヘラディック時代」とは、ギリシャの青銅器時代を意味する専門用語)
写真:円形墓A俯瞰写真
ではいよいよミケーネ遺跡です。
19世紀に北ドイツからハインリッヒ・シュリーマンという天才が現われ、ヨーロッパの歴史の奥行きを700ないし800年ほども拡張させました。彼は語学の天才であり、商いの天才であり、商いで作り上げた巨額の富を惜しげもなく古代の発掘作業に注ぎ込み、大胆な着想で、語部(かたりべ)が話し伝えホメロスが書き留めた伝承世界を、現実の世界に復活させました。
今の時代なら間違いなく、ノーベル賞ものですね。もっともシュリーマンはアルフレッド・ノーベルより10歳ばかり年上なのですが。
引用:『ギリシャ案内記』(下)パウサニアス著、馬場恵二訳 岩波文庫 青460-2 1992 P83
紀元2世紀にギリシャ人によって発行された観光案内書からの抜粋。
写真:ライオンの門
写真:ミケーネ出土の水差し
画像:断面図
写真:
ライオンの門を裏側から振り返る。左手崖下が円形墓A。
円形墓Aからの出土品については次を参照願います。
(→アテネ国立考古学博物館の展示品)
画像:現地案内板の円形墓A復元図
これらミケーネから出土した文物に共通するのは、例外のない明るさと研ぎ澄まされた芸術感覚で、鑑賞する私達の気持ちを明るくほがらかにさせてくれます。
写真:男女一対の人形だと思うのですが、これも素晴らしい造形です。
写真:近代陶芸展かと思わせるみずみずしさ。