テッサロニキ考古学博物館

                              2011/05/16

写真:「ガレリウスの小アーチ」

(館内説明書の翻訳)
一個の大理石の塊から彫り起したアーチ(「ガレリウスの小アーチ」という名称)。これは小さな宮殿神殿のアーチの最高部である。中心となる主題は二つの胸像付きのメダルであり、それを二人の東洋人が支えている。右側のメダルは公式の軍人服姿のガレリウスを描き、左側は彼の妻、アウグスタ・ガレリア・ヴァレリアを描く。彼女が殺された後、彼女の肖像は神に改変された。多分(彼女の塔のような頭部が示すように)テッサロニキのティケ(幸運)神であろう。二つのメダルの間には羽根を付けたキューピッドが花冠をもっている。側面には、パン神が妖精とともに描かれ、アーチ腹面(アーチの内部)にはメダル上に描かれたディオニソスが見える。
皇室工房、テッサロニキ
紀元4世紀初頭。

 素晴らしい彫刻ですね。


写真:
 胴よろいを着衣した皇帝像。軍隊長の特徴を備えている。短いチュニック(chiton)、肩で留める短いマント(chlamys)、胴よろい(cuirass)を着用している。胴よろいにはメドゥ−サの浮彫と海族紋様(海馬にまたがる海の女神ネレイスと波間のいるか)。
ジュリオ・クラウディア王朝時代
(14-68AD)

テッサロニキの南東15kmSedes Military Airfieldという空軍基地があって、1938年に工事中に偶然発掘された女性の墓。そこから出土した王冠が次。

Lete

 上記クラーテルの上に載っていた金製のギンバイカの花輪

青銅器のクラーテル

(説明文の抄訳)
 とても洗練された、紀元前4世紀の打ち出し細工芸術(toreutics)で作られたこの壺は、デルベニの墳墓Bで納骨壺として使われていた。もともとは、ワインと水を混合させるための容器なのだが。
 金製ではなく、青銅に錫をかなり加えて金色にしたもの。
 二枚の大きな金属板を加熱してハンマーで叩き出して成型し、一枚は壺本体とし、後一枚は首部分に使用した。取っ手ならびに首部分の像は別途鋳造して取り付けたもの。
 この時代の叩き出し細工として今に残っているのは、これが唯一。作者は、多分、カリキディキ地方のイオニア海に面した都市の人で、技術はアテネで修得したものであろう。
 330-320年頃。

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P42
 金で作られたギンバイカの花輪。古代ピドナの墓地から出土。花輪の葉は金の叩き出し板から作られ、中央の葉脈は彫り込み。ほぼ330 BC

画像:ギンバイカMyrtle。直径2センチほどの白い花。夏に咲く。

ピドナPydna) (左の地図参照。ディオンの北北東20km)

”The Gold of Macedon”による説明:

ピエリア地方の古代ピドナは紀元前5世紀に繁栄した。港湾都市であり、戦略的な土地であったからである。その頃、ピドナはマケドニア王国での最大の都市であったようだ。アルケラオス(Archelaos)の改革(413-399 BC)ののち、ピドナは中央政府に反抗したが、紀元前4世紀半ばにフィリップ二世に降参し、さらに二世紀の間、繁栄し続けた。168 BCのピドナの戦いで、マケドニア軍はローマ軍に敗れ、マケドニア王国は凋落するに至った。ピドナの墓地群はディオンとメトーネの沿岸都市へと通じる古代道に沿って、またその後背地に存在している。これらが特に広範囲に広がっているのは、この都市が3000年以上にわたり継続的に居住されていたこと、ならびにその繁栄期に大きな人口密集地であったからである。

 テッサロニキ考古学博物館。マケドニア時代、アレクサンドロス大王時代の遺物が多い。テッサロニキ周辺にはマケドニア時代に奴隷使役の金山がいくつもあって、マケドニアの財政はこの金で賄われた。だから、金の装飾品が多く、とても美しい。

写真:

デメテル(農業の女神)とペルセフォネ(ゼウスとデメテルの間に生まれた娘)、テッサロニキ近郊デルベニ(古都Lete)出土。西暦前4世紀末―3世紀初頭。Hellenistic period

なお、同じデルベニで、デルベニ・パピルス1962年に発見された。これは西暦前340年頃、アレクサンドロス大王の父親フィリップス二世の頃のパピルス書面であり、西欧で最古の手稿である。この手稿もこの考古学博物館にあるのだが、公開されていない。

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P86

(説明文の翻訳)
八個のリラ(lyre)の形をした部品からなる金製の王冠。アーカンサスの葉、蔓、から草で飾られている。中央には、ヘラクレスの結び目の上に、羽根をつけた恋愛の神エロスが鳩を持つ。セデスの豪華な墳墓Γに埋葬された女性の胸の上に置かれていた。320-300 BC

画像:
金製女性用王冠
テッサロニキ近郊デルベニ(古都Lete)出土
紀元前3世紀第一四半期
テッサロニ期考古学博物館
文化省発行の絵葉書
紋様は蔓とオークの葉と五弁の花。中央にヘラクレスの結び目があり、そこに女性の顔が描かれている。

セデス(Sedes

墳墓A

 この墓地でのもっとも重要な発掘品のなかに、一枚のパピルスがあった。これは墳墓Aの埋葬用積み薪から炭化した状態で回収された。ギリシャ語散文体でテキストが書かれているもっとも古いパピルスであり、初期の神の起源の詩を寓話的、哲学的に解釈するものである。

画像Wikipedia, Delveni Papyrus

 Δ(デルタ)には、二人の男性の遺体と副葬品が含まれており、それには金製の花輪、鉄製の武器、粘土製の花器とフィリップ二世の金貨一枚が含まれていた。

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P71

(説明文の翻訳)
 金製のギンバイカの花輪。デルベニ墳墓Δ. Δ1.
 このリースはデルベニ墳墓Δからの出土品のうち、もっとも豪華なものである。紀元前4世紀後半。ここに埋葬された二人の人物のうちの一人に所属する。彼はここに彼らの武器と個人的な所持品とともに埋葬された。

いくつかの墓が1962年、テッサロニキの北西10kmにあるデルベニで偶然に発見された。発掘された六個の石櫃墳墓と竪穴式墳墓は盗掘されておらず、紀元前4世紀末起源の豊富な副葬品を含んでいた。これらの墳墓は多分これらの墳墓の北西に位置している古代のレテ(Lete)の墓地に属しているのだろう。

画像:右図の拡大映像

 アレクサンドロス大王は首都ペラで生まれ、父親フィリッポス二世が設けたミエザ(Mieza)の学校でアリストテレスによる教育を受けた。

 その当時の金の文化を発掘地別に鑑賞して見よう。

写真:オリンポス山の北山麓カテリナ(Katerina)で発見されたぶどう模様の金冠。

560 BC頃の女性の副葬品。

 このピンは衣服(ペプロス)の肩の部分を固定するのに用いられた。精巧な頭部は植物模様の線条細工によって装飾されている。バラ飾り、葉、花の先端装飾など。

写真:
 西暦前
520年頃、埋葬された戦士、青銅製のヘルメットと金色のマスクがかぶせられている。テッサロニキ近郊シンドス(Sindos)で発見された。Archaic period(750-480 BC)

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P55
 このネックレスは種々の様式の二十個のビーズで構成されている。粒状とか線条細工とか。中央には梨形状のペンダントがある。
シンドス出土。

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P70
金製の王冠。花柄で装飾されている。

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P40
 ネックレスの部分拡大。古代ピドナ(Pydna)の墓地出土。金線で作った円筒状のビーズから成り立つネックレス。200 BC頃。

写真:同じ花輪だが、立体的に飾られるとひどく美しい。テッサロニキ考古学博物館での展示写真

画像:”Macedonia-Thessaloniki” from the exhibits of the Archeological Museum, 2009, P27
 紀元前
6-5世紀のマケドニア領域地図。当時の首都ペラと古都アイガイの間に広く海域が存在していたことに注目。

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P34、一部改変

では皆様、ご機嫌よう。

その他の注目すべき蒐集品

 このような精緻な金細工を観察すると、紀元前五世紀にドニエプル河流域に移住していたギリシャ人によって作られたとされるエルミタージュの金製の櫛の存在も頷ける。

シンドス(Sindos)

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P69

デルベニ(Derveni)

以下、”The Gold of Macedon”の説明文翻訳

画像:デルベニ, 墳墓 B

墳墓Bは最大でかつ最も豪華である。そこには一人の男性と一人の女性が埋葬されていた。そして青銅器のクラーテルばかりではなく、百個以上の品物が埋葬されていて、そのなかには銀器、いくつかの青銅の器、雪花石膏や粘土製の花器、死者の鉄製と青銅製の武器、ならびにフィリップス二世の金貨一枚が含まれていた。

画像:”The Gold of Macedon” Archeological Museum of Thessaloniki, 2010, P50

金鉱山としてはパンガイオンが特に有名。沖積金産地としてはエケドロス河が有名。パンガイオンの金鉱山については、ヴァレリオ・マッシモ・マンフレディ『アレクサンドロス大戦記』1,2,3 草皆伸子訳 徳間書店 2000 P66 の記述が興味深い。