オ リ ン ピ ア (2)

                   2011/05/20

(オリンピア(1)から続く。)

館内説明文の翻訳:

この有名な金と象牙製の神像は、古代世界の七不思議の一つであったが、紀元前430年にゼウス神殿のケルラ(cella)のなかに作られた。彫刻したのは偉大な彫刻家であるフェイディアスである。彼はもっぱらの意見ではアテネのアクロポリスでの仕事を完成させたあと、オリンピアに招かれ、そこでゼウス像を作製した。この像の精確な描写は紀元2世紀の旅行者パオサニアスによって記述され、彼の時代に流通していたエレイア硬貨によって確認されている。それは、一面ではゼウスの頭を描き、裏面では神の玉座像を描いている。

画像:
『オリンピア』ニコラオス・カルチャス
文化省 考古学遺跡領収基金
2005
ゼウスの金と象牙の像を表したイリダの金貨
アドリアヌス時代(117-138AD)
フローレンス考古学博物館

3. ギリシャ時代

フィリペイオン

雄牛の像

雄牛の上に書かれているのは、ヘロデス・アティクスの妻、レギーラによる奉納文言。

デメテル(農業・結婚・社会秩序の女神)の尼僧レギーラがゼウス神に水と付属物をお供えする。

  あごひげを生やした神は、オリーブの冠を戴き玉座に坐っている。彼の左手は鷲の頭をもつ笏を握り、彼の右手はリースを頭に乗せリボンを差し出している金と象牙製のニケの小型彫像を持っている。像は木製であるが、上から金の板をかぶせ、神のヒマティオン(上着)、髪、靴を描写している。神の露出部分、たとえば、顔、胴体、腕は象牙製である。像の玉座は黒檀と金でつくられており、宝石で装飾されていた。玉座の四本の脚のそれぞれにニケが彫られていた。玉座の脚の間の空間は幕でとじられていたが、その幕には有名な古代の画家パイオニオスによる画像が描かれていた。この像を湿気から保護するために、油が塗られていて、前面にとりつけられた小さなタンクのなかに集められるようになっていた。この金と象牙製のゼウス像は高さがなんと12.40mもあり、あまりにも完璧であったので、フェイディアスが頼んだら、ゼウスは承諾して、落雷を落としたという伝説があるくらいだ。この像はその場所に8世紀の間存在した。西暦4世紀、この像はコンスタンチノープルに移され、そこで多分西暦475年に、市を総なめした大火災に遭い、破壊された。

(注:奈良の大仏の蓮華座上からの高さが
11.94mですから、大体同じ大きさですね。)

なお、引きつづき
 → バッサイアポロ・エピクリオス神殿)

以上。

お疲れ様でした。
では皆様、ご機嫌よう。

戦士の塑像

奉納品の一部であろう。コリントで作製。紀元前5世紀初頭。

その他:

ゼウスとガニメデ(ゼウスが神への酌人として給仕するために彼をさらったほど美しかったトロイの男の子)のテラコッタ像、コリントで作製、紀元前5世紀初め

4. ローマ時代

二ムファイオン

この堂々とした泉水の建物は西暦160年にHerodes Atticusにより聖域アルティスに建てられた。それはヘライオンとメトルーンの間で宝庫群の西側である。大規模な水路が建設され、特にオリンピック競技期間中に生じた深刻な水不足の事態が解決された。後陣の半円形壁面の正面にあるフロアのそれぞれに11個の壁龕があり、厳格な階層的なルールに従って彫像がおかれていた。ゼウスの彫像はそれぞれの床面の中央の場所を占めていた。

下階の彫像はアントニウスの貴族家系のメンバーに献納されたものであり、上段のそれらは寄贈者の家族に献納されていた。寄贈者二人、へローデとその妻レギューラ、の像はゼウスの像の両側の壁龕に置かれていた。後陣の内部には半円形の水槽が、その前に長方形(21.9m x 3.43m)の水槽が建設されていた。丸い円柱構造をもつ小神殿がため池の両端にあり、中央には、泉、水、ならびに河の動物シンボルである雄牛の大理石像がおかれていた。ドイツ考古学学会の発掘作業により多くの彫像がニムファイオンで発見された。彫像の印銘付きの土台のいくつかは西暦5世紀のキリスト教聖堂の建築資材として使われた。

フィリペイオン(紀元前4世紀末)

カエロネア戦争(338BC)ののちフィリップ二世によって献納されたイオニア様式の円形建築。外側がイオニア様式のコロナード(柱廊)。部屋の内側の壁はコリント様式の半柱で分割されていた。

 完成させたのは、アレクサンドロス大王である。そして内部には彼の祖先の胸像が飾られていた。それらの胸像は彫刻家レオカレスの作とされている。

フェイディアスのゼウス像

美術館の最後の場所にこのような写真が展示されています。フェイディアスのゼウス像です。