Centauromachy
ラピテース族によるケンタウロス戦記

バ ッ サ イ

       2011/05/20

  最初の系統立った発掘作業が1812年、J.Foster他によって行われ、神殿のケルラからイオニア様式の石板23個を回収した。これらはイオニア海岸に下ろされ、僅かの金額で土地のパシャの了解を得て、Zakynthosに譲渡され、1814年にオークションにかけられ、1815年に大英博物館の所有に帰した。

  現在は同博物館16号室にて展示されていますが、展覧時間は午前10:00-11:00に制限されています。

 神殿は修復中で大きなテントのなかに収っていました。周り一面お花畑でした。

 この神殿はアポロ・エピコーリオス(Apollo Epikourios)という神殿で、アルカディア地方の標高1,131mの荒涼とした岩石の多い高地に立っています。

  建立は
420-400BC。スパルタとの戦の最中でした。アテネのパルテノン神殿を建てた建築家イクティノスの作だと伝えられている名建築なのです。

大英博物館にある23枚のフリーズのうちいくつかを拝観しておきましょう。ホメロスによる『イリアッド』典拠。フリーズは三種類にわけられまして、
  Trojan Amazonomachy

  Heraklean Amazonomachy
  Centauromachy
です。

画像ならびに説明の出典はBassae Friezeです。

画像
ケルラ復元図、コリント式柱頭の上にフリーズがある。

画像:BM528
Battle of Lapiths and Cemtaurs, from the west long section of the cella

ラピテース族とケンタウロス族の戦いは、ギリシャ人にとって苦しい戦いであった。勝者敗者が拮抗する状態。滅法強いケンタウロスというのは東方の騎馬民族の擬人化だというのだが、スキタイのことか?結局、ラピテースの英雄カイネウスはケンタウロスに捕まり、生埋めにされる。

画像:BM526
Battle of Lapiths and Centaurs, from the south short section of the cella

ケンタウロス戦記。二人のギリシャ人(テッサリアのラピテース族)がマントを着て、素手で戦っている。この二人は反対側の方向を向いているが、彼らのポーズはほぼ同一である。違っている点は右のギリシャ人が敵の背中に膝をつくときに、足を大腿の下で折っていることである。

画像:BM541

Battle of the Amazons, from the north short section of the calla

ヘラクレス(右)と戦っているアマゾン族女王のひとり、ヒッポライト(中央)。
この英雄ヘラクレスは、神殿の長軸の上、かつコリント式柱頭の上という、とても目立つ場所を占めている。
ヒッポライトは他の二人の女王と同じく、衣服で識別できる。彼女は彼女の腰のまわりに纏ったマントを着ている。
アマゾン族の三人の女王は、メラニッペ、アンティオペ、ヒッポライト。メラニッペはBM533右端で既に殺されている。

画像:
Iron statuette of a man.
Olympia Museum (M852)
Xeni Arapoyianni
The Temple of Apollo Epikourios at Bassae
Ministry of Culture and Tourism
Archaelogical Receipts Fund
2010
P21
1959年の発掘作業の際発見された紀元前7世紀初頭の鉄製男子像。
すらりとしてとても長い足、腕は肘のところで折られている。

Heraklean Amazonomachy
ヘラクレスによるアマゾン戦記

 石材はこのバッサイで採掘された質の粗い石灰石で、保存状態はよろしくありません。フリーズは大理石ですから、アテネあたりで彫刻されてここに持ち込まれたのだと思います。

 ユーラシア旅行社により設定された日程が良かったせいでしょうか、バッサイは夢見るようなお花畑のなかでした。

Trojan Amazonomachy
トロイにおけるアマゾン戦記

画像:BM520
テッサリアのラピテース族の英雄ペイリト-スはヒッポダメイアとの結婚式を挙げるが、祝宴に招待されたケンタウロス族は酒に酔い、ラピテース族と喧嘩を始める。新妻ヒッポダメイアがケンタウロスに誘拐される。

画像:BM533

Battle of the Amazons, from the east long section of the cella

ヘラクレスによって率いられたギリシャ人とアマゾン族との間の戦闘を描いている。

この石板BM533では、最初の死者が現われる、右端、ひとりのアマゾンが右手に斧の柄をつかみつつ、倒れ込む。彼女の兜は右手の地面に落ちている。ここに死につつあるアマゾンが着ている衣服は、ペプロスとマントを身体に巻き付けていて、他のアマゾン戦士達の典型的なチトニスコス姿と異なっている。斧と兜があるから、彼女を戦闘員であると判断できるので、ペプロスを着ていることの意味は、彼女が戦闘に参加したアマゾンの女王三人のうちの一人であることを示す。彼女が女王であること、また、最初の死者であることからして、彼女はメラニッペであるに違いない。また、彼女を殺したギリシャ人は、テラモン、BM533:2であるに相違ない。彼は犠牲者の側にたっているが、彼の槍をもうひとりのほうに向けている。

画像:
Bronze statuette of a horse, mounted on perforated base.
Olympia Museum (M1864)
Xeni Arapoyianni
The Temple of Apollo Epikourios at Bassae
Ministry of Culture and Tourism
Archaelogical Receipts Fund
2010
P20
もっとも早い時期の奉納物
幾何学様式の青銅製の馬
Dated to c. 750-700 BC

その他Bassae出土の美術品

画像:BM537
Battle of the Amazons, from the west long section of the cella
ペンテシレアが率いるアマゾネスによるトロイでのギリシャ人にたいする攻撃を描く。
アキレスの手にかかりペンテシレアが死する場面で頂点に達する。

画像:
The temple from the north (J. Foster, 1812)
Xeni Arapoyianni
The Temple of Apollo Epikourios at Bassae
Ministry of Culture and Tourism
Archaelogical Receipts Fund
2010
P34

以上です。
では皆様、ご機嫌よう。