写真:一柱寺 Chua Mot Cot
李朝(陳朝)の太宗(リー・タイ・トン)が1049年に創建した寺(延祐寺)で、1本の柱の上に仏堂をのせたユニークな形から、この名で呼び親しまれている。
先の太宗は蓮華の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見てからまもなく子供を授かった。太宗は夢の観音に感謝し、ハスの花に見立ててこの寺を建てた。仏堂は小さいがベトナムを代表する古刹。(『地球の歩き方 93 ベトナム』ダイヤモンド社、2001年、87頁)
ハ ノ イ
2013/01/25
写真:昼食を摂ったWild Riceなのですが、瀟洒なフランス洋館。でも束になった乱雑電線はいただけません。
写真:水上人形劇で使われる人形
街頭風景
写真:玉山祠の外人さん。
写真:ホアンキエム湖に浮かぶ亀の塔。1428年、Le Loi (黎利、レロイ)は湖に棲む亀から授かった宝剣で明軍を駆逐した。そして、この場所でレ・ロイが剣を亀に奉還した。
画像:『地球の歩き方、ベトナム』2011~2012、(株)ダイヤモンド・ビッグ社 P270
写真:ヴェトナム人の花束の作り方は色鮮やかで印象的です。
写真:古物愛護精神というか、ケチケチ精神というか、アッと驚くような古車が出現する。反って斬新な感じを受ける。
写真:西暦1010年、李朝の太祖李公蘊が大羅城に都を戻し、昇龍を建設した。このとき以降、ハノイの別名は昇龍〈タンロン〉である。後ろに見える建物は敬天殿であり、軍事施設として使用されてきた。ソ連軍が造った地下指令室があることで有名。
端門
写真:端門。正月用の飾り付けがされている。
今日一日でベトナムの首都ハノイを見物し、夕方ホイアンに移動するのですから、慌ただしい一日となりました。
これで慌ただしいハノイ見物は終了です。歴史博物館とオペラハウスは臨時休館で見学できませんでした。
では皆様、ご機嫌よう。
写真:街頭風景。やはりバイクの街と言えそう。
ホーチミン廟
11~19世紀にベトナム王朝の都〝昇龍(タンロン)〞として栄えた時代の城址「タンロン遺跡」
写真:その歴史の初め、まだ人口も稠密ならざる時代に、日本人の阿倍仲麻呂が唐の朝廷から派遣されて安南都護府の首都羅城(ラタイン)に赴任していたことがある。羅城に赴任していたのは761-767年。齢64歳からの7年間であった。彼は770年1月に、73歳の生涯を閉じた。その旧跡と思われる場所が発掘されている。果たしてこの場所が羅城かどうかは掘ってみなければわからないのだが。
写真:朝の通勤時、信号待ちの女性達。服装も素敵だし颯爽としています。さすが首都ですね。
Wild Riceで昼食
写真:紐でがんじがらめにされた蟹。道端で売られている。
ホアンキエム湖・玉山祠
一柱寺
龍の階段と敬天殿
写真:後楼地区
写真:道を隔てて隣に、ベトナム軍事歴史博物館がチラと見えました。いかついですね。
写真:端門前の正月用デコレーション。
画像:『地球の歩き方、ベトナム』2011~2012、(株)ダイヤモンド・ビッグ社 P311 一部改変
タンロン遺跡(旧ハノイ城趾)